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退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

울지 말고 꽃을 보라

2014-10-08 05:41:09 | 韓で遊ぶ

ある嘆願書
尊敬する検事様、私は先月20日死んだホドンスの母です。こんな手紙をさし上げるべきかどうかわからなくて、何回もためらいましたが、この手紙を書きました。私はチョンファニを許したいのです。検事様がチョンファニを許してくれたらドンスの代わりにチョンファニを息子に迎えたいです。
一人しかいない息子を殺したチョンファニの罪は憎いですが、だからとその幼い者を刑務所に送ることはできません。チョンファニを許してください。実の子を失った私が、息子の友達までも暗い部屋で苦しい日々を送らせることはできません。実の子を失った代わりにチョンファニを養子として迎えさせてください。
はじめは、そんな考えをする自分自身が本当に正常心なのか、それが心から出たことなのか、私自身もわからなくて、そんな考えをふるい落とそうと努力しました。もしかしたら自分自身を欺くことのようで、そんな思いをする度に首を振りもしました。
ですが、本当におかしなことでした。一度そんな考えをするとその考えが消えませんでした。チョンファニを憎んでいた心が無くなって、チョンファニをかわいそうに思う心だけが起こりました。
チョンファニは母親のいない子供です。母親もいない子供が友達を死なせた立場になって今裁判を受けていて、その気持ちがさぞかし大変でしょう。チョンファニもおそらく死にたい気持ちだと思います。
検事様もよくご存知でしょうが、チョンファニはその日ドンスをわざと死なせたのではないのです。その結果はとんでもないことだったのですが、その原因は単純な事故に過ぎません。その日ドンスとチョンファニは教会の前庭で遊んて喧嘩になっただけです。遊びの終わりにドンスがコンクリートの上に倒れて死んでしまうと考えたでしょうか。
二人はとても仲のいい友達でした。中学校に一緒に通っていた二人は高校も同じ学校へ通うようになって、まるで兄弟のようでした。二人はいつも一緒にいましたが、主にチョンファニが家によく来ていました。チョンファニは礼儀正しくドンスよりもしっかりしていました。今も、教会に行って来ますと挨拶して出て行った二人の姿が目に浮かびます。二人が遊んでいて一人が死ぬとは誰が想像できるでしょうか。
私はドンスが死んだという話を始めて聞いた時チョンファニを恨む気持ちでいっぱいでした。ですが、今はそうではありません。何日か前に子供のアルバムを見ていたら、ドンスとチョンファニが仲のよい姿で写った写真をみましたが、二人がどんなに仲良く見えたか、私はチョンファニだけでも助けてやりたいと思いました。
ドンスはもう私の元に帰ってくることはできません。死体を大田火葬場に送る時、今にもドンスが目をあけて「お母さん」と私の胸に飛んでくるようでしたが、今はそうではありません。一日一日時間が過ぎて、ドンスがもはや私の傍にいないと言うことを確実に感じるだけです。
検事様、ドンスの死は誰が悪いのでもありません。悪かったとしたら母である私の間違いだけです。すべてのことが私の間違いだと思います。ですから、チョンファニを私の懐に返してください。チョンファニをこのまま監獄に置くことはできません。息子を先立たせた母の心を汲み取って下さいませ。検事様がチョンファニを許して下さったら、チョンファニを息子として3人の娘と一緒に一生懸命生きて行きます。
今、チョンファニを受け入れて許さなければ、チョンファニは生涯苦しい人生を送ることは明らかです。小学校、中学校、高校に通う私の娘たちも私の意志に従うと言っています。
私はこの嘆願書を検事様に送って、子供たちをつれて8年前に胃がんでこの世を去った夫の墓に行こうかと思います。夫が死んだ時、一緒に死んでしまいたかった心を息子がぎゅうとつかんでくれました。もはや息子が死んでゆれる私の心を、夫を通してつかまえたいと思います。
検事様、どうか息子を失ったこの母の願いを聞いてください。
コメント
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