リードを付ける練習。
背中に何かが乗っていると違和感があるのか、腰が引けちゃって匍匐前進。
今日の一冊
『PK』 伊坂幸太郎
『PK』、『超人』、『密使』の三篇から成る。
読み終えた後で何度も読み返すこと必至。
8月31日、夏風邪をひく。
9月に入るなり微熱が続き仕事も休み、最初の週末まで寝込んで筋トレや弓道稽古もままならず。
9月8日、ようやく的前稽古再開。ぐだぐだ。
9月10日、なんとか的の近くに矢を寄せられるようになる。
9月13日、やっと弓と身体がなじんできた。
このように一旦寝込んでしまうと、感覚を取り戻すのにおよそ2週間かかってしまうのが私で
あって、またここから射を作り始めるのですが、体調を崩すというのは悪いことだけじゃない。
寝込んでいる間ずっと、我が家の三毛猫さんがぴったりくっついていて、こんなことでもない限り
一日中密着していられないから、これはこれで至福。
おもしろいですよね、物事は見方を変えるだけで如何様にも解釈できる。
さて『psychokinesis サイコキネシス、念力』のお話かと手に取った本書、とんでもなくSFで
ありファンタジックでもあり、笑いあり謎ありの一冊。
単純に時系列を順に追うのではなく、行ったり来たり場面もせわしく変わり、そこがまた勢いや
奇妙な浮遊感、俯瞰しているかのような錯覚。
以下は未読な方にはネタバレにもなりかねないのでご注意を。
↓
↓
時系列的な感覚が狂いそうになる伊坂節。
司馬遼太郎『項羽と劉邦』みたいな、こういう構成は頭の中でメモをとりつつ読み進めるのが常。
『PK』では勇気と信念について再認識させられる。
秘書官の最後のひとことだけでは『次郎=秘書官』と決めることはできず、どちらかと言えば
大臣の父である作家の本を読んだうえでの、大臣を支えるユーモラスなセリフではないかなと思った。
ゴキブリが送り込まれた世界ですね。
そうすると『密使』の『私』は消滅してしまったということか。
『超人』での三島・田中コンビのやりとりに、くすりとしてしまう。
大臣の決断には本田毬夫がキーとなっていて、メールの文面が変化したくだりはSF的だ。
レストランから消えたスーパーマンもどきは三島なんだろうな。
ゴキブリが送られなかった世界。
『密使』でメモリカードが発見された、つまり『私』という犠牲の出なかった版。
ん? けれど、何かを為すには何かしら犠牲はつきものじゃないのかな、とふと思ったり。
『密使』
『僕』と『私』が交互に語られる。
何といっても3億年の大先輩ですからね、かないませんよね。
『私』は幼い本田毬夫に同化したのかな?
背中に何かが乗っていると違和感があるのか、腰が引けちゃって匍匐前進。
今日の一冊
『PK』 伊坂幸太郎
『PK』、『超人』、『密使』の三篇から成る。
読み終えた後で何度も読み返すこと必至。
8月31日、夏風邪をひく。
9月に入るなり微熱が続き仕事も休み、最初の週末まで寝込んで筋トレや弓道稽古もままならず。
9月8日、ようやく的前稽古再開。ぐだぐだ。
9月10日、なんとか的の近くに矢を寄せられるようになる。
9月13日、やっと弓と身体がなじんできた。
このように一旦寝込んでしまうと、感覚を取り戻すのにおよそ2週間かかってしまうのが私で
あって、またここから射を作り始めるのですが、体調を崩すというのは悪いことだけじゃない。
寝込んでいる間ずっと、我が家の三毛猫さんがぴったりくっついていて、こんなことでもない限り
一日中密着していられないから、これはこれで至福。
おもしろいですよね、物事は見方を変えるだけで如何様にも解釈できる。
さて『psychokinesis サイコキネシス、念力』のお話かと手に取った本書、とんでもなくSFで
ありファンタジックでもあり、笑いあり謎ありの一冊。
単純に時系列を順に追うのではなく、行ったり来たり場面もせわしく変わり、そこがまた勢いや
奇妙な浮遊感、俯瞰しているかのような錯覚。
以下は未読な方にはネタバレにもなりかねないのでご注意を。
↓
↓
時系列的な感覚が狂いそうになる伊坂節。
司馬遼太郎『項羽と劉邦』みたいな、こういう構成は頭の中でメモをとりつつ読み進めるのが常。
『PK』では勇気と信念について再認識させられる。
秘書官の最後のひとことだけでは『次郎=秘書官』と決めることはできず、どちらかと言えば
大臣の父である作家の本を読んだうえでの、大臣を支えるユーモラスなセリフではないかなと思った。
ゴキブリが送り込まれた世界ですね。
そうすると『密使』の『私』は消滅してしまったということか。
『超人』での三島・田中コンビのやりとりに、くすりとしてしまう。
大臣の決断には本田毬夫がキーとなっていて、メールの文面が変化したくだりはSF的だ。
レストランから消えたスーパーマンもどきは三島なんだろうな。
ゴキブリが送られなかった世界。
『密使』でメモリカードが発見された、つまり『私』という犠牲の出なかった版。
ん? けれど、何かを為すには何かしら犠牲はつきものじゃないのかな、とふと思ったり。
『密使』
『僕』と『私』が交互に語られる。
何といっても3億年の大先輩ですからね、かないませんよね。
『私』は幼い本田毬夫に同化したのかな?