
大仏鉄道研究会の「岩崎副会長」「古薮副会長」と地元北自治会長、そして奈良市から公園課長等が参加して、通称「三角公園」で、「大仏鉄道公園」の看板取り付け位置の現地確認を行いました。
船橋通りの北の端の元消防署跡地は地域の人から、「三角公園」と親しまれていましたが、この地が、「明治31年に関西鉄道(大仏線)が大仏観光を目的に加茂駅から国鉄奈良駅(当時)へ向かうため9年間存在した幻の鉄道」大仏線の駅舎が存在した所という事で、「三角公園」の名称を「大仏鉄道公園」と変更をしていただきたいと、相談を受けたのは、平成16年。
その年の6月に議会で質問をして前向きな答弁をいただきましたが、「地元の了解が必要」との事でした。早いもので、もう3年も経っているのかと今日改めて実感をしましたが、時間がかかりすぎて申し訳ない想いです
会では、この間この「三角公園」の清掃を定期的に開催するとか、地元交渉を地道に展開されてきました。自治会長が1年ごとに改選されるたびに根気よく説明をされてきました。また、
大乗院庭園文化館で岩崎先生のスケッチ展開催決定
若草公民館主催「大佛鉄道学習講座」を2回
奈良女子大記念館一般公開で大佛鉄道のパネル展示&紹介
大佛線開通106年記念ウォ-クの実施
ならどっとFM放送で「大佛鉄道研究会」を高橋・古薮の対談形式出演
大仏鉄道研究会公式ホーページ
等々様々な取り組みを展開されてきました。そして昨年10月に藤原市長に申し入れを行いました。
「NO175 大仏鉄道研究会 2006年10月20日」(参考)
そして今日。やっと看板設置の位置確認という事になりました。

しかし、またまた問題発生。
行政側、「正式にはここは、道路用地で、公園ではないのです。だから、「大仏鉄道公園」にはならないので、「公園」を「跡地」とか「跡」としかできないのですがいいですか?」
私、「それはない。従来から住民に三角公園として親しまれてきたし、行政もそのようにいってきたものを今この場になって、道路用地なので公園という名称が使えないというのはないよ」
行政側、「事故などが起こった時の管理責任の問題や、変更手続きが必要なので」
私、「公園であろうと、道路用地であろうと、奈良市の用地である事は間違いがないのであって、いずれにしても管理責任は発生するのだから、手続き問題だけならば研究してみてください。」
といろいろと議論をしましたが、最後は設置位置に着いても快く、積極的に意見を出し前向きに検討をしていただきました。
私は特に、ここまで3年も掛かった中で、古薮副会長を始め、岩崎副会長を始や、研究会の人たちが、地元説得を粘り強くされた事や「大仏鉄道」の歴史の掘り起こしと啓蒙活動にどれほど努力をされきたかという事を説明をしました。
ただ単純に、看板を1枚つけるのとは違うという事を訴えさせていただき「大仏鉄道公園」と書くのではなくメンバーの想いを入れてほしいと要望をしました。
結果、銘盤の文字も、「大佛鐡道記念公園」となる予定になりました。
研究会の皆さんには本当に時間がかかって申し訳なく思っていますが、住民の皆さんのご理解と行政の協力によってなんとか5月中には完成しそうです。
これによって、奈良の歴史を掘り起こし、またひとつ新しい名所が出来上がりました。50年100年先までも「大佛鐡道」の歴史が語り継がれる事になりました。
2010年遷都1300年記念事業が推進されていますが、この大仏鉄道研究会のみなさんのような方々がおられて、奈良の歴史が伝えられてきたのだと思います。
「歴史と創造」「保存と開発」「継続か刷新か」いつも奈良に突きつけられてきたテーマです。しかし今このテーマが一致したのではないかと思います。
私たちが未来のために、古いものに新しい生命を吹き込み再生・創造していく必要があると思います。そうした視点では、先日も書いた、奈良の伝統芸術、芸能、工芸の分野でも100年1000年先までの文化創造の礎づくりが求められますね。
そのために担い手づくりに全力をあげよう!!
船橋通りの北の端の元消防署跡地は地域の人から、「三角公園」と親しまれていましたが、この地が、「明治31年に関西鉄道(大仏線)が大仏観光を目的に加茂駅から国鉄奈良駅(当時)へ向かうため9年間存在した幻の鉄道」大仏線の駅舎が存在した所という事で、「三角公園」の名称を「大仏鉄道公園」と変更をしていただきたいと、相談を受けたのは、平成16年。
その年の6月に議会で質問をして前向きな答弁をいただきましたが、「地元の了解が必要」との事でした。早いもので、もう3年も経っているのかと今日改めて実感をしましたが、時間がかかりすぎて申し訳ない想いです
会では、この間この「三角公園」の清掃を定期的に開催するとか、地元交渉を地道に展開されてきました。自治会長が1年ごとに改選されるたびに根気よく説明をされてきました。また、
大乗院庭園文化館で岩崎先生のスケッチ展開催決定
若草公民館主催「大佛鉄道学習講座」を2回
奈良女子大記念館一般公開で大佛鉄道のパネル展示&紹介
大佛線開通106年記念ウォ-クの実施
ならどっとFM放送で「大佛鉄道研究会」を高橋・古薮の対談形式出演
大仏鉄道研究会公式ホーページ
等々様々な取り組みを展開されてきました。そして昨年10月に藤原市長に申し入れを行いました。
「NO175 大仏鉄道研究会 2006年10月20日」(参考)
そして今日。やっと看板設置の位置確認という事になりました。

しかし、またまた問題発生。
行政側、「正式にはここは、道路用地で、公園ではないのです。だから、「大仏鉄道公園」にはならないので、「公園」を「跡地」とか「跡」としかできないのですがいいですか?」
私、「それはない。従来から住民に三角公園として親しまれてきたし、行政もそのようにいってきたものを今この場になって、道路用地なので公園という名称が使えないというのはないよ」
行政側、「事故などが起こった時の管理責任の問題や、変更手続きが必要なので」
私、「公園であろうと、道路用地であろうと、奈良市の用地である事は間違いがないのであって、いずれにしても管理責任は発生するのだから、手続き問題だけならば研究してみてください。」
といろいろと議論をしましたが、最後は設置位置に着いても快く、積極的に意見を出し前向きに検討をしていただきました。
私は特に、ここまで3年も掛かった中で、古薮副会長を始め、岩崎副会長を始や、研究会の人たちが、地元説得を粘り強くされた事や「大仏鉄道」の歴史の掘り起こしと啓蒙活動にどれほど努力をされきたかという事を説明をしました。
ただ単純に、看板を1枚つけるのとは違うという事を訴えさせていただき「大仏鉄道公園」と書くのではなくメンバーの想いを入れてほしいと要望をしました。
結果、銘盤の文字も、「大佛鐡道記念公園」となる予定になりました。
研究会の皆さんには本当に時間がかかって申し訳なく思っていますが、住民の皆さんのご理解と行政の協力によってなんとか5月中には完成しそうです。
これによって、奈良の歴史を掘り起こし、またひとつ新しい名所が出来上がりました。50年100年先までも「大佛鐡道」の歴史が語り継がれる事になりました。
2010年遷都1300年記念事業が推進されていますが、この大仏鉄道研究会のみなさんのような方々がおられて、奈良の歴史が伝えられてきたのだと思います。
「歴史と創造」「保存と開発」「継続か刷新か」いつも奈良に突きつけられてきたテーマです。しかし今このテーマが一致したのではないかと思います。
私たちが未来のために、古いものに新しい生命を吹き込み再生・創造していく必要があると思います。そうした視点では、先日も書いた、奈良の伝統芸術、芸能、工芸の分野でも100年1000年先までの文化創造の礎づくりが求められますね。
そのために担い手づくりに全力をあげよう!!
憲法9条の制定の
舞台裏の攻防の映像でした
第二項のところも
ああそういうわけで自衛隊を
作ることができたんだな
と納得いきました。
交戦権の放棄と自衛権の保持が
後々両立していく瞬間は
ああだったんだなと見て思いました
それにしても今82歳のおばあちゃんですが
当時22歳の女性によって
女性の権利が盛り込まれたとは
おどろきでした。
いよいよゴールデンウィークはいっちゃいました
あした30日はデザイン協会のシンポジウム
です。自分がプレゼンテーターしますので
予定の立ててない方はぜひおこしください。
憲法改正が議論されていますが、9条は絶対守らなければいけないと思います。
その上で、現憲法に書かれていない人権や、環境権等々を加える、加憲については考えるべきではないかと思います。改憲論者は、アメリカによって作られた健保なので、日本が独自で作るべきであるという人がいますが、平和を求め創るために日本のこの現憲法の9条は今後世界でますます光り輝いてくると思います。
デザイン協会の案内がありましたが、時間と場所が書かれていなかったので今後はお願いします。
このページで初めて見た人でも参加できるようによろしくお願いします。