和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

ボスニア・ヘルツェゴビナの観光都市モスタルへ

2017-08-10 07:21:56 | 日記

今日のガイドはミルナさん

内戦の傷痕

西側カトリック教会 聖ペーター教会

西側はクロアチア側の店やレストラン

西側の店

スターリ・モスト

アーチ形のすべすべした階段を上る人 降りてくる人 (スターリ・モストを渡る)

東側はイスラム系の店で西側とは雰囲気が違う

美人のモスリム人

イスラム教のモスク

別の角度からもう一度橋を見て

旅行7日目(6月20日)は昨日まで2連泊したドブロヴニクを朝7時30分に出発。ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ向かいました。国境での出入国は前日のモンテネグロでの国境通過に比べて比較的にスムーズでした。ネレトゥヴァ川に沿ってモスタルまで135キロ。途中でブドウ畑を多く見かけましたがここでは米国から輸入したブドウの苗木に接ぎ木して育てているそうです。
モスタルはオスマントルコの街として発展してきましたがその発展の中心となったのは1566年にスレイマン一世によってネレトゥヴァ川に架けられたスターリ・モスト(古い橋)です。橋脚を用いずに両側からアーチ状に架けられたこの橋は当時世界唯一シングルスパンアーチと言われていました。
この地域ではムスリム人やクロアチア人やセルビア人などが長きにわたって平和に暮らしてきました。ところがユーゴスラビア連邦解体に端を発した内戦(1992年-1995年)により民族間の紛争が起き、民族融和の象徴と言われたこの橋は破壊されてしまいました。
ユネスコの協力でこの橋が復元されたのは2004年になってからです。橋は全長28メートル 高さ20メートルあります。
平和になったとはいえ内戦の影響は今も消えず、街はネレトゥヴァ川を挟んで東側はムスリム人、西側はクロアチア人と住み分けされています。両方の地域を分けるのがこの橋スターリ・モストなのです。橋は今は観光の名所となっていて両岸には多くの土産物屋が軒を並べています。大勢の観光客が通る橋はすべすべしていて渡りきるのが大変でした。


レース編む老女手元の薄暑光



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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ボスニアヘルセゴビナ (しんしん)
2017-08-10 10:22:32
和子さん、昨日の猛暑から一転、肌寒い小雨の降る日になりましたね、
異境の地は、見る物すべてが、日本と違った趣ですね、石造りの家、石で組み上げたアーチ状の橋など、心に残る旅でしたね、又それを丹念に記した紀行文、、読む人まで誘って呉れます、、
ありがとう御座いました、、
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Unknown (グライセン)
2017-08-10 16:02:02
一生懸命にレースを編んでいるのですね。
いくらでも無いですよね、・・・・
質素な生活ぶりが少し伝わるかな・・・
民族対立の緊張する地域ですね。
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スターリ・モスト (和子)
2017-08-10 20:04:12
しんしんさん

橋脚を使わず両側からアーチ状に架けた橋は当時の建築技術の確かさを教えてくれます。
紛争中に破壊された石を住民は一つ一つ拾い集めて積み上げていったと聞きました。大変なことでしたね。
今日は涼しい一日ですごしやすかったです。
コメント有り難うございました。
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質素な暮らしぶり (和子)
2017-08-10 20:24:28
グライセンさん

海外旅行に出てはじめて知る日本の治安の良さや何と恵まれた私達であることを知り得ます。土産物屋の店先の横で編み物をする老女を思い出して俳句が出来たなら何か買ってあげれば良かったと後悔しています。以前中国奥地に行ったときも一生懸命に編んであるカラフルな手袋が10円か5円ぐらいだったのにその時ももっと沢山買ってあげれば良かったのにと忘れられません。それは旅の無駄使いにはなりませんよね。
コメント有り難うございました。
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Unknown (カズノコ)
2017-08-10 21:41:33
スターリ・モスト、この橋が東西の融和につながればいいですが。宗教と民族、両方とも、一神教というのは、大変ですよね。
観光客がいっぱい来れば、いい方向に進みそうな気がしますね。
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オリエントの香り (和子)
2017-08-11 10:45:26
カズノコさん

旅ガイドにはオスマン朝時代の影響が色濃く残りオリエントの香りが漂うとうたってあります。此処では日本人観光客が多く立ち寄る場所らしくHISツアーはこの後はサラエボから帰国へクラブツーリズムはイスタンブールから帰国するとのことでした。もちろんヨーロッパからの観光客も多かったですが私達は昼食後プリトヴィッツェへ向かいました。
コメントありがようございました。
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スターリ モスト (カタコ)
2017-08-11 16:36:17
和子さん

今日は夏らしくない涼しい一日でしたね。
同じ国でも、民族が違うとか宗教によって、争いが起こるという事は、単民族の私たちには考えられません。橋を挟んで東と西でムスリム人、クロアチア人と住み分けされているなんて、歴史ですね。店の感じが違うのが興味を引きます。
ガイドさんもピンクのドレスの女性も美人ですね。あまり知らない国の説明と写真有難うございました。
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3年半も続いたボスニア紛争 (和子)
2017-08-12 08:21:14
カタコさん

現在ボスニアにはムスリム人44%セルビア人33%クロアチア人17%が住んでいるそうです。民族宗教の違いでの争いなど日本人には想像もつきませんが口にだせない程の悲惨なことがいっぱいあったそうです。
今では世界遺産になったこの橋を見に来る観光客が増えて良かったですよね。
東と西ではお店の感じががらっと違って暮らしぶりを覗くようです。この日は暑くて店をぶらぶら見る自由時間より涼しい建物の中に早く入りたかったです。
コメント有り難うございました。
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内戦の跡地を訪ねて (千代子)
2017-08-12 21:37:37
覚えていますよ。ボスニア戦争を。この内戦中日本人母子が取り残されていたのを日本人ジャーナリストが見つけて救出したのを。この辺りは多民族国家だから余程強力な指導者がいないとまとまりつかないようです。第2次大戦後ユーゴスラビアのチトー大統領が統治していたと覚えています
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日本人母子助けられて (和子)
2017-08-13 09:56:50
千代子さん

日本人ジャーナリストが難民となっていた日本人母と子供3人を助けたお話を覚えていらしたのですね。
ネットで調べて解りました。
「はるか戦火を逃れて」 中尾敷邦子著
講談社出版と書いてありました。
また助けたジャーナリストも本を出していますね
「ボスニア一人ぼっち救出作戦」水口康成著
図書館で借りて読んでみようと思いました。
コメント有り難うございました。
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