
石見の伝説と歴史の物語−11 (甘南備寺山麓の坂本集落)
3.3. 甘南備寺山 さて、神奈備山、現在の甘南備寺山についてもうすこし詮索していく。 甘南備寺山の山腹には無数の無縁仏が存在する。 かつて付近の人々はこの山に先祖を埋葬し墓...

石見の伝説と歴史の物語−12 (柿本人麻呂伝説−1)
4. 柿本人麻呂 柿本人麻呂が作った歌は約370首あり、万葉集には長歌16首、短歌が61首載っている。 しかしこれほどの万葉の大スターでありながら、人麻呂の名は正史に全くあらわ...

石見の伝説と歴史の物語−13 (柿本人麻呂伝説−2)
4.1.2. 戸田柿本神社旧記 益田市戸田町に戸田柿本神社がある。 社伝によれば、当地の「語家(綾部家)」の出身である柿本人麿が、老年を過ごした高角鴨山で神亀元年甲子3月18日...

石見の伝説と歴史の物語−14 (人麻呂さんと邑智郡)
4.2. 人麻呂さんと邑智郡 柿本人麻呂は景雲二年(705年)の頃に石見の国守として那賀郡の恵良(現在の江津市二宮町)に赴任してきたと伝えられている。 ...

石見の伝説と歴史の物語−15 (柿本人麻呂終焉の地)
4.3. 人麻呂の終焉の地 柿本人麻呂の終焉の地については大和・近江・石見等の諸説がある。 人麻呂の終焉の地は次の歌を根拠にして探し、推理が展開されているが、決定的な論説は出て...

石見の伝説と歴史の物語−16 (人麻呂と渡の山)
4.4. 人麻呂と渡の山 白石昭臣の、鴨山は甘南備寺山であった、という話からある妄想が湧いてくる。 ...

石見の伝説と歴史の物語−17 (行基現われる)
5. 神奈備山の修行道場 甘南備寺伝によると甘南備寺は天平18年(746年)に行基菩薩によって創建されたと伝わっている。 天平十八年人皇四十五代聖武天皇の御代行基菩薩は普く諸国...

石見の伝説と歴史の物語−18 (行基修験道場を造る)
5.2. 行基修行場を造る 行基は数日間、山を巡って探索した。 行基は山を下りると渡村の保長に会いに行った。保長は坂元と云う男だった。 行基は坂元に厳か...

石見の伝説と歴史の物語−19 (甘南備寺命名の話−1)
6. 甘南備寺の命名の話 奈良時代から平安時代の初期にかけて、甘南備濱吉という男がいた。 石見の国守として、弘仁6年(815年)7月13日に柿本人麿から数えて14番目の国守に任...

石見の伝説と歴史の物語−20 (甘南備寺命名の話−2)
6.2. 神奈備山の謂れ 京都への旅路は順調であったが、井田を過ぎた頃から雨風が強くなってきた。 台風が近づいてきたのである。 渡村に着いた時には江の川は増水しており、渡し船...