一型でも適当に糖質制限。

主婦の平凡な糖質オフの日々

理解は出来たけれど、人様にはゴリ押ししねぇ。

2017年12月21日 | 日記
自分の取り組み、いわゆる断糖に近いことをやっておりますが、
それが正しくて、唯一無二とは決して思っていません。

持効型溶解インスリン(基礎)が身体に満たされておれば、極端な(ストイック)糖質制限をしても、ケトアシドーシスにはならない。

※ここで大切なのは完全枯渇の方はものすごく、ブリットルなので持効型溶解インスリンの作用不足等があるので、
しっかりと満たされない時もある。

けれど、糖質を極力さけて、一型糖尿が命の危機になるというのは、発症初期から違和感だらけでした。

失敗しても良いから自分の身体で経験し、理解したかった。

理解できました。

どんなに頭の良い方々が(医師)が危険だと捲し立てても、
エビデンスがどうだこうだ云っても自分で経験して、実感出来たことが、私の人生では全てです。


でもね、冒頭に戻るけれど、
だからみんな極端な糖質制限をせよ!
なんて、絶対におもいませぬ。


身体が楽になっても、じゃあ心は?

と、云われたら反論なんか出来ません。

その為に、食前のインスリンがあるし、内服薬があります。


そんなに過剰に糖質を食べ過ぎなきゃ、
緩やかな糖質制限でも、カーボカウントでも上手く病気と向き合える筈です。

たまには、ラーメンや寿司やケーキだって、
上手くコントロール出来ると思います。

今のご時世、低糖質な良き商品がいくらでもありますし。

私には企みと、頑固な意志と、それなりの覚悟(大袈裟)があっての取り組みです。


だけども、愛する我が子にここまでの取り組みさせたいか?
と、聞かれればノーです。


あくまでも自分の血糖コントロールには、あきれる程に白か黒ですが、

人様には、そんなこと思いません。


だから、私のブログを読んで呆れるのは構わないけれど、
自身を省みて、責めることはしないでください。

どちらかというと、私が異常です。(笑)


ちゃんと、解っておるのです。むふふ。





12月の定期受診と11月の血液検査の結果。

2017年12月11日 | 日記
11月の定期受診で血液検査をしました。

私の受診する病院は、糖尿内科ではないので、
こちらが依頼しない限りHba1cもGA値も尿検査もしません。

今回、自分の依頼のもと血液検査しました。
詳しい血液検査の場合には、空腹時が常です。

けれど、しっかりと朝、昼食べた上でのケトン体(特に3-ヒドロキシ酪酸)がどうなのか?

500は超えているのか?
私の糖質オフは成功しており、ケトン優位なのか?が、知りたかったのです。

MCTオイルやバターたっぷり摂れば、もっと上がるでしょうが、
金をそんなに遣わなくとも、空腹時には、1000超えすることは、解ったことですし、

んならば、喰った時はどんなん?
の なぜなに思想からの計測でした。

結果は、私としては満足でした。




中性脂肪は食事の影響を受けるので、
いつもの20後半から30よりは高値です。

LDLは、勿論高いですが、
私は、糖質制限者のLDL高い問題は、中性脂肪低値で、HDL高ければ気にしないと決めていますし、
主治医もその考えです。



糖質制限で筋肉が落ちると、信じてやまない人にはCKが決して低くはないということが、
伝えてあげられます。

家の中でも金をかけず、なんちゃって筋トレでも、
腕や腹の筋肉は女性にしては、くっきりしております。胸ないけど…ちっ

そして、だいぶ毎食1㌘から3㌘程度の糖質摂取に慣れて、
自分の糖新生の操りにも慣れてきました。

Hba1cも意外に高くなかった。
朝昼は食前を打たず、夜に1単位打つことが多いわけですが、
しっかりコントロール出来ております。

ド真剣に毎日をおくっている甲斐はありました。


とにかく、モチベーションは上がりました。



IPDはせっせと服用し続けて、
糖尿病を治すことは無理でも、二型糖尿病になろうと夢みるkazukouでした。

ネガティブモード発動中。

2017年12月04日 | 日記
主人と結婚し、長男が産まれて 一年は、親子三人楽しく暮らしていました。

私らが、結婚する数年前に義母は片目を失明し、
もう片方をブドウ膜炎の進行により、いつ失明するか判らない中で、
毎日、電話が来て、「一緒に暮らして欲しい」と懇願されておりました。

長男が一歳になるのを期に、覚悟の元、共に暮らし始めました。

元々、結婚する前より主人は、
「母親のことが嫌いなんだ」と、
多くを語らないけれど、吐き捨てるように話ていました。

私の家庭のような温かみは感じられず、
『こりゃ根が深いな』とは、思っていました。

共に暮らす際に、主人は最後まで反対していました。
それでも、状況がこんなだし、放っておくわけにもいかないと、
私が決断し 主人を説得し 暮らした訳です。

考えは甘かった。


引っ越した翌日から、反抗期の少女のように私に当たりながら、
毎夜、私の名前を寝言で呼びながら、朝な夕な、依存していく日々でした。


俗に云う、嫁いびりとは、一味違い。
眼が見えない苦しみを私に吐き出しながら、
一日中、傍にいて、慰めて欲しいようでした。

義母にお世辞にも優しさをみせない主人。
その、苛々に私を罵る日も度々ありました。


私を生活の助手兼親友で、いて欲しいようでした。


次男を妊娠した時の逆上っぷりは半端なく、
妊娠期間中、何度となく

「私は助手が欲しかったのに貴女は妊娠するなんて信じられないっ」
と、さめざめ泣くのです。
『泣きたいのは、こっちだろ』
と、思いながらも、耐えてきました。

私にとっては、彼女は精神が病んでいるとしか思えず。
腫れものでしかなかった。

だからこそ、その渦に私が負け 自分まで病んでしまったら 子どもが可哀想だと思い
明るい呑気な母さんを演じ続けて、今に至る。

けれど、吐き出された言葉は毎夜、頭の中でグルグルし、
消化するのは難しかった。


平成27年、私の心は極限状態でした。

毎日、明るく呑気な母さんは続けていたけれど、脳内はグチャグチャでした。

子どものママ友の日常が、あまりにも羨ましかったし、
あと、何れくらい、この状況が続くのであろうと、考えていました。

年が明けた、一月。
子どもが、インフルエンザになり看病し、治った頃に私が、インフル撃沈。

インフルエンザなんて、子どもの頃にかかったきりでした。
勿論、風邪は一年に一度くらいなったこともあるし、

十二指腸潰瘍、原因不明の腹膜炎、原因不明の敗血症で命の危機。
子宮がヤバイことになったり、
明らかにストレス誘発の大人喘息発症。

虚弱とは、認めたくないですが、虚弱でした。

このインフル後より、段々と痩せていき、
糖尿病性ケトアシドーシスにて、一型発覚でした。

勿論、惣菜パンが大好きでしたし、
そんによいこな食生活でも、ありませんでした。

様々な誘発原因が、加味されて、なるべくしてなったのでは?と、思っちゃいます。

でもね、自分が選んだ道です。

今は極限状態ではないです。

淡々とこなす程度には大人になりました。

大人になったと、書きつつも、こんな記事を吐露しちゃってるあたり、

けっこうヤバイな私。とは、自覚中。



ふふ。





ギブする前に日常調整。

2017年12月04日 | 日記
義父は危ない時を脱し、何とか経口摂取出来るまでに回復しました。

皮膚の爛れは相変わらずですが、
医療用麻薬等で何とか痛みをコントロールし、
日常を過ごしています。

ただ、せん妄が終日あり、
私と片時も離れようとしないので、朝から晩まで、私のトイレ以外は一緒です(笑)

昨日で云うと朝の5時30から義父が眠る21時まで、ずっと共に。

下肢筋力も低下し、ふらつきが酷いのに朦朧としながら歩こうとするので、
片時も離れられない。

勿論、今日もね。

仕事と思ってやっていますが、
月に一度の病院や子どもの授業参観にもでてあげたい。

義母も、私に負担をかけていると自身を責め続けた結果。
泣きながら、辛さを切々と朝、昼、晩と話す。
義母を終日 慰めながら、義父を看ながらの日々。
時に30分くらい。
買いものに行く間、主人に任せると、義母に説教し、ケンカ勃発。

その後、死にたい等のマイナス感情を吐き出しながら、
ベッドに泣き崩れる義母を数日かけて、癒していく。

いくら何でも、これは異常な日常だなと、思いました。

本日、担当ケアマネに相談して、毎週(月)に義父のみデイケアを頼むことにしました。
義母はそのままね。

私の月に一度の定期受診は(月)のどこかの週なので、
受診でどっぷり家を空けても安心なので。

私の定期受診はというと。

11月は血液検査とランタス一本もらったのみ。
来週の受診で結果とランタス貰うのみ。

いやー、日常に彩りがないな。

でもね、せん妄が解けて落ちついてる時に、
こちらの心がホンワカする程、感謝の気持ちを伝えてくれる義父。

単純な人間は、それをオカズに明日も優しい女優になるのであった。

褒められるのは大事だなぁと、つくづく思う今日この頃。