あさねぼう

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新書

2019-12-23 15:34:44 | 日記
日本の新書を代表する「岩波新書」。1938年に創刊され1946年11月から1949年4月まで中断があったものの、現在に至るまで刊行は続き、その点数は3000点を越える。本書は、そのうち戦後に刊行されたものの中から、21冊を選んで論じている(戦後だけでもほぼ3000点はある)。

論じるのは、文学者の小森陽一氏(1953年生まれ)、歴史学者の成田龍一氏(1951年生まれ)、社会学者の本田由紀氏(1964年生まれ)の3氏。戦後70年を10年ごとに区切り、それぞれの時代の中から、時代状況との関わりを前提にしながら3冊が選ばれている。

『死の灰』『水俣病』『豊かさとは何か』『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』など、分かりやすい形で政治的・社会的状況にリンクしたものも多いが、一方で『ルポルタージュ 台風十三号始末記』『バナナと日本人』『やさしさの精神病理』など、タイトルだけを見た限りでは、その本が、時代とどのように関連しているのか分かりにくいものもある。
取り上げられた新書を書いておくと、
1945〜1955年が『愛国心』『死の灰』『ルポルタージュ 台風十三号始末記』。
1955〜1965年が『一九六〇年五月一九日』『母親のための人生論』『朝鮮―民族・歴史文化』。
1965〜1975年が『沖縄問題二十年』『水俣病』『高校生』。
1975〜1985年が『バナナと日本人』『自動車の社会的費用』(刊行は1974年だが、内容に鑑みてこちらの括りで取り上げられている)『家族という関係』。
1985〜1995年が『豊かさとは何か』『象徴天皇制』『歴史としての社会主義』。
1995〜2005年が『女性労働と企業社会』『やさしさの精神病理』『イラクとアメリカ』。
2005〜2015年が『反貧困』『ヘイト・スピーチとは何か』『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』。

「岩波新書」で岩波新書を論じるのだから、否定的なものは選ばれないだろうと思っていたが、1冊はほぼ全否定に近いし、ほかにも厳しい批判にさらされたものもある。
一方で、『自動車と社会的費用』に関しては、著者である宇沢弘文氏の生き方とともに極めて評価が高い(同書は、岩波新書の中では私にとっても強く印象を残した一冊である)。

内容を批判する中で幾度となく「後知恵」という言葉が出てくるが、たしかに現在から見て批判する場合、どうしてもそうしたことが起きがちであるが、3人の論者は、それでも言うべきことを言っているように思われる。

専門が違うこと、2人は男性で1人が女性であること、年齢的にもほぼ10年の開きがあることも、異なった論点・主張を導いている。
すべての意見が参考になるものでもないし、首肯できない部分もあったものの、興味深い企画だと言えよう。
年齢的には近いものの、性別が違い、私自身が学問的に詳しくない社会学を専門とする本田氏の意見が興味深かった。特に1975〜1985年について論じた、107ページでの「現実に対する抵抗としての自己反省の時代から、その時代へのさらなる抵抗としての無反省」という発言に、1970年代後半から1980年代にかけて起こる、いわゆる“硬派”な本に対する需要の減少の一因が垣間見えるような気がしてならない。

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