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退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

泣かないで、花を見なさい

2014-10-18 04:49:36 | 韓で遊ぶ

バレリーナを夢見た少女
少女にはバレーに天性的な素質があった。
「あの子にはバレーの素質がある。一生懸命やれば世界的なバレリーナになる。」
少女を見た人たちは誰でもこんな言葉を言ったりした。
少女もまた世界的なバレリーナになることが夢だった。権威のあるバレー団の団員になって「白鳥の湖」のオデット姫や、「眠りの森の美女」のオーロラ姫のような役をやるのが最大の夢だった。
少女は自分の夢をかなえるために幼い頃からバレー専門の舞踊学園に行って授業を受けた。他の学生は1時間ぐらい練習をするところ、彼女は自らもう2時間練習をした。
少女に対する教師たちの期待も大きかった。少女の天賦的な才能も才能だが人にも負けない努力と誠実性を高く買った。もちろん自らに対する少女自信の期待も大きかった。
しかし、少女が15歳になった日だった。少女はいつもやるバレーの基本動作の何個かを練習していて急に足首に痛みが来たのを感じた。
はじめは大したことではないと無関心にいたが、日がたつにつれて足首のところが痛くなった。少女はあまりに練習をやりすぎたせいで足首に無理がかかったのだろうと思ってしばらくバレーの練習をやめた。
しかし、痛みはなくならず続いた。後になると歩くことさえちゃんとできないくらいに痛みがひどくなり病院へ行った。
病名は間接炎だった。それも完治したとしても激しい運動障害が残る間接炎だった。少女には、それは死刑宣告と同じだった。少女は足を上手く使えなくなった事実よりもバレーができなくなる事実の前に絶望した。
しかし、少女はあきらめなかった。毎日夕食の時間になるとトゥシューズを持ってバレー学校に行った。友達の練習の場面を見ながら心の中でバレーを続けた。
しかし、少女は結局あきらめなければならなかった。間接の炎症は立ったり座ったり歩くことには大きな問題はなかったが、激しい運動を要求するバレーはできなかった。
少女は毎日涙を流した。世界的なバレリーナになると言う夢をあきらめると言うことは少女には死を意味した。
少女は本当に死にたかった。これ以上生きていかなければならない人生の価値もないように思えた。最後にバレーを一度踊ってみて死んでしまおうと決心した。
日差しがまぶしい春の日、少女はトゥシューズを持って野原に行き楽しくバレーを踊った。しかし、足首に痛みを感じて地べたにしゃがみこんだ。
腹が立った。狂いそうだった。もうバレーをあきらめなければならないという事実を本当に認めなければならなかった。
少女は野原の片隅に歩いて行き、井戸の中にトゥシューズを投げてしまった。そして、その井戸の中を黙ってのぞいてみた。井戸の中には青い春の空と澄んだ雲が過ぎて行った。少女は自分もトゥシューズのように井戸の中に飛び込まなければならないと思った。
その時だった。誰かが少女の肩の上に黙って手をのせる人がいた。少女が通っていたバレー学校の若い女の先生だった。
「先生、私はこれ以上生きる意味がありません。バレーができないならばいっそ死んだ方がましです。」
少女は先生の胸に顔を埋めて泣いた。すると先生が少女の肩をトントン叩きながら言った。
「泣かないで花を見なさい。そして岩も。生きると言うのに意味のようなものは役に立たない。バラはバラらしく咲こうとして、岩はいつまでも岩らしくああやっているのじゃないの。ただ、誠実に、忠実に一日一日を一生懸命生きるのが一番だわ。そうしてみると自然に生きる甲斐も喜びも感じるようになる。そうやって絶望する必要はないわ。また違う夢があなたを待っているはずよ。」
コメント
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