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立待岬公園より
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石川啄木一族のお墓
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小さく見えるのが啄木の像 歌碑には 潮かほる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや
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西条八十が啄木に捧げた歌碑
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大森浜の日没
二日目の夕方、石川啄木ゆかりの場所を訪ねて函館山の南端にある立待岬へ向かいました。立待岬に着いた頃には暗くなり始めていましたが観光バスが何台も停まっていました。道が狭く一方通行になっていてアクセスの悪いところですが下北半島と津軽半島が見えるビューポイントなので観光コースになっているようです。この岬には啄木とは交流のあった与謝野鉄幹と晶子の歌碑もあり近くには啄木一族の墓もありました。啄木が函館で暮らした期間はわずか132日間のみ(1907年)でしたが晩年「死ぬときは函館で死にたい」と手紙に残したほど函館を愛していたそうです。そこを後にして20分ぐらい走った大森浜には啄木の像と歌碑がある啄木小公園がありました。この場所は啄木が好んで散策した所だそうで歌の題材にもなって残っています。歌集「一握の砂」の中の”東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる”の東海はここの大森浜のことらしいです。
秋の声ライン描きし夕茜
あまりにも有名な観光地を肌で感じる旅をなされて、人生に最高の時を過ごせましたね、
私も若い頃は、啄木や与謝野晶子の詩集を持っていましたので、懐かしいです、
ありがとう御座いました、、
函館には何回も行っているのですが啄木の歌碑を訪ねてみたのは今回が初めてです。わずか26才の生涯だった啄木です。21歳(明治40年)の5月に函館での生活が始まったのもつかの間8月には函館の大火で職を失いその後札幌、小樽、釧路へ職場を転々としながら上京したそうです。あらためて石川啄木の生涯を読んでみると函館時代は文学を目的とする同志に囲まれて安らぎを得ることが出来たそうです。
コメント有り難うございました。
先ほどブログ復活しました。
「おばちゃん主婦」のカテゴリーにエントリーです。またよろしくお願いいたします。
啄木に関する本を読むと当時は青柳町に住居があったと記されてあり大森浜まで近かったみたいです。この函館で過ごした思い出を後になって和歌を作り”一握の砂” ”悲しき玩具”に載せているようです。
コメント有り難うございました。
ブログの再開設おめでとうございます。
「おばちゃん主婦」のカテゴリーがあるんですね。ビックリしながら先ほど拝見させていただきました。また宜しくお願いいたします。
コメント有り難うございました。
お聞きして、なるほどと思いました。
20才で啄木の故郷渋民村の代用教員になったものの一年で色々あり追われるように故郷を去って来たところがここ函館でした。ここでも代用教員になれたのもつかの間、今度は函館の大火で学校が焼亡。何と運の悪い。でもこの函館時代を思い出して短歌を沢山残しているようですよ。
啄木公園は湯ノ川温泉からも近いので是非訪ねてみてください。