私ってなんだっけ?って、たしかに思いました、今日は
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月25日 - 20:31
忘れていたものを思い出した気がする日だった…ほんと癒やし
以前から、ずっと消えないイメージが有る
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月25日 - 20:33
中島本町が見える橋を渡る少女 荷物を手に抱えている
キラキラと光りながら降りてくる何か
次の瞬間、白い光に包まれて終わる記憶
…よく冗談で「私は原爆で亡くなった何人かの魂が複合体で詰まってる」というんだけど、それを聞いた人は皆笑うんだよね…わかる、わかるって…ふふ
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月25日 - 20:36
まあ、そんなこともあるかもしれないって話ね…とんでもですまそ。
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月25日 - 20:36
@pannacottaso_v2 「生殖相手の見繕いを女性の意思にゆだねる」のは人間にかぎらず生物界の多くがそのようなシステムになっているわけですが、それは(出産と子育てという)多量のリソースを投入する側が選択権を持つのは当然という、至極合理的な仕組みだと思いますよ。
— 安達瑶b (@adachib) 2016年11月25日 - 10:06
これはアダチブセンセに同意。
— おてつ (@guruado) 2016年11月25日 - 20:31
卵子と精子の数、生産スピードの差。
哺乳類だと妊娠、そして雌が子育てする種ではその事など、雌側の負担が大きい生物が多いために、雌側に選択権が強く思える。が、より多く良く残すためにも、雌は雌で選ばれているのだが、それがわからん納得いかん人もいるな。
人間は社会を作ることで子育て、繁殖を集団で行う事になった。
— おてつ (@guruado) 2016年11月25日 - 20:34
すると、その社会の構成要因としての負担というか仕事は雄の方に増え、今度は雄、男性の選択権が強くなったのかと思う。
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