あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

プラスチック汚染対策をレジ袋有料化で終わらせないために

2020-02-24 20:03:00 | 日記
マル激トーク・オン・ディマンド 第983回(2020年2月8日)
 廃棄プラスチックによる環境汚染の深刻化を受けて、日本でもようやく2020年7月からレジ袋の有料化が義務づけられる。レジ袋に対して既に何らかの法規制を実施している国は世界127カ国にのぼることから、日本も遅ればせながらようやくその仲間入りを果たすことになるわけだが、レジ袋の消費量は年間約20万トンで日本の年間廃棄プラスチックの総量の2%程度に過ぎない。レジ袋規制は生活に馴染みのあるところに規制を入れることで、国民のプラスチック廃棄に対する意識改革を図るというシンボリックな意味合いが大きい。それを入り口に「プラスチックとは何か」をあらためて考えてみることが重要だ。
 実際、プラスチックの使用量はレジ袋よりも、レジ袋の中に入る食品やその他の商品の包装容器の方が遙かに多い。特に日本は一人あたりの包装容器のプラスチック使用量がアメリカに次いで世界で二番目に多いプラスチック消費・廃棄大国だ。しかも、これまで日本を含む世界のプラスチックゴミを資源として輸入してくれていた中国が、3年前から輸入禁止に転じたが、日本はプラスチックの使用を減らすのではなく、新たなゴミの行き先をインドネシアなどに求めることで、これまで通りの大量消費・大量廃棄を続けているのが実情だ。
 プラスチック汚染は、画になりやすかったりイメージしやすいなどの理由から、海洋動物の体内から発見されたレジ袋やストロー、プラスチック片などが話題になることが多い。それも大きな問題には違いないが、廃棄プラスチックの問題は実際はそれよりも遙かに根深く、また広汎に広がる深刻な問題だ。それはプラスチックと呼ばれる物質の多くが、分解されて最終的には1ミリ以下のマイクロビーズと呼ばれる状態となり生態系を循環し続けるため、われわれは今、飲料水や食品などを通じて、大量のプラスチックを体内に取り込んでいるからだ。
 体内に入ったプラスチックの健康への影響については、まだわからないことも多いが、他の物質と結合しやすい性格を持つプラスチックが、人体に有害な他の物質の運搬役を果たしているとの指摘も根強い。
 肉眼では見えないマイクロビーズは、フリースなどの化学繊維の衣類を一度洗濯するだけでも、相当量が排出される。実は化学繊維は洗濯をしないでも、常に一定量のマイクロプラスチックを生態系に放出し続けているのだ。自動車が道路を走ればタイヤからプラスチックが剥がれるし、横断歩道や止まれのサインなど道路に書かれた路面標示にもプラスチックが使われている。これも時間とともに剥がれ、地下水や川に流れ込んだ末、最終的には海に放出される。また、マイクロビーズは洗顔料やボディソープ、化粧品などにも広く利用されている。こうした商品を利用するだけで、プラスチックの生態系への放出に加担することになる。
 1950年代から一気に普及したプラスチックだが、これまで人類が製造したプラスチックの総量は83億トンにのぼり、そのうち約63億トンが既に廃棄物として生態系に放出されているという。
 世界ではレジ袋規制はもとより、包装用の発泡スチロールの使用を禁止するなど、多くの規制が実施されているが、日本はここでも大きく遅れを取っている。恐らく東京オリンピックで日本を訪れた外国人訪問客は、日本の過剰包装ぶりに驚くに違いない。日本も2018年6月には海外漂着物処理推進法を改正したほか、2019年5月にはプラスチック資源循環戦略を策定するなどして、微細なプラスチック粒子の使用規制を企業に求めているが、罰則規定がないため実効性に乏しい。
 確かにプラスチックはわれわれの生活に様々な利便性と豊さをもたらしてくれたが、実際は廃プラの生態系への影響などが明らかになった今、その環境負荷の大きさが当初われわれが考えていたものよりも遙かに大きく、それをどう負担するかが問われる事態を迎えている。プラスチック汚染の実態と日本の対応などについて、環境化学が専門の高田秀重・東京農工大学大学院教授と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

高田 秀重(たかだ ひでしげ)
東京農工大学大学院農学研究院環境資源科学科教授
1959年東京都生まれ。82年東京都立大学理学部卒業。86年東京都立大学大学院理学研究科化学専攻博士課程中退。東京農工大学農学部助教授などを経て、2007年より現職。博士(理学)。専門は環境化学。共著に『環境汚染化学』、監修に『さよならプラスチック生活』など。


羽田空港の拡張

2020-02-23 20:00:02 | 日記
すでにお気づきの方もおられるだろうが、1月末から2月上旬、午後から夕方にかけて、東京都心の上空をたくさんの大型旅客機が低空飛行で飛んだ。渋谷や目黒、品川あたりで突然聞き慣れないジェットエンジン音を耳にして空を見上げると、今にも手が届きそうな低空を大型の旅客機が飛んでいるのを見て、驚かれた方も多いはずだ。
 今現在は試験飛行期間を終えたため、束の間の静寂を取り戻しているが、実はこのルートの運用が来る3月29日から本格的に始まる。これは羽田空港の拡張に伴う新ルートで、埼玉方面から左回りに旋回した上で、池袋、新宿上空を通り、渋谷、広尾、恵比寿、目黒、白金、五反田、大井町の上空を下降しながら羽田空港にアプローチするというもの。一応、南風の日という条件が付けられているが、基本的には毎日、午後3時から7時までの間、1日平均で30~40便(年間11,000便)がこのルートを通過することになる。
 この羽田新ルートはあまり周知されていないようなので、いざ運用が始まり、毎日のように大型航空機が東京都心の真上を飛ぶようになると、ちょっとした騒ぎになるのだろうが、実はこのルートは2014年から計画され、2019年8月8日に国交大臣が正式に決定したものなのだ。
 ご多分に漏れずこの計画も、形の上では国交省の審議会、さらにその下の小委員会や部会での議論を受け、周辺自治体の副知事などを含む協議会や住民に対する説明会などを通じて地元との協議の場が持たれ、「地元の理解を得られた」との判断で国交大臣が正式決定をしたことになっている。形の上では正当な手続きを経て、民主的なプロセスを踏んだ上で決められた形になっているのだ。
 しかし、その内実はとてもではないが、民主的な適正手続きとはいえないものだった。実際に説明会に参加したゲストで公共哲学が専門の稲垣久和・東京基督教大学特別教授も、最初から計画ありき、結論ありきがみえみえの説明会で、住民側からの異議申し立てが可能な雰囲気ではなかったと語る。
 そして、結論ありきの審議会や説明会しか経なかった結果、大都市の上空を大型旅客機が低空飛行で通過することから生じるさまざまな問題は、放置されることとなってしまった。安全上も環境上も世界にも類を見ない危険性を孕んだ飛行ルートが、来月には実施に移されようとしているのが実情なのだ。
 自らが飛行ルートの直下に住み、新ルートに反対する住民運動にも指導的な立場で参加している稲垣氏は、この飛行ルートはそもそも計画自体に正当性がなく必要性も疑わしいものを、安倍政権の「羽田強化」の音頭の下、国交省の官僚が後先のことを考えずに問答無用で進めた結果生まれた産物だと指摘する。
 今回の羽田拡張により、羽田の離発着便は合計で3万9,000本が増便される予定だが、問題になっている都心上空を通過する航空機の便数は1万1,000本に過ぎない。これは羽田全体の離発着数約48万便の2%程度に過ぎない。政府は羽田増便による経済効果を6,500億円などと皮算用しているが、これは羽田と成田の増便全体の経済効果であり、その僅か一部に過ぎない都心上空を通過する11,000便の経済効果というものは示されていない。そもそも都心上空を低空飛行することで騒音や圧迫感などに起因する不動産価格の下落分などを考え併せると、このルートを通すことによる経済効果がマイナスになっても不思議ではないという指摘もある。
 また、元日本航空のベテランパイロットで航空安全に詳しい航空評論家の杉江弘氏は、今回の都心を通過するルートの羽田へのアプローチ角度が3.45度となることに重大な安全上の懸念があると指摘する。通常、空港のアプローチは3度が基準となっており、今回の羽田の3.45という角度によって「羽田が間違いなく世界でもっとも難しい空港になる」と杉江氏は断言する。アプローチの角度が僅か0.1度上昇するだけで、パイロットにとっては着陸時に機体が滑走路に突っ込んでいくように見えるのだと杉江氏は言う。
 杉江氏はまた、都心の真上を高度を落としながらアプローチする今回のルートは、事故のリスクや機体からの落下物のリスクなどを考えると、到底正当化できないものだと指摘する。
 今回のルートが3.45度という、世界でも類を見ないほど難しいアプローチになった背景には、在日米軍との間で取り決められた「横田空域」の問題がある。今回の北回りの新ルートは米軍の管制下にある横田空域を一部通過することになるため、政府は米軍との間で交渉を続けてきた。最終的に横田空域を一部通過することの了承は得られたが、ただし米軍側が3,800フィート(約1,100メートル)以上の高度を通過することを条件として提示してきたため、羽田へのアプローチはどうしても3.45度という急角度にならざるを得なくなってしまった。3,800フィート以下の空域は米軍が占有で使うからだという。
 いまさら言うまでもないことだが、横田空域などというものが日米地位協定や日米安保条約に明記されているわけではない。これは日本政府と在日米軍の間で地位協定の運用を協議する日米合同委員会の場で在日米軍と日本政府の間で合意されているというだけの、何の法的根拠もないものだ。しかも、日米合同委員会は議事録すら公表されていない。しかし、それがこういう場合も旅客機の安全性よりも優先して、日本の前に立ちはだかるのだ。
 元々今回の新ルートの前提にある羽田空港の拡張は、安倍政権による2013年の日本再興計画で「首都圏空港の強化」を打ち出したことが前提にあった。しかし、当初は羽田だけでなく成田や茨城空港、そして横田への乗り入れなども想定していた「首都圏空港の強化」が、2013年9月のIOCによる東京での五輪開催の決定により、特に議論もないまま羽田の拡張一辺倒に変わってしまった。そして、東京五輪を突破口にむりやりこじ開けた感のあるこの都心上空を低空飛行するルートは、東京五輪後もそのまま維持されることになる。
 稲垣氏は、新ルートの安全性や騒音などの問題はもとより、そもそも東京の一極集中を是正すべき時に、なぜ安倍政権が都心の真上を飛行機を飛ばしてまで羽田を拡張したいのかについて、その真意を訝る。
 いずれにしても、この3月29日から、安全上も多くの問題を抱え、民主プロセス上も無理があることに加え、経済効果の観点からも必要性が疑わしいにもかかわらず、東京の都心上空を多くの飛行機が飛ぶことになる。当面は墜落はもちろんのこと、落下物による事故などが起きないことを祈るばかりだが、ここでこの問題が大きな政治問題にならなければ、恐らく政府はこの先、都心上空を通過する航空機の便数をさらに増やしてくるだろう。既に水面下では羽田に新たな滑走路を建設する案まで検討されているという。今回の都心ルートはそのための露払いだったのかもしれない。
 深刻な事故が起きる前に、羽田拡張にともなう都心上空を低空飛行する新ルートの問題点と、このルートで問われる日本の民主主義の現状を、ゲストの稲垣氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
 
稲垣 久和(いながき ひさかず)
東京基督教大学特別教授
1947年東京都生まれ。71年東京都立大学物理学部卒業。75年東京都立大学大学院物理学研究科博士課程修了。博士(理学)。専門は公共哲学。アムステルダム自由大学哲学部・神学部客員教授、東京基督教大学助教授、慶應義塾大学講師などを経て94年から2019年まで東京基督教大学教授。19年より現職。羽田新ルートに反対する住民団体「みんなの品川をつくる会」共同代表 。著書に『「働くこと」の哲学』、『キリスト教と近代の迷宮』など。


立憲デモクラシー

2020-02-22 16:12:47 | 日記
共同代表
樋口陽一 東京大学名誉教授・憲法学
山口二郎 法政大学・政治学
 故 奥平康弘 東京大学・憲法学(元共同代表)

憲法学(法学)関係
愛敬浩二 名古屋大学・憲法学
青井未帆 学習院大学・憲法学
阿部浩己 神奈川大学・国際法学
蟻川恒正 日本大学・憲法学
石川健治 東京大学・憲法学
稲正樹 元国際基督教大学・憲法学
君島東彦 立命館大学・憲法学
木村草太 首都大学東京・憲法学
小林節  慶應義塾大学名誉教授・憲法学
阪口正二郎 一橋大学・憲法学
高見勝利 上智大学・憲法学
高山佳奈子 京都大学・刑事法学
谷口真由美 大阪国際大学・国際人権法
中島徹  早稲田大学・憲法学
長谷部恭男 早稲田大学・憲法学
水島朝穂 早稲田大学・憲法学
最上敏樹 早稲田大学・国際法学

政治学関係
石田憲  千葉大学・政治学
伊勢崎賢治 東京外国語大学・平和構築
宇野重規 東京大学・政治学
遠藤乾  北海道大学・国際政治学
遠藤誠治 成蹊大学・国際政治学
大竹弘二 南山大学・政治学
岡野八代 同志社大学・政治学
小原隆治 早稲田大学・政治学
五野井郁夫 高千穂大学・政治学
齋藤純一 早稲田大学・政治学
酒井啓子 千葉大学・国際政治学
白井聡  文化学園大学・政治学
杉田敦  法政大学・政治学
千葉眞  国際基督教大学・政治学
中北浩爾 一橋大学・政治学
中野晃一 上智大学・政治学
西崎文子 東京大学・政治学
前田哲男 軍事評論家
三浦まり 上智大学・政治学
柳澤協二 国際地政学研究所
 故 坂本義和 東京大学名誉教授・政治学

経済学関係
大沢真理 東京大学・社会保障論
金子勝   慶應義塾大学・経済学
高橋伸彰 立命館大学・経済学
中山智香子 東京外国語大学・社会思想
浜矩子  同志社大学・経済学
水野和夫 日本大学・経済学
諸富徹  京都大学・経済学

社会学関係
市野川容孝 東京大学・社会学
上野千鶴子 立命館大学 ・社会学
大澤真幸  元京都大学教授・社会学

人文学関係
色川大吉 歴史学
臼杵陽  日本女子大学・中東地域研究
内田樹  神戸女学院大学名誉教授・哲学
加藤陽子 東京大学・歴史学
桂敬一  元東京大学教授・社会情報学
國分功一郎 高崎経済大学 ・哲学
小森陽一 東京大学 ・日本文学
佐藤学  学習院大学・教育学
島薗進  上智大学・宗教学
高橋哲哉 東京大学・哲学
林香里 東京大学 ・マス・コミュニケーション
西谷修  立教大学・思想史
三島憲一 元大阪大学教授・ドイツ思想
山室信一 京都大学・歴史学
鷲田清一 大谷大学・哲学

自然科学関係
池内了 名古屋大学名誉教授・宇宙物理学
益川敏英 京都産業大学・理論物理学

経済界
丹羽宇一郎 元中国大使

わたしで最後にして

2020-02-21 20:08:29 | 日記
生産性がない人は生きる価値がないの?20万人以上の障害者を虐殺したナチスと「やまゆり園事件」に通じる思想とは―「優生思想」と「障害者差別」を考えるための1冊。中学生から。

目次

第1章 オットー・ヴァイトとの出会い
第2章 殺された障害のある人は20万人以上
第3章 優生思想は多くの国々で、私たちの日本でも
第4章 優生思想に対峙する障害者権利条約
第5章 「やまゆり園事件」と障害のある人のいま
第6章 私たちにできること

2016年7月に起きた障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件の裁判員裁判が続いている。
すでに14回の公判が開かれ、3月16日に判決が出る予定となっている。刑罰ももちろんだが、このような事件が起きた社会的背景を明らかにしてほしいと、被害者の家族や障害者団体などは強く望んでいる。

植松聖被告に3回面会し、裁判の傍聴も続けている日本障害者協議会代表の藤井克徳氏は、被告があまりに表層的で浅薄であったこと、育った時代や環境も含め被告一人だけの問題ではないこと、そして、障害者施設に勤務する間に「重度障害者は生きていても仕方がない」という誤った障害者観を持つようになったという事実などから、事件に対する複雑な思いを語る。この事件は社会の仕組みや行政の対応も含め、解明されるべきことが数多くあるが、藤井氏は裁判で全容が解明されるかどうかを危惧している。
 やまゆり園事件のあとも、障害者雇用の水増し問題や精神医療での身体拘束、旧優生保護法の強制不妊手術の被害者による提訴、などが次々と明らかになり、障害者をめぐる状況はその後も変わっていない。藤井氏はこうした問題の背景には、根深い優生思想があることが認識されなければならないと指摘する。

藤井氏は、第二次大戦中のナチスによる障害者虐殺、いわゆるT4作戦が、優生思想に基づいて行われ、それがその後のホロコーストにつながった経緯を、自ら取材した体験に基づいて語る。ドイツだけではなく日本でも優生思想に基づく政策がつい20年ほど前まで行われており、強制的に不妊手術を受けされられた障害のある人たちが今やっと声を上げ始めている。

生産性や効率重視の傾向がより強くなる世の中で、劣った人を排除しようとする優生思想は、今も社会のなかに存在する。一人ひとりの中にも“内なる優生思想”があることを認めたうえで、より能力を高めたいという縦にのびる力と同時に、文化や地域や多様なひととのつながりといった横にのびる力が必要だと藤井氏は語る。

私たちは、どうしたら優生思想を克服することができるのか。人々の無関心と忘却がもっとも手ごわい敵だと語る藤井克徳氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。
 
藤井克徳[フジイカツノリ]
日本障害者協議会代表、日本障害フォーラム副代表、きょうされん専務理事、ワーカビリティー・アジア(障害者の就労分野のアジアネットワーク)代表、公益財団法人日本精神衛生会理事、公益財団法人ヤマト福祉財団評議員、精神保健福祉士。1949年福井市生まれ。青森県立盲学校高等部専攻科卒業。1982年都立小平養護学校教諭退職。養護学校在職中の1974年にあさやけ作業所設置に参加、同じく1977年に共同作業所全国連絡会(現・きょうされん)結成に参加(結成時から現在まできょうされん役員)。1982~1994年あさやけ第2作業所所長。1994~2003年埼玉大学教育学部非常勤講師(兼職)。2010~2014年内閣府障がい者制度改革推進会議議長代理・障害者政策員会委員長代理。2014年国連障害者権利条約締約国会議日本政府代表団顧問。2012年国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)チャンピオン賞(障害者の権利擁護推進)受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

イワン・イリイチの死

2020-02-20 13:03:53 | 日記
イワン・イリイチ。45才。裁判所判事。彼は一官吏としてもくもくと出世街道を登り詰めてきた。しかし彼にとって家庭生活は決して愉快なものではなかった。家内とはいつも言い争い、疎ましく思っていた。出世し、他人がうらやむ金を稼ぐ、ここにイワン・イリイチの人生の欲望があった。
官界における栄達、私的生活の充実、イワン・イリイチは自ら獲得した生活に充足されたと思い込んだ。そんなある日、脇腹に重苦しさを感じ、何人かの名医に診て貰った。危険か、危険でないのか、知りたいのは結論だった。しかし名医達は患者の前で患者の意向に正しく応えようとはしなかった。病状は確実に悪化していった。イワン・イリイチは自分が死にかかっているのではないかと感じた。それは絶望そのものであった。
彼は「人間は必ず死ぬ」という3談論法を正しいと考えたが、それはあくまで一般の人を対象にした論理であり、自分は生まれてから今日まで自分そのものであり、自分にはこの論理は別物であった。自分が死なねばならぬことなど、あまりにも恐ろしいことであった。

彼はこの考えの代わりに次々と別の考えを持ち出し、これを忘れようと努めた。しかし再びこの考えに戻ると、そこではもう死は覆い隠すことなく、むき出しで彼に迫った。彼は裁判所に出かけ気を紛らわせようとした。しかし痛みは彼にひしひしと迫った。彼は別の覆いを捜したが、痛みは容赦なく彼に死を覆い隠すことなく迫ってくる。

周囲の嘘がイワンを苛立たせた。下男ゲラーシムだけが本当の姿で彼に処してくれた。ゲラーシムと一緒にいる時だけは不思議に痛みが癒えた。ゲラーシムの言葉「人間は誰でも死ぬもので御座います」。イワンはこの言葉は素直に聞けた。しかし一人でいるのは怖かった。周囲の嘘と偽善は彼を苦しませた。健康な家内や娘の身体を見る度に憎悪が走った。自分に同情し、泣いてくれる息子だけが不憫でならない。ゲラーシムと息子だけが自分を憐れんでくれていると思った。

一人になってイワンは泣いた。一人になって内なる魂の声を聞いた。「自分の人生は間違っていたのか。自分は何を求めて生きてきたのだ」。身体は日を追う毎に衰弱していった。

寝ている彼が味わうのは孤独だった。孤独の中で過去を思った。過去の最初には1点の光があった。しかし光は加速度的に暗くなり、墜落、衝突、破壊が待っている。「自分は間違った生き方をしてきたかも知れない」。全てが欺瞞だ、しかし今や回復不能。

のたうち回る。家内の虚偽と欺瞞に満ちた目。憎悪の念と痛みが身体を襲う。「自分は間違っていた。しかし本当のこととは一体何だろう」。息子が近くに来て手を握って泣き出した。落ちていく中でイワン・イリイチは光を見た。「そうだ、わしはこの連中を苦しめている。みんな可哀相だ。しかしわしが死ねばみな楽になるだろう。そんなこと口に出さずともわしが死ねば良いのだ」。この瞬間、全てが楽になった。痛みも消えた。目の前には、死の代わりに光があった。何という喜びだ。「死はおしまいだ」彼はこの言葉を最後に耳にしながら、息を引き取った。