ロビン・フッドからケルトへ。
今日の一冊
Howard Pyle “The Merry Adventures of Robin Hood”
ハワード・パイル 『ロビン・フッドの愉快な冒険』
訳:三辺律子
このパイル版のロビンはサクソン系あるいは関係者?
パイル版では1100代〜1240代頃のイングランドを舞台にしているようで、
ウィル・スカーレットの章にロビンの『ノルマンの貴族が、以前より
ここに住むサクソン人を踏みにじるのには腹が立つ』といった記述が
見られます。
皮肉だけどあくまでもその当時そこに住む人々が中心人物。面白い。
またラテン文字でキャプションをつけた、
パイル自身によるペン画を多く含んでいます。
そのスペルからなぜか古英語を連想し、そこから更にケルトへ。
結局人間は、自分の興味あることに結びつけて考える生き物なのです。
ケルト。
大陸、島。
現代でも謎だらけゆえに、whyやif を考えだすと面白くて
たまらないのです。仕事してる場合じゃない。
なぜケルト系の彼らは優れた軍事能力を持ちながらにして
逃避行の連続であったのか。
恐らくは個々には勇猛な部族ではあったものの、それらを
統括する有能な司令官がごく少数であったからでは。
ウェルキンゲトリクス Vercingétorix も結局はカエサル Caesar に
負けてしまったし。
また、もし文字が一般に普及して記録を残す風習があれば、
施政においても祖先のそれを参考にできたでしょうに。
ところで古英語について調べると、発音はドイツ語ぽくて、
文字は大部分のラテン文字の他、ルーン文字、デンマーク語、
フランス語を含む。
いわゆるイングランド(もちろんコーンウォールなどを除いた
地域)がゲルマン人などの侵略を受けた歴史を思い出せば、
そうなるのも当たり前ですね。
ちなみにその5世紀(私にしては珍しくA.D.のお話)当時に、
サクソン人に対したアーサー王のエピソードを、後にキリスト教や
騎士道精神などの布教に利用したのが『アーサー王伝説』でしょうか。
何事も、世に広めようとするなら象徴を立てて活用すればいいのだから。
蛇足ながら。
歴史というのは、どうしたって歴史家のフィルタを通してしまう
のがもどかしい。
B.C.480のサラミスに行って無事に戻ってこられるわけがないから、
様々な著者によるものを片っ端から読んで比較検討するくらい。
書物は翻訳物もよいけれど、思考そのものを味わうためには
原語で読みたいよね。
今日の一冊
Howard Pyle “The Merry Adventures of Robin Hood”
ハワード・パイル 『ロビン・フッドの愉快な冒険』
訳:三辺律子
このパイル版のロビンはサクソン系あるいは関係者?
パイル版では1100代〜1240代頃のイングランドを舞台にしているようで、
ウィル・スカーレットの章にロビンの『ノルマンの貴族が、以前より
ここに住むサクソン人を踏みにじるのには腹が立つ』といった記述が
見られます。
皮肉だけどあくまでもその当時そこに住む人々が中心人物。面白い。
またラテン文字でキャプションをつけた、
パイル自身によるペン画を多く含んでいます。
そのスペルからなぜか古英語を連想し、そこから更にケルトへ。
結局人間は、自分の興味あることに結びつけて考える生き物なのです。
ケルト。
大陸、島。
現代でも謎だらけゆえに、whyやif を考えだすと面白くて
たまらないのです。仕事してる場合じゃない。
なぜケルト系の彼らは優れた軍事能力を持ちながらにして
逃避行の連続であったのか。
恐らくは個々には勇猛な部族ではあったものの、それらを
統括する有能な司令官がごく少数であったからでは。
ウェルキンゲトリクス Vercingétorix も結局はカエサル Caesar に
負けてしまったし。
また、もし文字が一般に普及して記録を残す風習があれば、
施政においても祖先のそれを参考にできたでしょうに。
ところで古英語について調べると、発音はドイツ語ぽくて、
文字は大部分のラテン文字の他、ルーン文字、デンマーク語、
フランス語を含む。
いわゆるイングランド(もちろんコーンウォールなどを除いた
地域)がゲルマン人などの侵略を受けた歴史を思い出せば、
そうなるのも当たり前ですね。
ちなみにその5世紀(私にしては珍しくA.D.のお話)当時に、
サクソン人に対したアーサー王のエピソードを、後にキリスト教や
騎士道精神などの布教に利用したのが『アーサー王伝説』でしょうか。
何事も、世に広めようとするなら象徴を立てて活用すればいいのだから。
蛇足ながら。
歴史というのは、どうしたって歴史家のフィルタを通してしまう
のがもどかしい。
B.C.480のサラミスに行って無事に戻ってこられるわけがないから、
様々な著者によるものを片っ端から読んで比較検討するくらい。
書物は翻訳物もよいけれど、思考そのものを味わうためには
原語で読みたいよね。