あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

アジア主義

2020-02-06 18:14:29 | 日記
欧米列強の脅威の排除とアジアとの連帯を目指した主張で、明治中期までの日本ではもっぱら興亜会に代表される「興亜論」の名称で呼ばれた。その内容は開国文明化、協同、合邦、新秩序構築など、論者の思想、立場によって異なり一義的な定義はない。また国際情勢の変化に伴って主張内容が変化する。

当初は大久保利通と李鴻章の約束に始まる日本と清・朝鮮との対等提携指向を指すものであったが、冊封体制下の朝鮮をめぐって江華島事件や壬午事変、甲申政変を経て起こった日清戦争で、アジア主義は主戦論と非戦論に分裂し、政府や国内の新聞も清への対外硬が主流となり、日清戦争以後のアジア主義の定義は、元来のアジアとの平和協調路線(興亜論)とは完全に正反対のものになった。

日露戦争以降のアジア主義の定義は、ロシア帝国に勝利して得た東アジアにおける日本の優位を前提にアジアの革命勢力を支援する思想に発展し、やがて日中戦争を通じ、日本を盟主とした「東亜新秩序」(アジア・モンロー主義あるいは大アジア主義)、日中戦争初期の昭和研究会による「東亜協同体論」としての政策化、大政翼賛会の興亜総本部や大日本興亜同盟による統制、そして「大東亜共栄圏」構想へとつながっていく。1945年の日本の敗戦によって、近代アジア主義は終焉したとされる。

冷戦後の国際的な地域統合の流れの中で生まれたASEAN+3による東アジア共同体構想や、本来の「日本・支那・朝鮮の対等提携」に近い日中韓首脳会談(大久保利通の玄孫である麻生太郎が主催した)で設立された三国協力事務局なども、しばしば戦前・戦中のアジア主義(特に東亜協同体論)と関連付けて言及されることがある。

1873年 征韓論沸騰
1880年 興亜会設立
1881年 玄洋社設立
1885年 福澤諭吉が「脱亜論」を発表。樽井藤吉が『大東合邦論』を執筆(1893年出版)
1891年 東邦協会設立
1893年 殖民協会設立
1894年 天佑侠結成
1895年 清朝にて強学会創立
1897年 東亜会設立
1898年 東亜会と同文会が合同し「東亜同文会」発足。亜細亜協会(興亜会の後身)も合流。
1900年 義和団事件(北清事変)、北京議定書締結。
1901年 黒龍会結成
1904年 満州義軍結成
1905年 東京で中国同盟会設立。東遊運動の開始。
1906年 南満州鉄道株式会社設立
1911年 辛亥革命
1915年 南洋協会設立。
1921年 台湾にて台湾文化協会創立
1922年 世界紅卍字会設立
1924年 孫文の大アジア主義講演
1938年 三木清が東亜協同体論を発表
1940年 近衛文麿内閣が基本国策要綱策定(大東亜の新秩序建設理念確立)
1943年 大東亜会議開催