
望洋ー113(連隊会)
67.連隊戦友会 67.1.戦友会 戦友会とは、同じ部隊や戦場で従軍した元軍人同士が集まって組織する民間団体で、主に、戦死者の慰霊や親睦、体験談の語り合いなどを目的として設立さ...

石見の伝説と歴史の物語−227(慶長の役)
70.豊臣秀吉(続き4) 70.7.慶長の役 文禄の役での降伏の上表文を受け取った明は、日本軍の朝鮮半島からの完全撤退、勘合貿易の不許可を決定し、秀吉を日本国王に任命することに...

石見の伝説と歴史の物語−226(文禄の役)
70.豊臣秀吉(続き3) 70.5.遠征準備 天正18年(1590年)11月7日に朝鮮通信使と引見すると明遠征準備を始動した。 天正19年1月20日、秀吉は常陸以西、四国、九...

石見の伝説と歴史の物語−225(日朝交渉決裂)
70.豊臣秀吉(続き2) 70.4.日朝交渉の決裂 秀吉は朝鮮に対して、日本に服従し、日本軍を明まで案内し、ともに明と戦うよう申し入れをし、命令に従わねば討伐するという態度を示...

石見の伝説と歴史の物語−224(秀吉の野望)
70.豊臣秀吉(続き) 70.3.秀吉の明征伐の野望 秀吉は国内統一を完成すると、その野望は国内だけでなく海外に及ぶようになった。 秀吉は中国大陸の明を征服しようと考えたので...

石見の伝説と歴史の物語−223(秀吉の石見銀山所有)
70.豊臣秀吉 毛利毛は永禄6年(1563年)、当主隆元(元就の嫡男)が早世し、長男の毛利輝元が若くして家督を継ぐと、元就・元春・隆景が後見した。 永禄9年(1566年)に毛利...

望洋ー112(若潮の塔の建設)
66.若潮会 若潮会設立の為の連絡委員会を設け、設立を目指した。 そしてまた、小豆島に慰霊塔の建設の実現に向かって動き出した。 連絡委員は第一期生の場合は各戦隊毎に、第二期生...

望洋ー111(挺進戦隊戦没者慰霊碑建立)
65.㋹会(続き) 65.4.海上挺進戦隊戦没者慰霊碑建立 広島県安芸郡(現江田島市)江田島町幸ノ浦町に海上挺進戦隊戦没者慰霊碑が建立され、昭和42年12月3日に、関係者350...

望洋−110(㋹会)
65.㋹会 戦後、生還した元特幹隊員や関係者が集まって特幹隊及び海上挺進戦隊を偲び、戦没者を追悼する会が様々できた。 その中で、主だった会について述べていきたい。 なお、今ま...

望洋−109(日本の復興)
64.日本の復興 昭和25年(1950年)2月、GFQは日本の日本の工業生産が戦前のレベルを回復したと発表した。 日本経済に復興の兆しが見えてきたのである。 しかし一連の引締...