私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「媛蹈鞴五十鈴媛」という言葉らら考えられること

2018-07-17 09:18:16 | 日記
 どう読むと思いでしょうか。此の媛はオホクニの息「事代主命」の娘です。どのように繋がったのかは知れませんが、あの神武天皇の正妃になられた女性です。名前を

           “媛蹈鞴五十鈴媛”

 と云います。
 この「蹈鞴」は「タタラ」と読むのだそうです。
 「たたら」ですが、5世紀になってから、日本ではようやく「たたら」によって鉄の生産が始まったと云われております。弥生には、朝鮮半島より鉄の原料を輸入して、それからようやく鉄製品を作ったようです。その後、古墳時代には入ってからですが、我が国でも、鉄の原料となる砂鉄の発見により、直接、鉄を生産する事が出来るようになります。砂鉄から鉄を作りだすための道具、「溶鉱炉」ですが、それを「たたら」と呼んでいたのです。
 この「たたら」は、現在、出雲や吉備など中国山地に沢山その跡が残っていますから、この一帯から我が国の太古の鉄が大量に作られていた証拠です。
 日本書紀では、その鉄と関連付けたのでしょうか??神武天皇の正妃に、その出雲と関連ある事代主神の娘“媛蹈鞴五十鈴媛命”を当てておりますが、その媛の名に、敢て、「たたら」と云う名前を付けております。
 でも、神武天皇の時代には、日本社会には、「たたら」のような先進技術は、まだ、なく、未開な社会だったことは確かです。神の国だと言っても、本当は、鉄を生産することも出来ないような社会であったのです。だから、せめて、文字からだけでも、当時の日本の国は、さも文明社会の仲間入りしていたのだ、と言う事を云いたくて、そのような文明を匂わす「蹈鞴<タタラ>」を名前に冠した女性を作り上げたのでした。そのために鉄の生産と深く関わりの有る出雲出身の女性を作り上げて、天皇の妃にしたのではないかと思っております。
 それを持って、日本書紀を編集した人が、さも、日本は、当時から、このような文明社会に仲間入りしていると云う事を証明するような高度な生産手段を手中に納めて、相当高い文化的生活をしていたと言うことを天下に言いふらすために作り上げた言葉ではないかと思います。

 まあ、それだけ、当時の日本の社会では、「出雲国」が大変強い勢力を保持して「倭」と対峙していたと言う事が分かります。