田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

銀閣寺道の屋台伝説(上)

2015年07月14日 | 遠い日の記憶

 JR京都駅から錦林車庫前行きのバスに乗り、河原町通を北上して今出川通から鴨川を越え東に進むと、白川通との交差点に銀閣寺道のバス停がある。昭和51年に市電の今出川線が廃止されるまで、銀閣寺道停留所があったところである。この交差点をまっすぐ東に進んでいくと銀閣寺へと至る。

 すぐ横を琵琶湖疏水の分線が流れており、浄土寺橋が架かっている。その橋の東側のたもとに昔、一軒のラーメン屋台があった。

 学生時代、私は北白川の下池田町に下宿していて、この屋台にはよく通ったものである。今考えると初めて味わう醤油ラーメンだったが、大変旨かった。九州で生まれ育ち、豚骨ラーメンしか食べたことがなかった私にとっても違和感は無く、すんなりと入っていけた。

 その屋台は一風変わっていた。他の屋台のように真ん中の厨房をカウンターで囲むのではなく、入って左手に小さな厨房があり、右手の方に背もたれの無い、細長い木の椅子を置いただけである。屋台そのものは大きなテント張りであった。客は薄暗いテントの中で長椅子に並んで座り、丼を載せた丸いプラスティックの盆を手に持ってラーメンを啜るわけである。長椅子には7、8人も座れただろうか。四十年以上も前のことであり、遠い日の記憶は模糊としている。

 私が通っていた時は二人の若い兄さんが店をされていた。両人ともすらりとした細身であり、面長のハンサムな男だった。ある日の夕方、浄土寺橋を通りかかると、久保田町の方から二人で屋台を引いて来るのを見掛けたことがある。私は二人は兄弟ではないかと思っていた。

 北白川には同志社や立命館、京都大学などに通う学生のための下宿が多くあった。自然、屋台にはサラリーマン等とならんで学生の客が多かったように思う。そしてこの銀閣寺道のラーメン屋台は学生達の記憶に残り、色々な思い出や伝説の類が生まれた。(続く)

 

 

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