あさねぼう

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『勝手にしやがれ』

2021-01-27 13:58:20 | 日記
『勝手にしやがれ』(かってにしやがれ、À bout de souffle、英題:Breathless)は、1959年製作のフランスの映画。
ヌーベルバーグの記念碑的作品であり、フランソワ・トリュフォーが原案、クロード・シャブロルが監修、ジャン=リュック・ゴダールが監督・脚本を務めた。ゴダールにとっては初の長編映画である。

時間の経過を無視して同じアングルのショットを繋ぎ合わせるジャンプカットという技法を用いたり、手持ちカメラでの街頭撮影、高感度フィルムの利用、即興演出、隠し撮り、唐突なクローズアップなど、これまでの映画の既成概念をひっくり返し、映画の文法を壊した、映画史に残る作品となった。本作でゴダールはヌーベルバーグの旗手となり、アメリカン・ニューシネマなどに多大な影響を与えた。

また、カイエ・デュ・シネマ等に映画批評を寄稿していた立場を映画作品の内部でも継続するかのように、本作には、D・W・グリフィス『散り行く花』やハワード・ホークス『三つ数えろ』をはじめとする、多数の映画からの引用的演出が意外な形で散りばめられていたり、ゴダールが敬愛する映画監督ジャン=ピエール・メルヴィルの出演など、他の映画作品群そのものを主題の一部としたことも、旧来の映画作品と異なる大きな特徴として、その後の映画作家達に影響を与えた。

原題の「À bout de souffle」は、「息せき切って」という程度の意味のため、1983年にアメリカでつくられたリメイク版も仏タイトルのほぼ直訳の『ブレスレス』になった。 沢田研二の代表曲「勝手にしやがれ」のタイトルは、この映画が元になっている[1]。

ハンフリー・ボガートを崇めるミシェルは、マルセイユで自動車を盗み、追ってきた警察官を射殺する。パリに着いたものの文無しで警察からも追われているミシェルは、アメリカ人のガールフレンド、パトリシアと行動を共にする。だが、ミシェルが警察に追われる身であることを知ってしまうパトリシア。パトリシアは、パリで地歩を固めたい駆け出しの記者・ライターであり、ミシェルはどちらかと言うとフランスにいることに執着がない。このカップルの間にある立場の違いと、フランス語男と英語娘の言葉の差異によるすれ違いのロマンスという側面が、脚本的な主題として最後まで描かれる。

やがて2人の逃避行が始まる。2人が例えばケンカをすると、ミシェルはパトリシアが不得手なフランス語でまくし立てる。パトリシアはその単語の意味を訊ねる「ケス・ク・セ・○○? (○○ってなに?)」。この理解できないフランス語を訊き返す繰り返しが脚本的な仕掛けとなる。また、2人が自動車を盗んで逃げる際、駐車場の係員がいる出口でミシェルがパトリシアに対して「英語で今晩はと言うんだ」と指示を出し、「Good night!」とパトリシアが言うことで、2人は外に脱出することができる。

(ネタバレ)最後は、一緒に逃げることを断念したパトリシアが警察に通報してしまう。劇中も何度か出てきた「デグラス(最低)」という言葉を最後にミシェルが言う。「君は本当にデグラスだ」と、かすれ声で言われたその言葉が訊きとれず、パトリシアは「彼はなんて言ったの?」と刑事にたずねると、「あなたは本当にデグラスだと彼は申していました」と伝えられる。パトリシアは「ケス・ク・セ・デグラス? (デグラスってなに?)」と訊き返す。

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