古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

牛を食す神武天皇

2021-04-08 17:31:09 | 歴史

日本列島で牛が飼われるようになったのは、いつからなのでしょうか。

日本書紀に宇陀の弟猾が牛酒で磐余彦(神武天皇)を饗応した場面が出てきます。

紀元前663年の出来事とされています。

牛の骨が出土するのは5世紀からで、それも5世紀には御所市の南郷遺跡くらいで出土例が極めて少ないようです。

6世紀の出土地は近畿地方に8割以上が集中し、あとは下総国から出ている様子です。

牛形の埴輪も兵庫県朝来市の船宮古墳のものが5世紀後半と考えられていますが、概ね6世紀代のものばかりです。

雄略天皇によって父を殺された、のちの仁賢・顕宗天皇が馬甘・牛甘(牛飼い)として身を隠したという話も書かれています。

牛が畿内にいたのは5世紀の終わりくらいからなのでしょうか?

馬の飼育についても5世紀頃であると考えられているようですが。

 

神武天皇が牛を食していたならば、神武天皇=応神天皇と考えてOKなのでしょうか?それでも1世紀ほど合いませんか。

もしも神武天皇が九州人で、畿内で牛を初めて食べたのなら...と想像すると面白い・・・。

応神天皇と神武天皇とは同一人物だとする説をとる方も多いですね。

牛を食すことだけに拘るなら、神武天皇や応神天皇は崇神天皇とは同一人物ではないと考えるべきなのでしょうね。

崇神天皇は実在の可能性が高い最初の天皇で、実在するならば3世紀後半の人物とされていますから、その頃に牛はいなかったと推測されます。

神武天皇=応神天皇で崇神天皇は別人だとするならば、崇神天皇より前に神武天皇がヤマトに来たという話を作ったのは何故なのでしょう?

そしてその前にはニギハヤヒがいる・・・。

 

皇統が途切れかけたとき、継体天皇が「応神天皇の5世孫」として現れます。

応神天皇が重視されているように感じます。

応神天皇こそが実は大和朝廷にとってのハツクニシラススメラミコトなのでしょうか??

継体天皇は天皇となる前、越にいたとされます。

応神天皇は越の気比大神と名前を交換したとされます。

諱の考えがある時代に名前を交換するというのは、もう人物が入れ替わったに等しいことだとおもわれるのですが…。

神武天皇=応神天皇であるならば、気比大神との関係をどう考えていいのかが私にはわかりません。

神武天皇=応神天皇でなくても、気比大神との関係についてはわからないのですけどね…。

 

う~ん、記紀の細部に拘ると、どうにもなりませんね~ (*´з`)


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