しばらく書紀にいたのですが、また、古事記に戻ります。
「紀」では“一柱騰宮”<アシヒトツ アガリノミヤ>と書かれていたのですが、「記」には
“足一騰宮而献大御饗”
と書いております。これだと<アシヒトツアガリノミヤ>とすなおに読めます。もしかして「紀」の作者も「記」の読み方を参考にしたのではないでしょうかね???わざと漢文調に文を作ったのではないでしょうか。これだと<アシヒトツアガリ>とは読めませんものね???
この二つの文を比べてみますと、やはりその内容は兎も角として、読みやすいのは太安万侶に軍配を上げたいと私は思います。そこには「紀」にしか記されてはおりませんが、騰宮に着いたのが十月で、そこに一カ月滞在して、十一月には筑紫の国
“岡田宮一年座<オカダノミヤニ ヒトトセ マシマシキ>”
に到着して、そこに一ヵ年滞在します。
「紀」では“一柱騰宮”<アシヒトツ アガリノミヤ>と書かれていたのですが、「記」には
“足一騰宮而献大御饗”
と書いております。これだと<アシヒトツアガリノミヤ>とすなおに読めます。もしかして「紀」の作者も「記」の読み方を参考にしたのではないでしょうかね???わざと漢文調に文を作ったのではないでしょうか。これだと<アシヒトツアガリ>とは読めませんものね???
この二つの文を比べてみますと、やはりその内容は兎も角として、読みやすいのは太安万侶に軍配を上げたいと私は思います。そこには「紀」にしか記されてはおりませんが、騰宮に着いたのが十月で、そこに一カ月滞在して、十一月には筑紫の国
“岡田宮一年座<オカダノミヤニ ヒトトセ マシマシキ>”
に到着して、そこに一ヵ年滞在します。