「けやぐの道草横丁」

身のまわりの自然と工芸、街あるきと川柳や歌への視点
「けやぐ」とは、友だち、仲間、親友といった意味あいの津軽ことばです

#62.ちょっと一服(5)高橋竹山のCD一枚

2018年09月24日 | ちょっと一服
「津軽三味線 高橋竹山 決定盤」と
「八戸・小唄寿司」の取り分け「バチ」
Photo by Semibo
09.17.2018

この8月初めに、ふと聴きたくなって「津軽三味線 高橋竹山 決定盤」(1996/日本クラウン版)という音源を取寄せ、幾度も聴きました。
どう聴いても、海=陸奥湾・野辺地湾の光景が浮かんで来るような気がします。

3歳で麻疹のために視力を失ったという竹山先生の脳裏には、故郷・平内町小湊あたりで見た海岸の、しかも手着かずの極めて原初的な光景が刷り込まれていて、それを本能的にイメージしながら、三味線を「奏でて」いるのではないか?
白砂青松、椿の森、早朝のさざ波、午后の荒波、夕暮れのべた凪ぎ・・浅所海岸あたりのオオハクチョウの群れ。
「風雪流れ旅」感覚だとおのずと「叩き三味線」になってしまうのではないか?。

偶然、小生の父方の祖母も小湊生まれ。
昔、RAB/青森放送/の番組に竹山先生が出演すると、祖母はきまって大きな声で「ジャド!ジャド!/座頭のこと」といって嬉しそうに、懐かしそうに見入っていました。
その言外の大意を汲むとすると「昔小湊でよく見かけた門付けの若いボサマが、大出世してテレビにでているよ!みんなで視よう!聴こう!」といっていたように想い出します。

昔むかし、一時油川(下町)在住だった津軽民謡・中興の祖、成田雲竹先生のもとへ通っていた竹山先生や須藤栄子(雲栄)さん。
蛇足ですが、竹山先生の終の病もわが祖母と同様、喉頭がんでした。

この8月3日津軽三味線のヘッドホン(放射線治療の影響で聴力が落ちている)を置いて、BS日テレを点けると、なんと偶然ねぶた祭りのライブ放送中で、しかも子供ねぶたは「油川幼稚園」のチルド連からのリポートでした。
小生の母園、60年前の創立確か2回生でした。
ふるさとに酔い痴れた盛夏の一夜ボッチとなりました。



CDの実景だけではオリジナリティに欠けると思い、拙くらしの中に何かないかなぁと考えてみようとしたら、頭の中に豆電球(昼光色)が灯ったのが、三味線の「バチ」の形をデザインした、八戸名物「小唄寿司」付属の取り分け「バチ」、しかも2本も、キッチンの引出しに眠っていました。
全国各地を巡っていた現役の若い頃には、幾多の駅弁では富山名物「鱒寿司」が大好きでしたが、中年を迎えてからは、灯台下暗し、東北本線八戸駅のこの弁当がマイブーム全国一位となっていました。

鱒寿司は青々とした熊笹の如才ない上方文化的包装で付加価値を醸し出していたのに比べ、小唄寿司はどちらかといえば味本位・直球勝負的「風呂敷のようなビニール」で直接食品を包んでいた(当時)のが、いかにも素材の国・南部文化らしいユーモアを感じ、以後文句なしにハマってしまいました。
そのビニールを恐る恐る御開帳するときに手に着いてしまう、サバとベニサケの風味のある漬け酢?(いわゆるマリネ液?)の多少強烈な匂いが、板橋の自宅に着いてもしばらくはほんのりと指先に残っているのが嬉しくて、あゝきっとまた食べるぞ~!と、残り少ない記憶エリアに刻もうとしたものです。



締め鯖と竹山芸で酌む冷酒  蝉坊



《 関連ブログ 》
● けやぐ柳会「月刊けやぐ」電子版
会員の投句作品と互選句の掲示板。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu0123
● ただの蚤助「けやぐの広場」
川柳と音楽、映画フリークの独り言。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu575




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