こころの宝物

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あなたのこころにも宝物が増えますように…

そうだ、福島へ行こう(その3)

2010-02-12 22:22:22 | イベント
2010年2月12日(金)姫路のお天気は
お日さまがない日が続いているので、寒いです。

そんな今日はM.K.さんのご本の再校正が届きましたので
仕上げ作業をしました。
C.K.さんのご本のデザインがあがってきたのでイメージの確認。
M.Kさんの小冊子、山本光輝先生の別件の小冊子。

もうすぐ2冊のご本が印刷に入ります。
春らしい可愛いデザイン、優しい内容なので、とても楽しみです♪


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遠い福島で、私ととてもよく似た名前をもらった
菜穂子さんは昭和48年2月28日生まれ。

私より1つ年上だけれど、同じうお座の女性です。


同じ時代を生き、
同じ頃に就職をして
そして23歳、癌が見つかり、菜穂子さんの闘病が始まったそうです。

みほりんさんがブログで綴られている
彼女の生きる姿勢
それを見守るみほりんさんご自身。

何日もかかって読みながら

菜穂子さんと同年代の女性として感じること
みほりんさんと同じひとりの母親として感じること
そして、失うはずのない家族を失った者として感じること……


私の心の中では
さまざまな想いが何度も入れ替わり立ちかわりしていました。


神も仏もあるものかと思ったこと

これ以上娘の身体を傷つけてほしくないと思った気持ち

記憶がよみがえります。


葬儀屋さんがきしおくんの手を合掌させるために
針金で手首をくくりつけたとき
遺体が傷まないためにと
大きなドライアイスを何個も身体の上下に並べたとき

そんな仕方のないことですら。

もう、死んでしまったら、
彼はもうその身体にはいないんだからと。

そんなこと、私にはとても思えなかった。

ほんの数時間前には、動いていた
私と話していたその身体なのです。

初七日までは近くに居るという、その魂が
そんなことは辛いから止めてくれと言っていたとしたら…。


詩の冒頭「嫌だ」という言葉。

そのたった一言が
私には震えるほどの言葉だった。

その想いを持っている人がいたことに
おかしな言い方かもしれないけれど、私は救われたのです。




死ぬなんて、思っていなかった


生きていたかった


明日のことを考えていた


そばに居たからこそ、分かることがあります。
菜穂子さんも、きしおくんも
どんなことがあっても生きていたかった。
きっとそうだと思います。


そして、私たちは死んでほしくなかった。


どうしてもどうしても
生きていてほしかった。



何年も何年もかかってようやく

その人生は幸せなものだったと

そして神さまは、いつもそばに居て
見守ってくださっていると

ようやく今、私たちは心から言えるんだと思っています。



みほりんさん、知っていましたか?



平成12年6月8日、彼女は27歳の生涯を終えました。


そのたった二日前に
私は、たつきという命を授かり、母となることができたのです。


人のいのちの仕組みは、私にはよく分かりません。

けれど、人のいのちはときに距離も時間も超えて
綿々とつながるものなのかもしれませんね。



つづきはまた明日…。



お読みいただいて、ありがとうごさいます

山内 尚子 拝


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