5月24日(木)☼
穏やかな万石湾岸の素敵なホテル「華夕美」(女川町)でゆっくりしたあとはいよいよ石巻へ。
09年10月に世話になった水澤屋旅館の女将さんにお会いできるだろうか?
旧北上川に近い旅館は跡形もなかったが女将の水澤もり子さん、お元気だった。(左側の方です)。ご家族も全員無事とか。旅館あと近くの住まいを修築して住んでおられる。
地震の後、近所のお年寄りを載せて近くの日和山(公園)に避難したという。石巻高校での避難生活も「楽しかった」とおっしゃる。
上がってお茶でもとお誘いを受けたが今日は前途が遠い。ご挨拶だけで辞した。「旅館をやってきてよかった。再開は無理だが、小さな食堂くらいはまたやってみたい」とのことだ。石巻の復興が進んで女将さんの店ができたら、こんどはゆっくりお話を聞かせてもらおう。
奥に入るとドリンク剤などを袋に詰めて車まで届けてくれた。またまたとんだことになってしまった。
水澤屋さんの消息を教えてくれた商店街の店主の話。
石巻の人はチリ地震の津波で膝あたりまでの浸水は体験している。今回もその程度だろうと避難しなかった人が多い。前の町内会長が地震があったら松栄ビルに避難しろとよく言っていたのでこの町内では死者が出なかった。
海に近い街はみはるかす廃墟。石巻市立病院が見える。
旧北上川・中洲の自由の女神像は下半身をえぐられている。
昨日訪ねた大川小学校の対岸を通って北上川河口から南三陸町、そして気仙沼。39年ぶりの気仙沼港は埋立地に出来た巨大な水産加工業団地が壊滅していた。高度成長期以来の「発展」が無に帰したことになる。元々が無茶な埋め立てではなかったのか、とも思った。
南三陸町伊里前福幸商店街
ありがとうございました。