吉備津神社の神楽(その2)について、十訓抄にはもう一つ紹介しています。
②備中守政長が神拝に下りける時、則高正資時資など云う、時の舞上手共をいざなひ下りけるに
「吉備津神宮」
の御前にて、則高「陵王」を舞ひけえる時に、宝殿大にゆすりひびきておびただしかりけり。ここらに集りたる者共、驚きさはぎけるを、正資時資おそろしながら 思ひける様、則高が舞ことにかひ有てめでたし、忽に宝殿ひびき給へるいとど忝し。但、我等今落蹲<ラクソン>をまはんとす。若し、此時しるしなくば、いみじ き耻なるべしと思いひて、宝殿に向かひて、泣々祈申しけり。陵王入りて後、各舞ひけるに、始より増りざまに宝殿ゆすり、いとどおそろしかりけり。
と。
昨日の「博多の楽人」の逸話からも分かるように、鎌倉中期には吉備津神社に多くの楽人がその舞を納めに来ていたことがわかります。其の奏でる楽曲が激しく社殿を揺るがすほどに鳴り響いたというのです。則高正資時資などは当時の有名な京都の楽人です。これは備中守長政が備中の守護職に任命され、それに伴う備中一宮たる吉備津神社への参詣時の逸話です。
②備中守政長が神拝に下りける時、則高正資時資など云う、時の舞上手共をいざなひ下りけるに
「吉備津神宮」
の御前にて、則高「陵王」を舞ひけえる時に、宝殿大にゆすりひびきておびただしかりけり。ここらに集りたる者共、驚きさはぎけるを、正資時資おそろしながら 思ひける様、則高が舞ことにかひ有てめでたし、忽に宝殿ひびき給へるいとど忝し。但、我等今落蹲<ラクソン>をまはんとす。若し、此時しるしなくば、いみじ き耻なるべしと思いひて、宝殿に向かひて、泣々祈申しけり。陵王入りて後、各舞ひけるに、始より増りざまに宝殿ゆすり、いとどおそろしかりけり。
と。
昨日の「博多の楽人」の逸話からも分かるように、鎌倉中期には吉備津神社に多くの楽人がその舞を納めに来ていたことがわかります。其の奏でる楽曲が激しく社殿を揺るがすほどに鳴り響いたというのです。則高正資時資などは当時の有名な京都の楽人です。これは備中守長政が備中の守護職に任命され、それに伴う備中一宮たる吉備津神社への参詣時の逸話です。
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