鉄器製造が北部九州に偏っていたとされることに、まず一石を投じたのが淡路島です。
播磨灘を見下ろす海抜200メートルの地にある五斗長垣内遺跡は、弥生時代後期の遺跡です。
23の竪穴式建物のうち12棟が鉄器工房とみられ、約130点もの鉄器が出土し世間を驚かせました。
およそ100年間にわたり鉄器作りをしていた様子です。
ほぼ同時期、五斗長垣内遺跡から6キロほど南西に舟木遺跡が存在しています。
舟木遺跡からも4棟の竪穴建物跡と刀子などの鉄器や鉄片、約60点が出土したそうです。
どちらの遺跡も2世紀後半が最盛期で、3世紀には終わっていたようです。
突然山の上に現れた2つの遺跡は、3世紀、大阪湾の奥に纏向遺跡ができた頃に何故か消滅しています。
この2つのムラに当時貴重だった鉄器を作らせていたのは、はたして淡路島の勢力だったのでしょうか。
淡路島は紀元前からの青銅器が多数出土しており、淡路島には古くから財力も勢力もあった様子です。
それとも阿波や播磨、紀、摂津などのクニが秘密を守りやすい離島に工房を設けたのでしょうか。
遺跡が突然現れ、忽然と姿を消すことから考えるに畿内の勢力の秘密工房とみるほうがロマンがあるかもしれません。
しかし淡路島で鉄器を作っていたにもかかわらず、纏向が造られる直前の畿内は鉄不足だったというのですから不思議です。
淡路島で作られた鉄器はどこで使われたのでしょう?
一番最初に生まれた島とされるくらい重要な島ですから、淡路島からはまだまだ何か出土しそうです。
舟木遺跡は「淡路市国生み研究プロジェクト」を立ち上げお金も人もかけて発掘調査を行った結果、大きな成果をあげています。
大企業が本社を淡路島に移すことにより淡路島の財政が潤い、あるいは新たな工事が必要となった結果、まだ見ぬ遺跡が発掘されることを期待して止みません。
・・・発掘されたらされたで、私の場合、また判らないことが増えそうですが。