『黒狗』の小屋

毎週、(金)に特撮作品の感想、(日)に漫画の感想を書いてます。

今日の出来事(12-3-12)

2023-03-12 20:02:46 | 日記

Comicアンスリウム(3)一言感想

意外と乙女じゃダメですか? みかわや

これまで、嫌われたくないって意識してたからこそ、両想いでのセックスが余計に気持ちよくなっちまったんだろうな。

酩ke らぶ♡ おとう。

好きな人から、こんな可愛い泣き顔で「好き」と言われて、プッツンしない男がいるだろうか、いや、いない。

猫と好奇心とJK アシズキ

一度の失敗でへこたれず、努力で腕を上げ、リベンチマッチを申し込んだ彼は中々の男だな。

隣の部屋のあなた 眞空エマ

毎度、こういう系統の作品を読んで思うんだが、どうして、こんなにも良い奥さんがいるのに、旦那は彼女を満足させる努力を怠るのかね。

わたしのオンリーワン!ワン! 交介

小型犬っぽい彼氏と、大型犬っぽい彼女、実にキュンと来る組み合わせだ。

二人の行き先 エビフライ定食

今回は上手く行ったんだろうが、あまり禁欲を徹し過ぎると、精神にキツく来るぞ。

ケガした燕を見つけたら。 みそおでん

大っぴらに推奨できる事じゃないにしろ、男たるもの、一回くらいは家出をした方が良いような気はする。

美咲さんの絶頂キャンパス シヲリイタ

まぁ、お母さんが幸せを見つけたなら、それはそれで良い事なんだろう・・・多分。

敗北魔法少女マリア アサオミ志群

敵幹部の圧倒的な強さに、ズタボロにされる魔法少女、私は嫌いじゃないです。

月夜野課長はギャルをやめられない(5) 板場広し

何と、まぁ、ハッピーエンドに半ば力技で持って行きおった。

みかづき もものユーカ

程度はあるにしろ、やはり、感情はちゃんと表に出して、相手に解って貰う方が良いのかもな。

マンガみたいな恋したい! 仲尾ハム

これを機に、そこそこ売れる同人漫画家になるってパターン、私はアリ。

ピアニストの大きすぎる悩み ゆっ栗栖

自分の体を嫌いになってしまうのは、辛いよな。

うちの勇者様は無口(6) かいづか

モンスターの能力で、ヒロインたちがエチエチになっちゃう展開、いいね。

パドックの女神さま! あまみや真実

ギャンブルも恋愛も観察眼が大事ってことか。

×××なご注文をどうぞ れい

昼間の顔を知っているからこそ、夜の顔になった彼女がよりエロく感じるんだろうな。

初夜の譲渡 軒下ネギヲ

登場人物が全員、普通じゃない、だから、良い。

ぱらのいあけ~じ その111 クール教信者

水玉コラ、これは質が高ければ、かなり興奮する。

ガールズドーン!(57) 山本AHIRU

いつまでも続いてくれないんだよな、平和かつ平穏な日常ってのは・・・

 

今週の食事

3月6日(月)

朝食

バケット(リンゴジャム)、トマトジュース

昼食

おにぎり(桜でんぶ、鰹昆布)、烏龍茶

夕食

薩摩芋の蒸しパン、野菜炒め(玉葱、ピーマン、蓮根・台湾麻婆の素)、烏龍茶

 

3月7日(火)

朝食

善哉(餅×5)、烏龍茶

昼食

焼肉食べ放題

夕食

カレーうどん(ウィンナー)、烏龍茶

 

3月8日(水)

朝食

バケット(リンゴジャム)、野菜ジュース

昼食

おにぎり(おかか若布御飯、鰹昆布)、烏龍茶

夕食

肉野菜炒め丼(ウィンナー、キャベツ、玉葱、ブナシメジ茸・野菜炒めのたれ)、味噌汁(若布、輪麩、赤海苔、葱)、烏龍茶

 

3月9日(木)

朝食

バケット(リンゴジャム)、野菜ジュース

昼食

おにぎり(胡麻若布御飯、鰹昆布)、烏龍茶

夕食

肉野菜炒め丼(ウィンナー、キャベツ、玉葱・麻婆豆腐の素)、味噌汁(刻み揚げ)、烏龍茶

 

3月10日(金)

朝食

バケット(リンゴジャム)、トマトジュース

昼食

おにぎり(梅紫蘇若布御飯、鰹昆布)、烏龍茶

夕食

肉野菜炒め丼(鶏皮、キャベツ、筍・野菜炒めのたれ)、味噌汁(若布、輪麩、赤海苔、葱)、烏龍茶

 

3月11日(土)

朝食

バケット(リンゴジャム)、トマトジュース

昼食

おにぎり(煎り粉味噌ごはん、鰹昆布)、烏龍茶

夕食

カップ焼きそば(ペヤング大盛)、午房の甘辛揚げ、レンチンモヤシ、烏龍茶

 

3月12日(日)

朝食

黄粉餅、トマトジュース

昼食

細巻(ネギトロ、干瓢)、烏龍茶

間食

ポテトチップス、烏龍茶

夕食

天麩羅饂飩(薩摩芋)、南瓜の煮付け、薩摩芋の檸檬煮、烏龍茶

 

今日、読んだ本

ついに、完結・・・いや、傾き納めか。

終わってしまい、もう、慶次の傾きっぷりが観れない、それが寂しくない、と言ったら、嘘になる。

ただ、これほどまでの完成度に到っている作品が、これ以上ないほどに美しい〆になっている以上、ファンとして、「もっと暴れて欲しかった」と言ったら、ダメだな、と自分に言い聞かせられるだけの理性は、しっかりと私にも残っている。

全巻を、改めて通して読み、拙いなりに、自分の全力を傾けた感想を書き続けた事で、わずかではあるが、私の人間力は上がった・・・と思いたい。

いや、上がっていなかったら、先生方に顔向けができない。慶次の戦い、生き方、信念を、この眼で視続けて、自分の意見を文章にし続けたのだから、上がっているべきだ。

「小説家になろう」へ投稿している作品にしっかりと活かして、コンクールでデビューが確約される賞を獲れば、きっと、この『【新装版】花の慶次‐雲のかなたに‐』で、私の人間力が上がった、と証明できる。もっと、己を磨き、努力して、良い小説を書かねば。

まぁ、私の野望はさておき、本当に、名作だ、と痛感した。日本史、特に、この漢たちが全身全霊で生きていた時代を、より深く、楽しく、鮮やかに知るには、最高の漫画だ。それこそ、この作品が連載されていた頃とは、今は違う事実が有力視されているのかも知れないが、その辺りの差異を知るのも楽しいだろう。

ほんと、これは、私の勝手な印象だけど、この『花の慶次‐雲のかなたに‐』は男同士の友情を、特に熱く、熱く、熱く、描いたモノだ。これほどまでの熱量が作品に宿ったのは、両先生に、自分の持っているモノを擲ってでも、ピンチに陥った時に助けたい、また、自分の為にそうしてくれる、と信じられる親友がいるからなんだろう。

私が、この作品に惹かれ、魂を揺さぶられ、悪戦苦闘しながらも、自分の感想を書き、ブクログに照れながらもアップし続けられたのは、慶次らの友情が、本当に羨ましかったからかも・・・・・・

本当に、素晴らしい漫画を読ませていただき、ありがとうございました。これからも、原先生の更新し続けられる「最高」の仕事、楽しみにしております。

 

この台詞を引用に選んだのは、言うまでもない事だが、前田慶次、その名を持つ男のデカさを感じさせるモノであると同時に、上にも書いた漢同士だからこそ成り立つ友情を感じ取れるからだ。

確かに、言い方、内容は手厳しい。

しかし、慶次は、石田三成ならば、それが出来る、と信じていたんじゃないだろうか。

きっと、慶次の中では、石田三成もまた、友だったんだろう。

彼の言う通り、男ならば、自分のケツは自分で拭けなきゃ、カッコ悪いにも程がある。

「治部、貴様のやることは、いちいち手が込みすぎておる。石田三成ともいわれる者が、首一つを失うのが、それほど恐いか、命が惜しいのか!!そんなに、この“いくさ”を止めたければ、命賭けで太閤に掛け合えばいいではないか!わざわざ、俺を使ってまわりくどいことをするな!自分でまいた種は、自分で刈りとれ!死して、この“いくさ”を止めてみろ!!」(by前田慶次)

 

こちらも、私の胸が打たれた台詞なので、ご紹介。

これも、慶次の“いくさ人”としての強さが見えるモノですね。

漢は漢を知るって事でしょう。

家康が、慶次に一目置き、恐れ、同時に、惚れたのも、こういう物の見方、考え方が出来るからでしょうね。

「合戦に、汚いも、綺麗もないんだよ。勝つか、負けるか、生きるか、死ぬか、それだけのことさ。勝って生きのびれば、それでいいのさ。恥も外聞もない。ぎりぎり決着のところが、いくさなのだ。内府殿は、それをよく知っておられる。戦機と見れば、なりふり構わず、強引に仕掛けるのだ。さすが、と言うべきだろう」(by前田慶次)

 

まだ、紹介したい。

これも上に書いた事だが、前田慶次と直江兼続の友情にグッと来たからだ。

笑顔ではあるが、本心から言っているのだ、と伝わってくる。

死を恐れていない、と言うよりは、友のために死ねるなら悔いはない、そう言う事なんだろう。

利沙さんへの愛、それは本物だ。その上で、前田慶次は「女」よりも「友」を即断で選べる。

意見はそれぞれだが、私の中で、慶次は女性を蔑ろにするクズではない。

即断してはいるが、その一瞬の間に、凄まじい苦悩をしたんだろう、と思うからだ。

そんな慶次に惚れた利沙さんは、ほんと、美しい女性だ。

「直江兼続が死ぬことになりそうだ。兼続が死ぬなら、俺も死んでやるしかないなぁ・・・」(by前田慶次)

 

そして、最後はこれ。

台詞って訳じゃないが、これがあってこそ、『花の慶次‐雲のかなたに‐』は、『からくりサーカス』に負けないほど、ファンに「これ以上はない」と確信させるほどの終わり方に到達しているのだ。

くどいようだけど、本当に、良い漫画が読めて良かったです。

以後、戦国の世を駆け抜けた、稀代の快男児、前田慶次は上杉家二千石の捨扶持を与えられて、嘯月吟歌、愛する利沙と共に悠々の歳月を送り、米沢に移ってからは、二度と、かぶくことはなかった、という。景勝の次代、忠勝の時まで生き、米沢で死んだ。没年は慶長十七年(一六一二)六月四日とあるから、関ヶ原以後、十二年も生きたことになる。(by天の声)

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