『絆』日記

~ありがとう~

適応力

2010-04-23 05:20:05 | プチ哲学
昨晩、寝る前に子供達に読み聞かせをしていた『のうさぎにげろ』という本その昔私が小学校低学年の時に読んだ本です一通り読んで、部屋の電気を消しました少しすると暗がりの中で子供二人の寝息が静かに聞こえてきます私はその寝息を聴きながら、この物語の先にあるものを暫く一人で考えていました地球に存在している生き物は自然の摂理にあった生き方をしています野ウサギは冬になると白い毛並みをそろえ、春になれば茶色の毛並みをそろえていますそしてキリンやゾウ等の特徴的な外見をもつ動物達も、多種多様な色や形を変える小さな虫たちも、自分達を取り巻く環境に適応しながら生きているのですつまり自然界に対し、適応力のあるものだけがその先の自分達の未来を確実にすることができるのです逆を言えば、その環境に順応できなければ、その生き物の未来は危ぶまれます必要に応じて自分を変化させ、順応させる・・人間においても私は同じだと思います自分が標準であるという考えを払拭して、常に大きな中にいる小さな自分であるという視点を見失ってはいけないのだと思いますつまり、国を越えて、人種を越えて、あらゆる違いをを越えたその向こうに存在するものを理解した上で、自分の環境が変わった時には新しい環境を認めて自分自身を『その色』に染めるということが適応力なのだと思いますつまり、自分に意固地になるのではなく、必ず他の考え方もある、他の生き方もあるという柔軟な考えをもつことを常に考えておく必要があるのだと思います新しい環境に身をおいた時に、自分がどれだけ納得できないことであってもその国でそれが当たり前であるのであれば、それを受け入れることその順応性が人と人を繋ぐものになり相手を理解し、信頼につながるものだと私は思います順応力=相手を認める=双方の幸せという公式はどんな環境にいても当てはまると思います自分の発言をする前にまずは一歩引いたところで自分を取り巻く環境を確認し、その環境を認めた上でその先へ進むそれを心に留めてこれから様々な角度から切り拓かれていく自分にとっての新しい世界へ踏み出したいと思います素敵な一日を迎えられますように皆さんも、今日も元気にいってらっしゃい

友達

2010-04-22 12:05:27 | 日記
皆さんにとって友達とはどんな存在ですか友達の定義は人それぞれだと思いますが、私にとってはどんな状況であっても自分の隣にいてくれて、幸せも辛さもなんでも一番そばでシェアしてくれるかけがいのない人・・それが私にとっての友達です自分の中で友達の存在が大きい故、自分の中では知り合いと友達のラインはハッキリ区別がついていますKKが小学校に通い始めて数日KKにも少しずつ友達の輪が広がってきたようです最近はお友達の名前もスムーズに会話の中にでてくるようになりました同じ保育園にいたゆうたくん、あやちゃんの他に、ももかちゃん、たけるくん、しほちゃん、えいとくん、さほちゃんに、たいようくん等々今までクラスメートが3人しかいなかったKKですが、徐々に広がる彼の友達の輪に私もとても嬉しくなりました友達・・・先日、朝家を出る時に空は明るかったのでKKに特段雨の心配もせず傘を持たせずに学校に向かわせましたしかし、KKがちょうど学校から学童に移動する午後の早い時間、雲行きが怪しくなってきましたそして・・・やっぱり小雨が降り出してしまいましたKK少し咳をしていたから風邪になってしまったらどうしよう・・・職場からぱらつく雨を見ながら心配していましたそして、やっぱり傘を持たせるべきだったと反省移動がどうだったのか、仕事中もそれが気になって仕方ありませんでしたそして帰宅してKKの顔を見るなりにすぐに聞いてみました『今日雨大丈夫だった寒くなかった濡れちゃったでしょう』するとKKにっこりしながらいいました『お友達が傘はいりなよって入れてくれたんだ』と。なんとまぁまた学校生活が始まって2週間もたたないのに、お友達が自然に優しさを分けてくれたことに私も心が温かくなりました友達って素敵ですね困ったらすぐ隣にいて声をかけてくれる何をお願いしなくても自分から相手の気持ちを察知して優しさをいつも与えてくれるそんな友達の存在の大きさは無限の喜びですKKはその夜、傘にいれてくれたお友達の女の子にお手紙を書いていました『きのうはかさにいてれくれてありがとううれしかったですきょうもがくどうがんばろうね』とそして裏にはたくさんのハートと彼女の笑っている似顔絵を描いていましたKKの感じたその嬉しい気持ちそして、小さな優しさと小さな友情の芽これからそんな素敵な友達に囲まれて楽しい学校生活になることを楽しみにしています皆さん、素敵な午後を

認めること

2010-04-21 02:06:53 | 日記
皆さん、散々相手と議論をした挙句、自分が自信を持って絶対に間違っていないと思うことであっても、実はそれは自分がその渦の中にいるが故に結論付けているだけのことであって、一歩下がってみると自分の意見が唯一正当化された答えではないと気づくことってありませんかその時、皆さんどのように対応しますか自分の意見が実は正当性を欠いていた、間違っていたというのは誰にでもあることなのでそれは当たり前なのですが、大事なのはその後の相手に対する自分の対応だと思うのです『ごめん、ごめん、言いすぎだったね間違っていたよ』と謝りの言葉を最初に述べて反応するのか、『いや、こうだったから自分はこう思ったんだよ』と自分の間違えた理由を述べて自分が正当であると思った理由を述べてみるのか、はたまたたとえ間違えていても『間違いである』とはっきりは認めずに『でもあなただって…』と相手を巻き込んだり、トピックをすり替えてみるかその対応は様々だと思いますでもこの中でやはり一番大事なのはどういう形であれ、一度は自分の間違いを認めることなんですよね謝るということは簡単なようですが、実は何より難しいことだと思います散々やってきた議論の相手に頭を下げて相手の勝ちを認めることは時と場合によっては、屈辱だと感じることもあるかもしれませんでもそこで相手に謝りの言葉を示せる人は立派だと思います謝ることでまたその先、相手と信頼関係が生まれて新しい関係を築くこともできるスタート地点に立つことができるのですゆうちゃんの保育園でもKKの学級目標でもありがとうとごめんなさいをいえる素直な子というのが掲げられていますそれは、一生大切にしたい心、そして言葉ですね全てのかかわりはそこから始まりです明日も素敵な一日となりますようにおやすみなさいませ

カーテン

2010-04-20 12:54:46 | 日記
皆さん、ある事柄について気がつくことと気がつかないこと人それぞれだと思いませんかこだわりの違いとでもいいますか先日、子供が寝た後タティと床に転がって映画をみていたところ、タティがふといいました『ママ知ってたこのカーテン・・・』そして私じーっとカーテンを見ましたが何のことをいっているのかさっぱり・・・『えっと・・・』答えが見つからず困っていると『ママ、このカーテン下の長さ違うって知ってた』っと・・・あれ確かによーく目を凝らしてみると真ん中辺りがちょっと長いかなという感じです。我が家の窓は一面全てガラスなので大きなカーテンが必要で、市販のカーテンを3枚つなげて一面をカーテンにしているのです私が一人でカーテンを買いに行ったのですが、カーテンを買った時点では私は全く同じ長さのモノを3枚買ったものだと確認していましたが、なんと1枚は3cm程長さが違っていたのですなんとも鈍感なこの私ッそしてその長さの違いに2年間位気がつかなかった自分にも驚きでしたそういえば、カーテンで以前にこんなこともありました昔住んでいた賃貸のマンションそこにも勿論カーテンをつけていたのですが、タティに『ちょっと長さが長すぎるんじゃないの』と言われ『そうかなぁ』と当時産休の私は家でカーテンの裾をあげていました薄いグリーンのカーテンなので上糸には緑の糸を差し込み、下糸のボビンケースにも緑の糸を準備しようとしたのですが、既にボビンケースには白糸が入っているのでそのまま使いました『じゃ、白糸でいっか』と家庭科苦手の私ですが、なんとか快調にカーテンの裾をミシンで縫い続けましたタティが『良くやったねぇちょうどいい長さだよ』という笑みを浮かべる顔を想い浮かべながら・・・そしてタティが帰宅後早速報告『タティ、裾あげたよどう』というとタティ、じーとカーテンをみながら『裾いい長さだねでも糸が白はどうかな』といい、それから数日にわたり自分で帰りが遅くなっても必ず帰宅後、糸をとっていく作業をしていました面白いですね私がなんとも思わないところに彼のこだわりがあって、逆に私のこだわりのところはきっと彼にはわかりずらいのでしょうね夫婦って面白いです普段は私の大雑把なところもタティは何とも思わずにいてくれるようですが、カーテンは違いましたそんな違いを楽しみながら夫婦も楽しんでいきたいですね午後も頑張りましょう

保護者

2010-04-18 04:19:53 | 日記
先日、ゆうちゃんの通う保育園で新年度最初の集いがありました3月にKKのクラスの卒園生を温かく送り出していただいてから、1ヶ月経たずして今度は新しい子供達を迎える保育園在園している子供達と新しい子供達からでる漲るエネルギーと親の保育園への感謝と期待で室内は熱気で溢れていました皆さんから注がれる熱い視線の中で集いの進行が始まりましたそして、園長先生の話になった時ふと思いました『いつもの園長先生と違う』っと。園長先生は子供の下駄箱の上においてある『声』という匿名で保育園に対する想いを入れられるボックスに入っていた一通の父兄からの封書についてのお話を始めましたその手紙にはこう書いてあったとのこと今年度の市の保育園案内一覧ブックに当保育園は障害児の受け入れについて『無』の記載を確認しているが、保育園入り口に貼り出してある今年のクラス別集合写真の中で0歳児クラスの中に障害児が写っているけれど、それはどういうことか1歳から2歳未満のクラスでどの子供も愛情を目一杯欲する時期なのにクラスに障害児がいることで先生方の意識がその子供一人に移ってしまい、他の子供へのケアが手薄になってしまうのではないか先生方も自己都合退職等の理由で先生の回転が速いようだが、それは何を意味しているかとのこと内容を聞き終えて私はあっけにとられてしまいました』っと・・・どなたがこの手紙を書いたのは不明ですが、私的には沸々と自分の中でマグマが動き始めたのを感じていました手紙の内容からすると、恐らく筆者はこれから保育園生活を始めようとする保護者であり、その障害児のお子さんと同じ年齢のクラスになる子供の保護者であると推測されます加えて、この手紙からこの保護者が恐らく保育園探しの時点で保育園が障害児を受け入れの有無を1つのポイントとしていたのにもかかわらず蓋を開けてみたら自分が予想していなかった障害児がクラスにいたということに対する溢れんばかりの不満、その不満を正当化するために市の保育園案内に紹介されている当保育園の障害児受入れの有無の記載についての市への報告義務、先生方の在籍年数への指摘等ありとあらゆるところから周りを固めていっていることを感じました以前自分のブログに紹介させていただきましたが、KKの在籍していた5年間、家族の代わりとなってありとあらゆることに精一杯の温かさで育ててくれた我が家族にとっても第二のホームゆうちゃんも入園当初熱に悩まされたり、慣れない保育園に全くお昼に口をつけない日々が続いていましたが園長先生がゆうちゃんを別の部屋で本人が落ち着くまでお世話をしてくれたりもしてこの保育園の中に満ちているこの温かな想いと深い愛情そして、園長先生の親の視点から親が不在でもできる範囲精一杯のことをケアして、カバーするといった細やかな方向を思い起こすと、一段とこの手紙の内容に嫌な気分になりましたこの保護者がこの保育園の何を知っているのでしょうか本音としてこの保育園を選んだ理由とはなんだったのでしょうかこれからこのクラスが本格的に活動を始めていく中で、障害児のお子さんがいることにより何か不都合があるのであれば、その時に保育園に相談すればいいのにどうして頭からその子の存在を否定しているのでしょうかこれから始まる園生活。もしも保育園の方針を理解できないのであればまたきっと入れる保育園はあるのだから、他の保育園に移動することも選択肢としてあるのではないでしょうか自分の中で抑え切れなくなりそうなくらいの感情が口から飛び出しそうになってしまいましたそんな想いを巡らせている私の気持ちに気付いているのか、気付いていないのか、園長先生はそっと口を開いて話を続けました保育園案内一覧ブックについては、今年度発行された記事は去年の夏に既に作成されていたものであった、障害児と記載のあったお子さんはダウン症であり現在は要観察ということで障害者手帳はもらっていないということ、その子の保護者とは園としてできることはやらせてもらうけれど何かあった場合に責任はとれないということに関し同意を得て1年の保育ということで入園していること、園として健常児ではないお子さんがクラスにいることで健常者の子供もお互いに学べる環境があることは大切であると思っていること、昨年5名の退職者がいたがことしはそれ以上7名の先生を受け入れたこと、そしてプライベートな退職者の個々の理由についての説明そして、最後に園長先生が『皆様に安心してお子さんを預けていただけるように園として最大限のことはしていきたいと思いますので、何か今後ともありましたら何でも意見をください』と話をしめました私は園長先生の対応を聞きながら溢れる涙を抑えるのに必死でした園長先生の対応はとても立派でした保護者と園・・・保護者がお金を支払っているのだから、自分達の想いに添った形を期待して様々な意見をする人がいます意見することは必要なことかもしれませんが、相手を知る前に否定視点から切り込んでいったり、相手を認める前に自分の想いで相手を攻めていくのはどんなものでしょうかある意味こちらは園からしたらお客さんですが、受け入れてくれる場所があるからこそお客さんでいられるわけで保育園に入りたくても入れない方々もたくさんいる中で自分の子供が選ばれて保育を許可されたことに対する感謝する気持ちを忘れてはいけないと思います園長先生、園の温かさがそして私達園の素晴らしさを知っている人達が不安を抱える保護者の凍りそうな心を溶かしていければと思います『自分』がいるのではなく『周りがいての自分』ですよねおやすみなさいなせ