川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『あんぽん 孫正義伝』

2012-01-22 09:37:14 | 在日コリアン

ワクワクドキドキ、久しぶりに本を読む醍醐味を味わった。一昨日は病院の行き帰りの電車の中、昨日は一日中ベッドの上で夢中になって読んだ。『あんぽん 孫正義伝』 小学館が創業90周年記念企画として出版した本だという。著者は佐野眞一。                                                

この本を紹介したり、評論したりする力は僕にはない。それでも「川越だより」の読者に読んで欲しいと思うので小学館の宣伝文の受け売りをする。

      

ここに孫正義も知らない孫正義がいる 


今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮に、一人の異端児を産み落とした。
ノンフィクション界の巨人・佐野眞一が、全4回の本人取材や、ルーツである朝鮮半島の現地取材によって、うさんくさく、いかがわしく、ずる狡く……時代をひっかけ回し続ける男の正体に迫る。
“在日三世”として生をうけ、泥水をすするような「貧しさ」を体験した孫正義氏はいかにして身を起こしたのか。そして事あるごとに民族差別を受けてきたにも関わらず、なぜ国を愛するようになったのか。なぜ、東日本大震災以降、「脱原発」に固執するのか――。
全ての「解」が本書で明らかになる。

 

宣伝文通りだなあと思う。かつて佐野眞一という人の本を読んだことがある。『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの40年』(新潮文庫)。

「山びこ学校」の卒業生たちのひとりひとりを訪ねて一冊の本を書き上げていく著者の姿勢に深い敬意を感じたのではなかったか。

今回の取材はより一層困難だったに違いない。正義の父・三憲への最後の取材を著者は「最終決戦」と名付けているくらいだ。『週刊ポスト』連載中の

取材で舞台裏も明かされていて迫真力がある。正義の父方、母方の親族の人々が次々と登場する。ド外れた骨肉の愛憎物語で満ちている。

正義も知らない正義を生んだ歴史に深く切り込んだ著者に正義は感謝しているが、さすが大人物だなあと思わずにはいられない。

正義の思想や言動に批判・危惧を感じながらも深く尊敬する著者の正義への心のこもったエールの書かもしれない。

自分を生んでくれた歴史と風土から逃げるな、それを捉えかえすところから正義はさらに進化し、人々の期待に応えられるリーダーに深化するだろう。そんな願いが込められたエールだ。

 僕は感動のしっぱなしだったが、二箇所だけ紹介する。

①「正義はわが子ではなく“社会の子”」(P138~P143)

「孫が小学校低学年の頃、こんなことがあった。(略)。三憲はそんな大人びた正義の表情を見て、この子は自分の子じゃない、社会のために使わなければと思ったという。

出来すぎた話のように見えるが、その後の孫と三憲の関係は、確かにこの通りに進んだ。三憲は正義をわが子としてではなく、いわば”社会の子”として扱ったのである。」

(略)の部分に何が書かれているかは、本を読んでのお楽しみ。小6の時に書いた詩「涙」には心を打たれる。確かに社会のリーダーに成長していってほしい子である。そう認めて三憲は自分のやり方で「エリート」教育をした。「孫正義」は確かにこの父の子だ。

②「泣いても喚いても連れ出す」(P247~P250)

  出典●武雄市長物語●http://hiwa1118.exblog.jp/15274154/

孫正義は2011年3月22日、福島県田村市の体育館を訪ね、被災者たちに語りかけたという。同行した佐賀県武雄市の樋渡市長の目撃談。

「孫さんは、完全に鬼神と化していましたね。ここにいる人を何としてでも救わなければ、という使命感です。‥避難所の方ひとりひとりに声をかけて、目をしっかり見て話しかけておられました。しかも、孫さんの目は涙ぐんでいるのです。」

「孫さんは、『こんな放射能の危険性のある場所からは、一刻も早く退去したほうがいい』『九州への移動費用は私が出します。雇用もなんとかします』と切々と訴えていました。感極まったのか、時々、手が震えていました。」

孫正義は福島に行く前日に西日本を中心に17の県知事に直接電話でかけあって30万人の被災者の受け入れ枠をとって福島に乗り込んだのだという。

正義の言葉。

「泣いても喚いても、引っぱたいてでも連れ出すのが本当のリーダーだと思う。地元も人たちは『誰が家畜に餌をやるんだ』『誰が畑に水をやるんだ』といって動こうとしませんから。政府が明確に避難命令を出さなければいけない。『全部補償するから、安心して、まず一回避難しましょう』といえばいいんです。

残っている人がいると、商店やガソリンスタンドなど、ライフラインの人たちやその家族も残らざるをえない。人情や義理が絡んで、しがらみで動けない。結局、動けない人は弱者だったり、いい人だったり。」

こういうことを言える人が今の日本にもひとりはいたのである。政治家にはただひとりもおらず、被災者は放射能地獄のただ中に置かれ続けている。

 危機のただ中にあって福島の人々に心を込めて避難を呼びかけた人がコリア系日本人の孫正義という人だったことを私たちは心に刻み込んで置かなければならない。僕はコリア系のこどもたちはこの国の宝のような存在だと言い続けてきたが、この本を読んで心が高ぶるような感動を覚えている。

 

 

 

 

 

 

 



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