大前小前宿禰の家を取り囲んで、今にも、ご兄弟の戦いが始まりそうになった時、その戦いの原因になった衣通姫は何処にいたと思われますか。軽御子と一緒に宿禰の家にいたのです。もうこれ以上、どうすることも出来なくなってしまった負け戦です。軽御子は宿禰に従って弟の穴穂御子の前に連れて来られます。
古事記には、その直前に(自分の命が以後どうなるかも分からない時にです)軽御子は、それまでご一緒にいた最愛の妹でもあり自分の妻でもあった衣通姫、「軽大郎女」に、
“伊多那加葉<イタナカバ 甚泣かば>”
「そんなに大声を出してしきりに泣いたならば」というぐらいの意味です。”知りぬべし” 「私たちの間の事をまだ十分知ってない人にまで知れてしまうではないか。」
もし泣くのであれば、私のように
“斯多那岐爾那久<シタナキニナク> 「下泣きに泣く」(心の奥底でしっかりと泣いて下さいな、恋しい我が妻よ」です
このように歌を読んで、衣通姫に惜別の哀歌といいましょうか、そんなに悲しんで物思いに沈まないでください。しっかりと生きて行って欲しいよと云う思いを伝えるべく、送っているのです。
そして、宿禰が望んだとおりに、伊予の湯の町に一人流されて行きます。
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