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旅日記

沖縄観光 5日目(2/2)

沖縄観光 5日目(2/2)

 

宮古島海中公園には行かず、近くの展望台と近くにある史跡「海軍特攻艇格納秘匿壕」を見学しました。

海中公園展望台

展望台へは木製の歩廊を通って行きます。

いい雰囲気です。

海中公園展望台への道 (2020-10-1)

展望台は高さ海抜11mあるそうです。

 

海軍特攻艇格納秘匿壕

<宮古島市教育委員会史跡説明>

狩俣の南西海岸丘陵地に所在する。本壕と脇豪合わせて、総延長約300mの規模で、5ヶ所の出入口を有する海軍313設営部隊により築造された。1945(昭和20)年3月1日から終戦まで第41震洋特別攻撃八木部隊の特攻艇の格納秘匿壕として使用された。八木部隊の隊員は狩俣の基地で出撃を待ったが、連合軍の宮古上陸が回避されたため、終戦まで特攻艇が出撃することはなかった。
この秘匿壕のほか、連合軍の上陸に備えて荷川取のウプドゥマーラ・久貝のウパーマ・トゥリバーなどに特攻艇の秘匿壕が設けられており、戦争末期の宮古における作戦や戦況などを知る上で貴重な戦争遺跡である。

碑の後ろに壕がありますが、草木が茂っており中にはいることが出来ませんでした。

 

この後、平良にある「元陸軍海上挺身第四戦隊 駐屯地跡」を訪ねます。

 

元陸軍海上挺身第四戦隊 駐屯地跡

海上挺身戦隊とは

大東亜戦争で特攻と言えば旧海軍の神風特別攻撃隊、回転特別攻撃隊(人間魚雷)、震洋((小型特攻ボート) マル四と呼称)はよく知られていますが、旧陸軍にも海上挺身隊(マルレと呼称)という特攻がありました。大本営陸軍部・海軍部は四式肉薄攻撃艇/マルレ(陸軍)とマル四(海軍)をあわせてと呼称しました。

昭和19年7月24日に大本営陸海軍部として決定された「今後の作戦指導大綱」の基本方針に従い、米軍上陸用船団に対して、海上挺身隊が陸軍航空兵力と並んで洋上攻撃方法として特攻戦闘方法が採用されことになりました。

この方式は人間魚雷的なものを、予め米軍が上陸すると予想される近くに配置し、米軍の上陸時に上陸用船団の側背面から兵員・兵器を満載している米軍輸送船に爆薬を積んで体当たり攻撃する方法です。

海上挺身隊は戦隊長(少佐又は大尉)以下107名で構成されました。

昭和19年9月に第1~10戦隊が編成され、引き続き10月に第11~30戦隊が編成され、小豆島で艇の操縦訓練、江田島の幸の浦で特攻訓練を受け、任地に赴いています。

 

この海上挺身隊に興味を持ったのは、実家の書籍等を整理していた時に、戦友会の資料(手紙や手記)を見つけたときからです。

父はこの海上挺身隊の隊員だったのです。

かつて子供の頃、父親から一度だけ「儂は特攻の生き残り」であると聞いたことがありました。

父は陸軍であったので、この特攻の意味を今まで良く分からぬまま深く考えもしませんでした。

 

戦友会の資料の中に、海上挺身隊で生き残った人たちが当時の状況を手記にして冊子にしているものがありました。

この冊子を読んで、海上挺身隊がどのようなものであるか知ることが出来ました。

 

父は海上挺身隊第四戦隊(宮古島が任務地)に所属していました。

そして訓練の状況や、任務地に行く途上で米軍戦闘機に襲われたことや、多良間島に漂着したこと、宮古島に到着後、マラニアに罹り病身で終戦を迎えたことを手記にしていました。

座間味島から宮古島までは100トンぐらいの木造機帆船に攻撃艇を積み込み数隊に分けて向かったそうです。途中悪天候に会いまともに宮古島に到着したのは数隻で、中には台湾に漂着した船もありました。

台湾に漂着した船は戦況がら再度宮古島を目指すことが出来ず、終戦は台湾で迎えたそうです。

 

結局米軍は宮古島に上陸せず、沖縄本島を直接攻めたため、海上挺身隊は出撃することはなかったようです。

いつかこの宮古島にきてこの地を参拝したいと思っていました。

碑は荷川取公園の間道の傍にひっそりと建っていました。

 

戦争史跡の続きで、次に行ったのは「大浜の特攻艇秘匿壕群」です。

「大浜の特攻艇秘匿壕群」は伊良部大橋の100m手前の左側にあります。

大浜の特攻艇秘匿壕群

<宮古島市教育委員会史跡説明>

宮古島から伊良部大橋へと繋がる道の左手側に、数多くの壕が残されています。これらの壕群は、琉球石灰岩を「コの字型」や「H型」に、掘り込んであります。壕には特攻艇を移動させるためのレールを設置した際の敷石が残っています。こちらの壕群には「海上挺進第30戦隊」の特攻艇を秘匿する予定でしたが、奄美近海で全滅してしまったため、使用されることなく終戦を迎えました。

看板の裏に壕があります。

雑草をかき分け入りました。

 

 

重い気持ちになっていたので、見晴らしのいい所に行って気分転換をします。

宮古島最後の訪問地は伊良部島の牧山展望台にしました。

 

牧山展望台

伊良部島で最も高い場所にあるのが、町のシンボル「サシバ」が羽を広げて飛んでいる姿を模した牧山展望台です。

ここからは東側に宮古本島、来間島、池間島が見渡せ、美しい海や真っ青な空が一面に広がっています。

 

レンタカーを返して飛行場に行きました。

 

沖縄に帰る飛行機での出来事

定刻どおり宮古島空港を出発して、定刻どおり那覇空港に到着しました。

宮古島空港を離陸するとき、係員の方たちの見送りです。

機内の乗客の殆どの方は気が付いていないと思います。

飛行中羽根の一部が開いていました。単純そうに見える羽根ですが、内部は複雑そうです。

那覇空港に着陸してからターミナルに着く前に、他機が離陸するところを間近に見ました。

離陸する飛行機(2020-10-1)

 

ホテルに着いたのは20時過ぎていました。

これから洗濯して、食事をします。

食事はバイキング料理にしました。

 

 

<続く>

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