川田先生に「愛」を皆さんに伝えてください、と言われて
『クリーニングの真実』を書きました。
それから、いろんな方に
「愛ってなんですか?」とよく尋ねられるようになりました。
何度も話すときに、言ってる自分の心にずしんと響くのは
まず「愛」と「愛情」はまったく違うということ。
「愛情」ならば得られない人がいるかもしれないけれど
すべての存在は、いつもいつも「愛」の只中にいます。
たとえば、母親に一度も「愛情」をかけてもらえなかった
というケースは悲しいことにあるだろうと思うんだけれども
「いのち」ができて、生きているということは
「愛」のエネルギーが成したことだということです。
「愛」は私たちの感情、気持ちには関係のないエネルギーです。
それを私たちが具現するってどうすることなのかというと
感情を超えて、すべての「あるがままを認める」ということになります。
神さまでも、ほとんどの神さまは感情をお持ちです。
すばらしい皆さまだけれど、
自分と気が合うとか合わないなんていうことが、
当然ながらあって、実はお互いに選びあっています。
神さまからのメッセージの書籍も
複数お手伝いさせていただいていますが
どの神さまかに強く肩入れすることがないのは
私がそういう立場にいるからです。
先日、ある先生と全然違う話をしていて
あー、そういうことだったのか、と分かったのは
愛って今ある全存在を私たちがとらえている
二元が一元に融合するエネルギーと書いていたんだけれど
どちらかというと融合して一元になるんじゃなくて
不二元(こんな表現思いつかなかった~)相対する関係じゃなく、
両方存在はありつつもバランスよく共存する状態の
エネルギーなんだということです。
ということは、やっぱり
境界はあるんだけれども見えないという「空」の世界なんだよね。
ちゃんとそれを自らの中に有する瞬間は
悟りとか至福とか、そういった世界なんだろうと思います。
でも、こういう話をしていると
まるで感情が悪者みたいに言う方がいらっしゃるんだけれど
それは全然まったく違います。
だって、全存在なのですよ~。
感情だって存在するものです。
これは人間特有のものなんですから
(地球以外の宇宙人さんは感情があんまりないので表情が乏しい)
いっぱい味わわないともったいないです。
味わいつつ、相反するものまでもバランスよく共存していく。
これ、ハードル高いです。
でも、それをやるために人間やってるんですよね。
最近お別れが多い気がするのですが
その人たちは、それを十分にやりつくして
身体を手放したということなんだろうと思います。
これだけたくさんの感情が渦巻く中で
(愛情もだけど、欲とか陰謀とか、そんなのもみんな感情の一種)
愛に基づく共存をっていうのは、すごい話なんです。
だけど、相反するものをつくるかぎり
武器をつかわなくったって、それは必ず争いになります。
ほんとに本格的に、宇宙からくるエネルギーが
(これももちろん愛なのですけれど)
増えてきていると思います。
太陽も月も眩しいほどに輝いていませんか?
あんなにいろんな雲、同時に出ないと思いませんか?
猛暑なのに豪雨なのに、自然の木々や草たち元気すぎやしませんか?
田んぼに白鷺、飛びすぎだと思いませんか?
(先日びっくりした!!別に自然農でもない田んぼで群舞してた……)
最近、遠くで近くで、
いろーんな相反する出来事、そこに起こる感情を見ていて
こんな感情を選び振り回されているままでは
苦しい時代がもう始まったんだなあと、しみじみ思います。
その証拠に、そういった情報に接すると、私自身が苦しくて仕方なくなる。
そう言っている私自身たぶんものすごく「情」が強いんだと思います。
それ自体は決して悪いことじゃないけれど
その感情を認めて見つめるんではなく
引っ張られて、ともすれば主体を譲ってしまいそうになる。
でも、それもすべて私が選んだことです。
最近は、よほど譲るのがイヤなのか、
自分に自覚がなくても、熱が出たりするようになりました。
というわけで、風邪もひいてないのに現在絶賛発熱中です……とほほ。
はいはい、ちゃんと愛に生きます。ごめんなさい。
12日の講演会には元気になって行けると思いますので
この文章のグタグタっぷり、表現の荒さ
そしてちょっとレスポンス悪いこと、どうぞお許しくださいますように。
今日は息子と一緒に早めに寝るぞ☆
『クリーニングの真実』を書きました。
それから、いろんな方に
「愛ってなんですか?」とよく尋ねられるようになりました。
何度も話すときに、言ってる自分の心にずしんと響くのは
まず「愛」と「愛情」はまったく違うということ。
「愛情」ならば得られない人がいるかもしれないけれど
すべての存在は、いつもいつも「愛」の只中にいます。
たとえば、母親に一度も「愛情」をかけてもらえなかった
というケースは悲しいことにあるだろうと思うんだけれども
「いのち」ができて、生きているということは
「愛」のエネルギーが成したことだということです。
「愛」は私たちの感情、気持ちには関係のないエネルギーです。
それを私たちが具現するってどうすることなのかというと
感情を超えて、すべての「あるがままを認める」ということになります。
神さまでも、ほとんどの神さまは感情をお持ちです。
すばらしい皆さまだけれど、
自分と気が合うとか合わないなんていうことが、
当然ながらあって、実はお互いに選びあっています。
神さまからのメッセージの書籍も
複数お手伝いさせていただいていますが
どの神さまかに強く肩入れすることがないのは
私がそういう立場にいるからです。
先日、ある先生と全然違う話をしていて
あー、そういうことだったのか、と分かったのは
愛って今ある全存在を私たちがとらえている
二元が一元に融合するエネルギーと書いていたんだけれど
どちらかというと融合して一元になるんじゃなくて
不二元(こんな表現思いつかなかった~)相対する関係じゃなく、
両方存在はありつつもバランスよく共存する状態の
エネルギーなんだということです。
ということは、やっぱり
境界はあるんだけれども見えないという「空」の世界なんだよね。
ちゃんとそれを自らの中に有する瞬間は
悟りとか至福とか、そういった世界なんだろうと思います。
でも、こういう話をしていると
まるで感情が悪者みたいに言う方がいらっしゃるんだけれど
それは全然まったく違います。
だって、全存在なのですよ~。
感情だって存在するものです。
これは人間特有のものなんですから
(地球以外の宇宙人さんは感情があんまりないので表情が乏しい)
いっぱい味わわないともったいないです。
味わいつつ、相反するものまでもバランスよく共存していく。
これ、ハードル高いです。
でも、それをやるために人間やってるんですよね。
最近お別れが多い気がするのですが
その人たちは、それを十分にやりつくして
身体を手放したということなんだろうと思います。
これだけたくさんの感情が渦巻く中で
(愛情もだけど、欲とか陰謀とか、そんなのもみんな感情の一種)
愛に基づく共存をっていうのは、すごい話なんです。
だけど、相反するものをつくるかぎり
武器をつかわなくったって、それは必ず争いになります。
ほんとに本格的に、宇宙からくるエネルギーが
(これももちろん愛なのですけれど)
増えてきていると思います。
太陽も月も眩しいほどに輝いていませんか?
あんなにいろんな雲、同時に出ないと思いませんか?
猛暑なのに豪雨なのに、自然の木々や草たち元気すぎやしませんか?
田んぼに白鷺、飛びすぎだと思いませんか?
(先日びっくりした!!別に自然農でもない田んぼで群舞してた……)
最近、遠くで近くで、
いろーんな相反する出来事、そこに起こる感情を見ていて
こんな感情を選び振り回されているままでは
苦しい時代がもう始まったんだなあと、しみじみ思います。
その証拠に、そういった情報に接すると、私自身が苦しくて仕方なくなる。
そう言っている私自身たぶんものすごく「情」が強いんだと思います。
それ自体は決して悪いことじゃないけれど
その感情を認めて見つめるんではなく
引っ張られて、ともすれば主体を譲ってしまいそうになる。
でも、それもすべて私が選んだことです。
最近は、よほど譲るのがイヤなのか、
自分に自覚がなくても、熱が出たりするようになりました。
というわけで、風邪もひいてないのに現在絶賛発熱中です……とほほ。
はいはい、ちゃんと愛に生きます。ごめんなさい。
12日の講演会には元気になって行けると思いますので
この文章のグタグタっぷり、表現の荒さ
そしてちょっとレスポンス悪いこと、どうぞお許しくださいますように。
今日は息子と一緒に早めに寝るぞ☆