当ブログを長く見ていただいてる方はお気づきかと思います
いつも一緒に登山や旅にでかけていたカミさんが長く登場していません
なんかあって離婚したんじゃないか
ゲンゴロウに嫌気がさして家を出て行ったのかとか
思われてる方もいるでしょう
ご近所さんもまったくカミさんの姿を見なくなりそう思ってるようです
僕から話しないし、聞くに聞けないんだと思います
ごく少数の方にしか言えなくて、このブログでも一切触れてきませんでした
1年前の12月初めでした
突然カミさんが倒れました
9時間を超える緊急手術を行い
それからこの1年間ずっと入院しています
意識がありません
僕の人生でこれほど辛いことはありません
長くなりますが
オロオロ、メソメソしている自分のことなど
この一年を振り返って記したいと思います
病名は伏せさせていただきます
でかけた先で倒れてるところを発見されて救急搬送されました
救急車から電話があり「急ぎ〇〇病院にきてください」
いろんな検査の同意書に意味も分からずサインして
約2時間後に医師から説明がありました
・緊急手術を行います
・がんの手術とは違い、死ぬか生きるかの手術になります
・7時間くらいかかります
病名や容態の説明は理解できませんでした
あんな元気溌剌の人がいったいどうした? なぜ?
何かの間違いにちがいない、とにかく信じられない
夕方6時すぎに手術が始まってから
看護師さんから説明がありました
・しばらくは入院生活になるために用意するもの
・手術代のこと
・血液を大量に使う大きな手術ですがチーム一丸で全力をつくします
(献血80回してます、同じB型です、僕の血も使って・・言えませんでした)
大病院の静かな待機室にて
心臓が高鳴ったまま果てしなく長い長い夜でした
結局9時間を超える手術になり、終わったのは朝3時半ごろ
4時半に執刀医から無事に成功したと手術の画像を見ながら説明を受けました
「麻酔がきれて24時間くらいすれば目を覚ますと思います」
「2週間はなにがおこるかわからないリスクがあります」
「今、面会していってください」
機械だらけのICUの個室で人工呼吸器をつけてるカミさん
手を握るとあたたかくて・・・
その瞬間、嗚咽しながら号泣しました
よかった・・ 生きてる・・・
命を救ってくれた先生にすがるように泣きながら感謝を伝えました
2日たっても3日たっても意識は回復しません
コロナで面会はできないので、看護師さんからの電話で容態を聞きました
手術から約2週間後にいろんな数値が安定したとのことで一般病棟に移りました
そして問いかけに反応する様子もでてきました
希望はありますよ、と聞いて
どんな状態でもいい
とにかく話ができるまで回復してほしいと祈るばかりでした
生活は一変しました
通帳、保険、何がどこにあるかさっぱりわからないし
家の事はすべてにおいてカミさんにまかせており
どう生活すればいいのかわからない
俺はどれだけ依存しているんだか、愕然としました
誰にも言っちゃいけないと思いました
このブログも閉鎖してぜんぶ消そうかと思いました
仕事する気がなく、誰かに合うことも嫌になりました
冷静なつもりがパニックでまったく正常ではなかったと思います
散らかっていく家を眺めて
これじゃいかん、怒られる
カミさんがやってくれていたことは全部やろうと気合を入れました
掃除、洗濯、そして食事を毎日作ること
帰宅が遅い金太郎に食事を出すこと
金太郎がいてくれるだけでどれだけ心強かったか
一人だったら何もやらず不摂生な生活になったかもしれません
2週間で3kg体重が減りました
食べなきゃいかんと意識して食べても食べても減っていく
精神的なことで体が消化吸収しないことを初めて経験しました
そして大晦日のことでした
その日はケンシロウが帰省してて、金太郎もこの日から休みで
ひさしぶりに3人で家にいました
病院から慌てた様子で電話があり
「容態が急変しました、すぐ来てください、何分で来れますか!」
「死ぬな、〇〇ちゃん死んだらだめだ」と叫びながら車を飛ばしました
1時間ほど待って担当医から呼ばれました
・心肺停止してしまった
・なんとか蘇生して今は安定しています
・またICUでしばらくみます
「こんなときです、ご家族がいれば面会してください」
BOYSを呼びました
面会禁止で会えるはずはなかったのに久しぶりに家族4人が揃いました
鍋を食べながら紅白歌合戦をみんなで見るはずだったのにね
ベッドの両側でお母さんの手を握るBOYSを見てたら泣けました
きっと子供たちに会いたかったんだろうなと思いました
心肺停止のダメージが大きかったようです
その後、今日まで意識が回復することはないままです
残念ながらこれからも回復は厳しいそうです
映画のような奇跡は起こらないのが現実・・・辛いです
これまで将来への不安とかあまりなかったんだけど
ふと「俺が倒れたらどうなるんだ?」と
BOYSにどれだけ負担をかけてしまうだろう
急に怖くなりました
車の運転がのろのろになりました
すべてにおいて生き方が慎重になりました
泣いてばかりで
自分の弱さを思い知りました
スーパーで買い物してるときとか突然涙がでてきます
泣き方が異常です、迷子になった子供が泣き叫ぶように
ある先輩に相談すると
「誰かを想って泣けることは幸せなことだから、泣けばいいんだよ」
それで安心して泣くのを我慢しないようにしています
体の不調が次々に出ました
坐骨神経痛、肋間神経痛、変なしびれ、じんましん、、
医者はストレスが原因じゃないかと
ストレスと言われるのは心外だけど
もしやカミさんの体の痛みが俺にきてるんじゃないか
それならもっとこい、なんぼでもこいと思いました
嫌だった胃カメラ、大腸カメラもやりました
保険も見直しました
ある日
これからは一心同体で生きようと思いました
いつでもどこでも
僕が見るもの、食べるもの、聞くこと、話すこと、
登るときも、走るときも、いつも一緒だと
好きな登山もランニングも一緒に連れて行くつもりでやろうと
一人で登山するときとか、話かけながら歩きます
ときどき前を元気に歩くカミさんが浮かびます
姿が浮かぶとぼろぼろ泣けてきます
(最後に一緒に登った貝月山で)
大泣きしながら歩いてて
すれ違った登山者に
「大丈夫ですか?」と声をかけられたこともあります
そんな登山者いないから
コロナが5類になった5月下旬から面会できるようになりました
週に1回、時間は10分だけです
面会前はドキドキします
会える喜びと容態の心配と
「〇〇ちゃん 大好きだよ ありがとうね 感謝してるよ」
耳元でずっと声をかけます
頑張ってとは言えません もう十分がんばっているから
カミさんへの愛情はより深まっているように思います
愛しくてたまりません
面会して病院を出るときに涙がでます
医師や若い看護師さんたちが24時間体制で見てくれています
知らないおばさんを献身的にお世話してくれています
病院のみなさんの看護がなければ死んでしまいます
ありがたくてありがたくて泣けてきます
この1年、結婚記念日も誕生日もきましたが
服も買ってあげられないし、ケーキを買って食べさせてあげることもできません
何かしてあげたくても、何もできません
でも病院のみなさんがずっとそばでサポートしてくれています
ただただ感謝しかありません
いろいろと様変わりした一年でした
酒量が減りました
飲まない日も増えました
外食が減りました
いつも一緒でした
一人じゃさみしい
毎日スーパーに行きます
食品などの値段の高騰がよくわかります
料理レシピノートは2冊目になりました
作る楽しさも感じてます
カミさんにも食べてもらいたいです
そして褒めてほしいな
いろんな歌の歌詞が沁みるようになりました
自分の気持ちに近いこの歌は聞くたびに泣けます
何度も聴いてます
結婚して31年
いつも一緒にいたカミさん
当たり前だったふつうの日常が
当たり前ではなかったことを思い知りました
もっとこうすれば
ああしてあげればよかった
考え出すと止まりません
今、心の底から願うことは
今のカミさんに痛みや苦しみが一切なく
穏やかな気持ちで過ごしていてほしい
苦痛を感じててそれを表現できないとしら・・それは生き地獄だから
穏やかな気持ちでいるのなら
一日でも長く生きてほしい
最後まで見守らなきゃ、見守りたい
先に死ぬわけにはいきません
長くなりました
これまで言えなかったこと
これからは
このブログでときどき吐露したいと思います
最後に
お見舞金はいただかないことにしています
お気遣いなさらないようお願いいたします