福岡空港に来ている。
私の母の四十九日の法要と初盆供養のため、長男が帰省していた。今日は帰京する長男を皆で見送りに来ている。長女の孫達が飛行機を見たいというので、空港のカフェーから駐機場を眺めている。
お寺で営まれた法要では、読経を聞きながら母の生涯に思いを巡らせていた。
まだ私達の子どもが小さい頃、盆正月には一人住まいの母の家に集まり、賑やかな一時を過ごした。義理の両親の所でも家内の兄弟と子ども達が大勢集まった。義父が賑わうことが好きだったので、昼前から夜までワイワイ言いながら過ごしたものである。もうずいぶん昔のことになる。その両親も今はなく、長押から遺影が私たちを見守っている。
今では、盆正月は私の家に子どもや孫が集まる。毎年のように記念写真を撮っているが、年々数が増え、今では十数人が集まるようになった。昔、家内と二人で始まった我が家庭を考えると、いささかの感慨が無きにしも非ずである。
実家に皆が集まった昔の情景を思うと、世代交代というものを考える。やがて私達も去り、子ども達はそれぞれの家族で盆正月を過ごすことになるだろう。私たちの地方では、方言で「順送りたい」と言う。親が死に、叔父叔母が逝き、次は自分たちの順番だということである。
フィルムのコマ送りを見るように、それぞれの世代が、その時の社会と感応しながら現れて、そして去っていく。戦中戦後を生きた両親、戦後世代の私達、そして共同体が崩壊しつつあるポストモダンの子どもと孫達へ。世代交代は進んでいく。
親を偲び、子や孫が集まるお盆にそんなことを考えていた。
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