昨日、3月11日は忘れられない日です。
直接の被害はほとんどなかった我が県の地元紙でも記事で大きく取り上げられていた。
1万5900人の方が犠牲となり、今なお行方が分からない人が2525人という未曽有の大惨事でした。
あれから10年が過ぎましたがあの日のことは今でもはっきりと憶えています。
当時はまだ現役で会社勤めをしていたのですがフレックスタイム制度を使って早出早帰りをしていた賢パパにとってはあと1時間もすれば退社時刻になる午後3時前のことでした。
実験室で秤を使って作業をしていたのですが・・・足元が突然ゆらゆらと揺れた。
最初はめまいかしらと思ったんですがそうではなかった。
実験室に隣接する居室の方から「地震だ~!」という大きな声が聞こえて初めて地震だと知った。
そのぐらいゆっくりとした揺れだったんです。
すぐに構内放送が入って全員が会社のグラウンドに避難したわけですが・・・40年以上の会社員暮らしでしたが訓練以外で避難をしたのはこの時の一度だけでした。
グラウンドに避難している時も何度か揺れがあり・・・しばらくして治まったようなので解散して職場に戻った。
戻ってからも何度か小さな揺れがあって・・・完全に治まるまでには時間がかかった。
避難したグランドではケータイを持っている人が情報を取っていたので東北地方で大きな地震があったことを知った。
賢パパの故郷でも大きな被害があったようで・・・心配で親戚中に電話をかけまくりましたが全然通じず。
同じ東北でも被害の小さかった秋田や山形とは電話がつながったのですが・・・福島と宮城は全然ダメでした。
結局、親戚の安否確認が出来るまでに何日かかかりましたが全員無事と知って一安心。
10年後の現在でも避難生活を余儀なくされている方が4万人以上という厳しい状況が続く。
そんな日に思うところあってある所に行って来ました。
仕事を終えて帰宅したのが8時半過ぎのことで・・・着替えを済ませたら飲料水だけ持って部屋を出て通勤路を東に向かう。
途中でこんな所に寄り道をしたのは今月の「寿司飲み会」をいつにするかの相談をするためで
すぐに相談がまとまったのでそのまま東に向かって歩き続けて・・・部屋を出てから30分ほどで着いたのがこんな看板の所でした。
ここから登り始めるのですが・・・NPO法人が運営するこの建物の通路を通らせてもらって登山道に入る。
スタート直後はこんな階段を上って行きますが
かなりの急登で息が切れる。
登り始めてから20分ほどで稜線上の縦走路に上がったら
それを東に歩いて行くと目的地の山頂が見えて来る。
どうしてこの日にここへ来たのかといいますと・・・東日本大震災で大きな被害を受けたのが岩手、宮城と福島の3県で北国と呼ばれている地方。
北国と言って真っ先に思い出すのがあの有名な歌謡曲である「北国の春」というのは果たして賢パパだけでしょうか・・・?
で、その歌詞にある「コブシ咲くあの丘北国の・・・」の一節であります。
そうです、この山頂にはコブシの大木が3本もあるんです。
そのコブシが開花の時期を迎えたので様子を見に来たというわけでありますよ。
果たして・・・頂上に着いてみるとまさに今が見ごろ。
圧倒されて息が詰まるぐらいの存在感です。
毎年、この時期にはここに来てこの花を見てあの災害に思いを巡らすのですが今年の開花はまるでこの日に合わせたように早かった。
去年の3月12日がこのくらいの開花で
その前年に至っては3月20日でもこの程度しか咲いていなかった。
それが今年に限ってこの日に合わせたような開花というのは・・・やっぱり10年目の節目の年だということかしら?
そんな思いで眺めて来た今年の震災の日のコブシの花でした。