川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

孫正義・少年時代の詩    「涙」

2012-01-23 05:52:32 | 在日コリアン

              涙        安本正義

君は、涙を流したことが

あるかい。

「あなたは。」

「おまえは。」

涙とは、どんなに、

たいせつなものかわかるかい。

それは、人間としての

感情を、

あらわすたいせつなものだ。

「涙。」

涙なんて、

流したらはずかしいかい。

でも、みんなは、涙をなが

したくてながしては、

いないよ。

「じゅん白の、しんじゅ。」

それは、人間として、

とうといものなのだ。

「とうとい者なん

だよ」

それでも、君は、はずかしい

のかい。

「苦しい時」

「かなしい時」

そして、

「くやしい時」

君の涙は、自然と、あふれ

出るものだろう。

それでも、君は、はづかしい

のかい。

中には、とてもざんこくな、

涙もあるのだよ。

それは、

「原ばくにひげきの苦しみを、

あびせられた時の涙」

「黒人差別の、いかりの涙」

「ソンミ村の、大ぎゃくさつ」

世界中の、人々は、今も、そして、

未らいも、泣きつづけるだろう。

こんなひげきをうったえる

ためにも、涙はぜったいに欠

かせないものだ。

それでも君は、はづかしいの

かい。

「涙とは、とうといものだぞ。」

 

 (1970年2月4日) 出典『あんぽん 孫正義伝』P69~

孫正義さんが北九州市立引野小学校6年生の時「通信ノート」に書いた詩。ノートは担任だった三上喬さんの手元に保管されているという。

三上喬さん。

「思い出すのは、そう、彼の目です。授業中、目をかっと見開いて、正面を見据えているんです。微動だにせずに。子ども離れしたすさまじい集中力でした。」

「しかも、その目が澄み切っていた。邪心というものがないんです。何かを必死で学びとろうと、熱い視線を教師に向けている。そんなことを感じることなど、長い教師生活でもめったにありません。」

孫さん(安本という通称を使っていた)は「あんぽん」と卑しめられた。4年生のときには教師になりたいと思うが国籍条項があることを知り、帰化をしたいと父に問う。父は祖父が生きている間は無理だと答えたらしい。

三上先生は彼が在日コリアンであることは知らず、その悩みにも気付かなかったという。

今この詩を読むと正義を「社会の子」として育てなければと思った父の思いがよく理解できる。


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