「けやぐの道草横丁」

身のまわりの自然と工芸、街あるきと川柳や歌への視点
「けやぐ」とは、友だち、仲間、親友といった意味あいの津軽ことばです

#20.壺屋焼 沖縄のやちむんたち

2013年08月05日 | 工芸
  わが家で最も早くから活躍してきてくれたのが、沖縄、壷屋焼/つぼややき/のやきもの=やちむんたちです。ほとんどが、30年以上前からけやぐになって、食卓をともにしてきたうつわたちです。こうして並べてみると、壷屋焼本来の土俗的なすご味とは少々趣きの異なる、明るくさらりとしたうつわをコレクトしてきたことが一目瞭然です。それでも、他には例のない沖縄の独特の風合いを十分楽しむことのできるラインナップだと思います。

  沖縄、壷屋のやちむんは、「みんなで楽しむやきもの」だとつくづく思います。

  使い手の食卓ではもちろん、皿洗いの時間でさえ楽しくすごすことができます。この楽しさはどこから来るのだろうと考えてみると、作り手の作るときの楽しさ、作り手が使うときの楽しさが、そのまま伝わっているのではないかと思えるのです。作り手が自ら使いたいように作っている。そこにはショールームやディスプレイなどに陳列されるイメージはなく、ダイレクトに使い手のテーブル、手、口、舌に届くことが当然のように作られているように感じます。作り手の工房と使い手のくらしとの距離感は、短ければ短いほどよく、作り手の思いも使い手に伝わりやすいのではないかと思います。

  このうつわで育ってきたわが家の娘たちは、ことばでは言い表さないものの、最近になって、伝統の素材に、手ろくろ、手描きが施された、プリミティブな日本のやきものの味が、潜在的に伝わっているのでは?と感じることが、普段の些細な瞬間にまま見受けられるようになってきました。

  壷屋焼の来歴に思いを寄せると、朝鮮(本土や薩摩)、中国(清)、ベトナム(安南/アンナン)の流れ・交流・影響があったにもかかわらず、「山水」や「深山幽谷」の図柄が用いられた例を知りません。本土の磁器産地のような中国染付の図柄の写し・踏襲などの圧倒的な影響が、不思議なくらい見あたらない。沖縄ははっきりとした四季の区別のない亜熱帯性の気候であることもあるのでしょうが、海外の影響を受ける以前から、すでに沖縄の美意識は確立していたのではないかと思われます。

  しいて思われることは、壷屋焼の絵付がいつもホッとさせてくれる「作為」のないところ。これには朝鮮・李朝白磁染付の魅力に通じるものがあります。作為のない画法というものは、作り手の生活感そのものの表出ではないか。また、生活感に基づくデザインシーズ(種)ほどしなやかでかつ強靭なものはないのではないか。さらには、明治時代のなかばすぎ、沖縄をたびたび訪れた「民芸」運動の中心的な方々は、このような制作態度を間近に見て驚嘆し、もろ手で作り手の「背中を押して」くれたのではなかったかなどと考えます。

  また、壷屋焼の絵付の特徴といってもいい抽象文様にも、作為のない自由さがあります。それがうつわと一体となって危ういところがありません。抽象文様の開発や、モチーフの抽象化においては、沖縄のやきものに限らず、染織工芸品においても非常に高度な基礎能力が拝見できます。これは、本土では自然の四季の「移ろい」が重要なくらしの基盤であるのに対し、沖縄では「豊富な」自然との一体化が大切なくらしの基盤であり、普段から自然や動植物の本質を肌で直感しているためではないかと思います。

  作り手の使いたいように作ったうつわたちには、ハレ(晴)とケ(褻)の「ケ」の素晴しさを発見させる力があり、使い手の日々の何気ないくらしのなかに、「実感するくらし」を演出してくれる力が備わっていると思います。

  沖縄のやちむんには、いつも「青い空」や「紺碧の海」が見え、「人の和」を尊ぶ「かちゃーしー」の音、リズム、熱気が伝わってくるように想うのです。


泡盛を島でまかいで呑む美味さ  蝉坊


※「まかい」とは、沖縄で「碗」のこと。


●壷屋陶器会館は那覇市「壷屋やちむん通り」にあります。ぜひお出かけください。



《 関連ブログ 》
● けやぐ柳会「月刊けやぐ」電子版
会員の投句作品と互選句の掲示板。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu0123
● ただの蚤助「けやぐの広場」
川柳と音楽、映画フリークの独り言。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu575


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。