あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

中曽根政権

2019-12-09 17:58:56 | 日記
1982年から87年という中曽根政権の時代が、現在に至る日本経済衰退の苦しみ、その元凶となる時代だと考えています。非常に大雑把ではありますが、駆け足でこの5年間を振り返ってみることにしましょう。

中曽根康弘は、内閣総理大臣就任期間中に国鉄・電電公社・専売公社の民営化に成功しました。この3つの組織は現在、JR・NTT・JTと名前を変えて民間企業として、現在の日本でも存在感を放っています。また、中曽根康弘は日米関係においても特に外交面において友好関係を築いていました。1983年に起きた大韓航空機撃墜事件によって、日米関係はさらに強固なものになりました。なぜなら、この事件にソ連が深く関わっていたからです。ソ連は、航空機を領空侵犯と判断して撃墜しました。この行為によって、アメリカとソ連の関係性は悪化することになりました。
また、ソ連のこの行為は国際的にも非難を浴びる対象となりました。このような過程もあって、日米関係は強固になったのです。
その一方で、経済面においては苦労しました。長年問題となっていた日米貿易摩擦問題は、この当時も解決されていませんでした。日本は、自動車という1つ製品として完成されている製品を強みとしていました。その一方で、アメリカは食料や原料製品を貿易における主力として扱っていたこともあり、必然的に日本が得する状態の貿易摩擦が生じていました。この日米貿易摩擦問題は、輸入自由化が行われるまで棚上げされている状態でした。


☆ 歴代政権で、中曽根政権の82年から87年は、社会の構造に、特に電々公社(NTT)の民営化への変化があり、私の技術者人生への転職という判断の契機になった。
また、池田勇人政権(1960年7月19日 - 1964年11月9日 文部行政としては、それまでの文科系学問の優遇(国庫補助など)を改め、技術革新による経済成長に対応させるために、医学をはじめ理工系を重要視した予算を組んだ。また、高等専門学校(高専)の設置も進んだ。 )は私の学生生活、高専制度が発足した時の政権であった。
もし、それらの政策がなかったならば、20代での私の学ぶ世界、30台の技術者生活が大きく変わっていた。(つかさ)



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