大好きな奈良のために立ち上げた「なら・観光ボランティアガイドの会」朱雀も10年を迎え新たな体制で出発をしましたが、この間旅館組合長が行動力と想像力を信頼してくれて、奈良を訪れた修学旅行生に雅楽を体験していただく企画を実現したり、燈火会の初めての時のアドバイス。観光業者が行っていた「ライトアップスタンプラリー」のお手伝い。
その間も様々な提案をして取り上げられたもの、取り上げられなかったものといろいろありますが、この10年間観光振興にかけてきたのかな???
特に自分が育ち遊んだJR奈良駅周辺や三条通りが、今大きく変化をしようとしています。当時は三条通りにも旅館やみあげもの屋がたくさんあって、修学旅行生や観光客でにぎわっていました。また、主婦の店から出発したダイエーが、最近まで存在していいました。小さな頃にはよく買い物に行かされたものでした。自分が住んでいた所は、すでに家がなくなり駐車場に様変わりしています。近鉄奈良駅にも、国鉄奈良駅にも近くバスもすぐに乗れた。こんな生活のしやすい所が、いつのまにか商店が変わり、人がいなくなってしまいました。これからどうなっていくのでよう?。
最近その地域を訪問するたびに寂しくなります。私の過去の一冊の本から1ページ1ページが破られなくなっていくような気がします。
顔見知りのおばちゃんが今もいる。どことなく元気がなくなって?(歳がいったのかな?)
だからもっと元気になってほしい。住み続けられる町になってほしい。そんな思いが日ごとに強くなっています。
だから商店街も旅館ホテル業者も元気になってほしい。2010年という奈良市に取って大きなエポックとなる年を目前にしてもう一度挑戦をして欲しいと思います。
しかし今は誰かを頼りに待っている訳にはいきません。自分がやっていこうと今考えています。
そういう事で今日は、ホテル業者の方と旅館業者の方を話をしてきました。いまは詳しくかけませんが、今後の行動で紹介をしていきたいと思います。そして、現在続けている、「なら・観光ボラ]のメンバーや「大仏鉄道研究会」の人たちや、「奈良街道研究会」の人たちや、自分の利益につながらなくても、熱い想いで奈良のために頑張っている人たちとの連携を更に強めて、企業や商店の人たちとも行政とも連携を深めながら、明日の奈良を作るために頑張ろうとなぜか今日は思いました。
世界遺産を誇りとして生活者が喜べるまちづくりと訪れる人に喜んでいただける町
「歩みいる人にやすらぎを!! さりゆく人に微笑みを!!!」
そんな都市づくりを。
その間も様々な提案をして取り上げられたもの、取り上げられなかったものといろいろありますが、この10年間観光振興にかけてきたのかな???
特に自分が育ち遊んだJR奈良駅周辺や三条通りが、今大きく変化をしようとしています。当時は三条通りにも旅館やみあげもの屋がたくさんあって、修学旅行生や観光客でにぎわっていました。また、主婦の店から出発したダイエーが、最近まで存在していいました。小さな頃にはよく買い物に行かされたものでした。自分が住んでいた所は、すでに家がなくなり駐車場に様変わりしています。近鉄奈良駅にも、国鉄奈良駅にも近くバスもすぐに乗れた。こんな生活のしやすい所が、いつのまにか商店が変わり、人がいなくなってしまいました。これからどうなっていくのでよう?。
最近その地域を訪問するたびに寂しくなります。私の過去の一冊の本から1ページ1ページが破られなくなっていくような気がします。
顔見知りのおばちゃんが今もいる。どことなく元気がなくなって?(歳がいったのかな?)
だからもっと元気になってほしい。住み続けられる町になってほしい。そんな思いが日ごとに強くなっています。
だから商店街も旅館ホテル業者も元気になってほしい。2010年という奈良市に取って大きなエポックとなる年を目前にしてもう一度挑戦をして欲しいと思います。
しかし今は誰かを頼りに待っている訳にはいきません。自分がやっていこうと今考えています。
そういう事で今日は、ホテル業者の方と旅館業者の方を話をしてきました。いまは詳しくかけませんが、今後の行動で紹介をしていきたいと思います。そして、現在続けている、「なら・観光ボラ]のメンバーや「大仏鉄道研究会」の人たちや、「奈良街道研究会」の人たちや、自分の利益につながらなくても、熱い想いで奈良のために頑張っている人たちとの連携を更に強めて、企業や商店の人たちとも行政とも連携を深めながら、明日の奈良を作るために頑張ろうとなぜか今日は思いました。
世界遺産を誇りとして生活者が喜べるまちづくりと訪れる人に喜んでいただける町
「歩みいる人にやすらぎを!! さりゆく人に微笑みを!!!」
そんな都市づくりを。
顔見知りのおばちゃんが今もいる。どことなく元気がなくなって?(歳がいったのかな?)
だからもっと元気になってほしい。住み続けられる町になってほしい。そんな思いが日ごとに強くなっています。
是非とも町中が、元気になるような町づくりをお願いします。(もっと街の人に会って、話をしてあげて下さい)
良くも、悪くもダイエーは、お年寄りのコミュニティーの場所でした。
本当に、今は出かける所がありません。
今の図書館などは、本当に奈良市民の目線で、充分活用されるべき立地にあるのだろうか?疑問に思う。
此でも存続しているのだから、仕方が無い、と言えばそれ迄ですが、一生懸命引っ張ろう、また個展で努力して頂こう、と思っても、此では後から思いっきりパワーを抜かれている訳で、やっている側はピエロです。また、オーナー企業ならまだしも、サラリーマン社長のホテルも沢山有ります。彼らは、オーナーに対しての遠慮も有ります。しかし、先日の会議所の説明会で、失望の顔色を隠せませんでした。彼らは脱会するかも知れません。脱会されて難儀するのは組合で、彼らは痛くも痒くも有りません。自分も脱会したく成りました。
故手塚治虫氏の書いた、「陽だまりの樹」という作品で、徳川幕府の末期的症状を示して居ます。ぬくぬくと大きくなった、でっかい木(徳川)が、知らぬ間に白蟻(利権屋)に食い尽くされていて、ある日突然、ぶっ倒れた・・・・・今回の徳川は組合、利権屋は、身内です。
そこで何をするのかが問われているのではないでしょうか。それぞれの人がそれぞれの立場で出来る事を始める事が大切なのではないでしょうか?
過去の失政によって国も地方も借金で苦しんでいます。その結果国のする事は国で、地方で出来る事は地方でと言う事で、税源を以上して地方の独自性を発揮してもらおうと地方分権が進められています。
これは1面責任逃れのように見えますが、地方の要望を実現しようとした事や、何でも国や地方にと行ってきた私たちもその事を考え直さなければならないようになってきました。
自分たちが過去の慣習に縛られる事なく、自分のためではなく、社会のために、構成のためにという視点で行動を起こしていかなければいけない時代になってきたのではないでしょうか。
行政はそうした人や活動をどのようにサポートしていくのか、行政として何が出来るのかを市民に示していく事が大切なのではないかと思います。
また過去の慣習に縛られた社会を変えて行くには、価値観の相違を乗り越え、時代の潮流をしっかりと読み解く力をつけていく事が大切ではないでしょうか。
一人一人が地域のために皆のために発言をし、行動をしていく事ではないでしょうか。
自らが考え水からが訴えまず旗を掲げる事が大切なのではないでしょうか。そうする事によってその旗に賛同する人が続いてくるのではないでしょうか
私はそう考え行動をしていきたいと思います。自らが信じ、考えた事を批判を覚悟で他人の意見を聞きながら行動を開始したいと思います。
またご批判をください。
また自分の為、構成・・・は多分「後世」の誤りかと思いますが、そう考えてやってきても、前述しましたが、後ろでどんどん抜く訳ですから、やっている側はピエロです。何にも成りません。市長も未だに藤原ホテルにこだわって、兎に角建てる方向で走っています。建てる目的が何か判らなくなったのにも拘わらず、にです。で、横に100年会館の・・・は前述しました。
行政は、邪魔くさく、自分たちに火の粉のかかる事は逃げ腰です。観光協会やコンベンションビューロー、商工会議所観光部会など、同じ様な組織をいっぱい作って、出向先を増やしています。自分達の分野は死守しています。全て税で、です。会議所は行政補助金を当てにして、市役所のイエスマン組織に甘んじています。こんなのに行動を起こして・・・っていったって可能ですか?
金野先生は、一人ででも、とおっしゃってやられているのも知っています。凄い事です。しかし、当旅館組合は、賛同する人が居るかも知れませんが、会議の席で堂々と
「事業をして頂くのは結構だが、自分は参加しないから勝手にやってくれ」
と発言されて、何も悪いと感じていない、それこそ、もの凄い人が居られます。発言こそ無いものの、同様の考えの方が大半です。以前、先生が「旅館の会議で揉め事・・・」と御書きに成られた時です。江戸時代の殿様で、米沢藩「上杉鷹山」と云う方の言葉ですが、全ての人員の中で、賛同者5%、反対10%、残り85%は無関心層だ、と云うのを、自分は肝に銘じています。85%を振り向かせ、反対の原因を取り除く事で10%を賛同側に付け、結果職務を実行して来た事も有りました。しかし、執行部が組み合いの名を勝手に語って、自分たちの保身と利益の為に、勝手な会議に出席した、なんて事は言語道断です。しかし、こんな執行部を選別したのも組合員なのです。
何かもう訳が解らなく成りました。本当に旗に賛同する様な人が、今の組合内に居るんですかねぇ?
金野先生も御存知のS氏などが、次の支部長に、と云う話が有った時「血の雨が降る」と称した方が居られました。私は、若し声がかかっても、御免被ります。しかし、役職が欲しいが為の人間も居ますので、旗がキチンとした旗に成っていない気もします。
こんな組合だからこそ、金野先生に見切られかけたのかも知れませんね。一種やむを得ないでしょう。
上杉鷹山はあの封建時代の中にあって、今も語り継がれたり、あのケネディー大統領にも影響を与えたとは本当にすごいですね。
もう一度上杉鷹山の本を読んでみます。そして歩み出します。
いつもありがとうございます。