川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

李敬宰(い・きょんじぇ)さん 共生の家

2012-12-18 11:25:57 | 在日コリアン

12月14日(金)曇晴雨

 追悼集会のあと宿に向かう途中で福島潟を見学した。奇跡的に晴れて夕空が美しい。

 

 オオヒシクイがあちこちの田んぼから帰ってくる時間だった。この鳥の名の由来を教えてやろうと思ったら敬宰さんも栄子さんも子ども時代に「ヒシ」の実を食べた体験の持ち主で先刻承知のようだった。僕は去年ここで知ったばかりで、食べたことはない。

 月岡温泉の宿はよかった。敬宰さんと露天風呂に入った。硫黄の程よい匂いが漂う温泉らしい温泉だ。話を聞いているうちに長湯になった。

 敬宰さんは大阪府高槻市で「共生の里」を運営する会社の社長だが近年「高齢者住宅」というものを始めた。先日、入居者のお年寄りがここで天寿を全うした。病院との連携を保ちながらスタッフに看取られながらの大往生だったらしい。

 無駄で高価な終末医療から解放されて、家族に看取られながらやすらぎの最期を迎えたい、多くの人の願いである。それを「共生の家」のスタッフが家族代わりに実現するのである。本当にそんなことができるのかと僕などは思ってしまう。親の介護をしたこともなければ家で看取った体験もない。

 敬宰さんとスタッフにとってもはじめての体験だった。敬宰さんは「大往生」に協力できて良かったと心から思っているが、人の死を看取るということ自体に初めて直面する若いスタッフにとっては厳しい体験であったろう。泣き崩れてしまう人もいたらしい。

 このたびの試練を生かして人生の最期まで共生の理念で貫かれた介護を実現すると敬宰さんは自分たちのやる事業に自信を深めたようだった。

 敬宰さんは高校生のときから自分の住む成合という地域でコリアンの子ども会をやってきた人である。壮年期になって老人介護施設の運営が仕事になった。言う言葉が面白い。

「子ども会も老人介護も、皆さん、一緒に力を合わせて生きていきましょうという活動で、おんなじこと。子ども会はボランティアでそんなことは迷惑だといわれたこともあるが、老人介護は感謝されるばかりで、お金までもらえる。こんなありがたいことはない」。

敬宰さんとの付き合いは30余年になる。高槻を訪ねて子ども会の日常を何度か見せてもらったが、温泉に浸りながら実践報告を聞くのは初めてだ。「敬宰(きょんじぇ)らしい人生を変わることなく切り拓いているなあ」。僕は良い友を持った喜びで身も心も芯まで温められた。

 夕食時には敬宰さんが小さい頃から百姓仕事をしてきたことを知った。お父さんが友人から借りた田んぼ3反を作り続けて一家を食べさせてきたのだという。今は米以外に野菜も作っている。「育てる」喜びを感じているようだ。耕作面積を増やしたいが耕作放棄地でも地主がなかなか貸してはくれないらしい。

 女性たちとの会話を聞いていると料理への関心も僕とは比べ物にならない。利用者たちの日々の給食の責任者でもあり、あれこれと心を砕くからであろう。近く、友人が開く「北朝鮮料理」の講習会に出向くとか。

 敬宰さんと。新潟・瓢湖。12月15日

 参考・「共生の里」http://kyouseinosato.co.jp/service/agedhouse.html


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