観光ガイドブックに載せる訳にいかないコラム

管理人「てぃんがーら」が沖縄のニュースを斬る!

八商工 甲子園決定

2006年01月31日 | Weblog
第78回選抜高校野球大会の選考委員会が31日行われ、八重山商工の初出場が決まった。(2006年1月31日琉球新報号外)

なんとも嬉しいニュースが飛び込んできました。石垣市の八重山商工高校の春の甲子園出場が決まりました。八商工は日本最南端にある高校で、離島からの初の出場となります。
管理人も平成16年に仕事でお邪魔したことがありますが、「友愛津梁」の校訓のもと台湾からの教員も活躍する、グローバルな雰囲気の高校です。
近年、九州大会などでも好成績を残しており、甲子園で大いに活躍が期待できます。
ちばりよー、八商工!

先人に感謝 発展誓う/ペルー移住100周年式典

2006年01月30日 | Weblog
 【ペルー・リマ29日=西江昭吾】県人のペルー移住百周年を祝う記念式典が
二十九日午前(日本時間同日深夜)、ペルー・リマ市のペルー県人会館の西銘順
治大ホールで行われた。(2006年1月30日沖縄タイムス朝刊1面)

本日、沖縄タイムス紙1面トップで、ペルー移住百周年記念式典の様子が写真で
報道されています。移住一世とその子孫700名が参加したということで、盛大に
式典が行われたということです。
沖縄から各国に移住した人は多く、「世界のうちなーんちゅ」として活躍され
ています。古くから海洋国家として、世界と交易をしてきた歴史と、琉球処分以
降の日本による搾取のための貧困という背景もあり、移民政策が行われてきました。
今回の式典には稲嶺事や西銘参院議員、新垣県議会副議長、翁長覇市長ら各市
町村の長も参加したということで、いかに県にとって重要な式典かが分かります。
現在ペルー在住の県系人は6万5千人ということで、これはペルーの日系人の7割
を占めるということで、今後も沖縄とペルーの友好の架け橋となることを祈念し
ます。



米大使、大幅修正を困難視/普天間移設沿岸案

2006年01月26日 | Weblog
 トーマス・シーファー駐日米大使は二十六日午前、都内のホテルで講演し、在日米軍再編の中間報告で日米が合意した普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設案の大幅修正は困難との見方を明らかにした。(2006年1日26日沖縄タイムス夕刊1面)

 米国側は、最終報告には中間報告に示された沿岸案の具体的な実施計画を加えるだけだとしています。
 日本政府の対応のおそまつさがだんだんと露顕してきました。「中間」ということばを振りかざし、問題の本質を先送りし、交渉の詰めの甘さがこういう結果になってきています。これ以上、頭ごなしに地元不在の政策を進めれば、島袋市長が懸念する「島ぐるみ闘争」に発展しかねません。
 政府はこの事態をどう収拾するつもりなのでしょうか?

沿岸案で地元説得へ/額賀長官

2006年01月24日 | Weblog
 額賀福志郎防衛庁長官は二十四日午前の閣議後会見で、米軍普天間飛行場の移
設問題で名護市が求めている修正に応じるかどうかについて「中間(報告)案の
原則に従って地元に説得、説明したい」と述べ、名護市キャンプ・シュワブ沿岸
案を修正する考えがないことを強調した。(2006年1月24日沖縄タイムス夕刊1面)

昨日、島袋新名護市長が誕生し、普天間基地移転について「沿岸案は拒否」の姿
勢を明確に打ち出しています。そして住民への騒音被害が少ない海上案ならば協
議の余地があるということが伝えられましたが、それに対して額賀長官は地元と
対決する姿勢を明確に打ち出したわけです。
ここまで、地元を頭ごなしにし、やれ特措法だ、経済援助だと愚弄し、いまさら
説得が通じると本当に思っているのでしょうか?
再び島ぐるみ闘争が勃発したら、地元も政府も大きな損失となるでしょう。政府
はまず地元とよく調整をして、その上で地元に最も負担の少ない方法を模索する
べきでしょう。


島袋氏が初当選 名護市長選挙

2006年01月23日 | Weblog
普天間飛行場移設問題を最大の争点とした、任期満了に伴う名護市長選挙は22
日投開票され、日米で合意している同市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸案には
反対だが政府との協議に応じる姿勢の前市議会議長で保守系の前市議・島袋吉和
氏(59)=無所属、自民、公明推薦=が1万6764票を獲得し、移設に反対
した元議長で保革相乗りの前市議・我喜屋宗弘氏(59)=無所属、社民、社
大、共産、民主、自由連合推薦=に5735票の大差をつけて初当選した。
(2006年1月23日琉球新報朝刊1面)

本日朝刊1面トップは、昨日行われた名護市長選についての結果を報じています。
当選した島袋氏は、普天間飛行場の移設について、柔軟な姿勢を持っています。
すなわち、騒音や事故の危険性がある陸地・沿岸への基地建設は絶対に反対とし
ながらも、代替案については地元が納得すれば協議に応じる考えを明らかにして
います。
また、地元の同意がないまま移設を強行すれば、再び島ぐるみ闘争になりかねな
い、と警鐘を鳴らしています。

今回、基地反対派も票が割れてしまった感もあります。
また、基地の経済効果を望む市民もいます。これらの民意をまとめていくのは大変なことです。
この難局をどう切り抜けていくのか、手腕に期待します。


サンエー1部上場/流通業県内初

2006年01月21日 | Weblog
東京証券取引所は二十日、県内量販店最大手のサンエー(宜野湾市、上地哲誠社長)の市場第二部から第一部への昇格を承認、二月一日付で一部に指定すると発表した。(2006年1月21日沖縄タイムス朝刊1面)

サンエーといえば、ショッピングセンター、スーパー、外食、ホテルなどを県内で75店舗を展開する流通業の最大手です。
宮古島の商店からスタートし、1970年にサンエーを設立、安里にスーパーを出店しました。
当時、那覇の大型店といえば、国際通りの百貨店3店(三越、リウボウ、山形屋)とナハショッピングセンター(ダイナハ)くらいでした。
あとは、コザの銀天街にわこうグリーンプラザ、一番街にコザショッピングセンターがありましたが、まだまだ一般の小売店が元気が良かったころです。
地元に密着した経営でサンエーは食料品を中心に店舗を拡大し、大規模店も多くつくっていきました。
同時期に「オキマート」もスーパーを展開していましたが、サンエーやジャスコに押され会社更生し「新鮮市場」として再挑戦したものの昨年に倒産しています。
サンエーは96年以降10期連続増収増益で、その堅実な経営が評価されています。

今後は県外進出も積極的に進めていくということで、沖縄経済の牽引車としての活躍が期待されます。
尚、2月10日に、上場記念セールを実施するということで、楽しみです。

米軍きょう飛行再開/墜落F15機

2006年01月19日 | Weblog
車より安全・漁民に危険ない
 米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機がうるま市伊計島沖に墜落した事故で、同基地報道部は十八日夜、第一八航空団司令官ジャンマーク・ジュアス准将の声明を発表し、「すべてのF15戦闘機の安全点検は終了した」として、十九日から墜落事故と同型機の飛行再開を明らかにした。(2006年1月19日沖縄タイムス朝刊1面)

 記事では、嘉手納基地第一八任務支援群司令官のチャック・エニス大佐の発言として、「車の交通事故より安全」「漁民に危険は無く、パイロットの方が危険だ」などという県民に対して配慮を欠いたコメントを紹介しています。
 また、エニス大佐は事故原因について「現時点では、まだ何も分かっていない」と述べたということですが、何も分かっていなくてなぜ飛行再開に結びつくのかが理解に苦しみます。
 要は米軍は、はなから県民の存在など考慮していないわけです。日本政府の毅然たる対応を望みます。

米軍F15機が墜落/伊計島東75キロ洋上

2006年01月17日 | Weblog
 十七日午前十時ごろ、伊計島の東約七十五キロの洋上で、米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機一機が墜落した。パイロット一人が緊急脱出し、同午前十一時すぎに米軍が救出した。(2006年1月17日沖縄タイムス夕刊1面)

 沖縄タイムス・琉球新報の県内2紙の夕刊トップ記事です。墜落したF15は、訓練空域で墜落したということで、事故原因や状況の詳しい情報は入っていません。
 海上には東西約二キロ、南北約九キロの幅で油の流出を確認したということで、今後の海洋汚染も気になります。
 墜落した海域は、漁船が多く操業しており、こうした漁民を巻き込む可能性もありました。
 戦闘機の墜落事故で思い起こすのは、昭和34年6月30日、嘉手納基地を飛び立った戦闘機が操縦不能に陥り、パイロットが海上で脱出後、機体はUターンし石川市の宮森小学校に墜落、児童を含む住民17名が犠牲なった事件です。
 とにかく、余りに米軍の事故が多く、かつ原因究明もうやむやになっているケースがほとんどです。
 飛行機に限らず、車でも自転車でも、およそ人が動かすものには事故の可能性は必ず付きまといます。問題は、事故後の対応と、改善策です。その双方とも、米軍には欠落しているように思えてなりません。

普天間飛行場 硫黄島移転連携訴え/翁長市長関係自治体に

2006年01月13日 | Weblog
 在日米軍再編で協議されている米軍普天間飛行場移設問題で、翁長雄志那覇市長は十二日、硫黄島(東京都小笠原村)に移転する独自案の実現を目指し、同飛行場の一部機能の移転先となる自衛隊鹿屋基地(鹿児島県)や、同協議で基地機能の受け入れ先とされている米海兵隊岩国基地(山口県)などの関係自治体の首長に、積極的に連携を働き掛けていく方針を明らかにした。(2006年1月13日沖縄タイムス朝刊2面)

 硫黄島は沖縄と並んで、太平洋戦争時に米軍と日本軍の地上戦が行われた場所です。当時、硫黄島には約1000人の住民が住んでいましたが小笠原等に疎開し、約2万人の日本軍が布陣しました。対する米軍は約25万人の兵、約65万人の後方支援部隊、800隻の軍艦、4000機の航空機で、硫黄島奪取を図りました。
 当初、5日間ほどで占領できるとしていたのにも関わらず、日本兵のゲリラ的な反撃、バンザイ攻撃で、1ヶ月におよぶ激しい戦闘が行われました。日本兵はほとんど玉砕、米軍は日本軍を上回る損害を被りました。
 現在、自衛隊基地がおかれ東西8km、南北4kmの島に住民は住んでいません。
 この太平洋上の孤島に米軍基地を作れば、住民に対する騒音被害や事故の危険を回避することができます。現に、夜間の離発着訓練など、通常できない訓練が行われています。
 翁長市長は石原知事にも面会を申し込んでいるとのことです。石原知事は過去「伊江島には飛行場が2本もあり、遊んでいる。伊江島に移転させるのが現実的だ」と発言していました。
 現実的、というのであれば、海上にゼロから飛行場を作るよりも、硫黄島への移転も非常に現実的のような気がします。

米軍、深夜訓練を強行

2006年01月12日 | Weblog
キャンプ・コートニー 断続的に空砲音確認
 うるま市内の米軍キャンプ・コートニー内での空砲使用を伴う夜間上陸訓練は十二日午前零時三十分ごろ、同基地内から空砲の連射音が断続的に聞こえ、訓練開始が確認された。(2006年1月12日沖縄タイムス朝刊1面)

 記事によると、米海兵隊は十一日午後五時から十二日午前三時までの深夜に訓練を行ったということで、隣接する住宅地の住民は非常に不安だったと思います。
 訓練はやむを得ないとしても、沖縄には離島も含め、多くの米軍訓練地域があります。嘉手納基地の国道フェンス際の模擬爆弾を使った訓練も問題になりましたが、なぜわざわざ住宅地に近い場所で訓練をするのでしょうか。
 もう米軍はやりたい放題のことをやっているとの印象は拭いきれません。