国産みの島、淡路島からは21点もの銅鐸が出土しています。
淡路島の銅鐸を思うに、イザナギは鐸(さなき)の神だと感じます。
松帆銅鐸は弥生時代中期前半の最古級の銅鐸と同じ特徴を持っているそうです。
出雲の荒神谷と同范の銅鐸も出土しています。
この銅鐸に付着した植物片の放射性炭素年代測定を実施したところ、銅鐸は紀元前4世紀から紀元前2世紀に埋納されたということがわかったと、南あわじ市の教育委員会より発表されています。
松帆銅鐸の研究が進み、私には銅鐸を埋納した理由がますますわからなくなりました。
銅鐸が埋納された理由は、首長霊信仰の成立によるものであると多くの研究者が発言されています。
しかし松帆銅鐸は紀元「前」4世紀から紀元「前」2世紀に既に埋められたというのです。
この埋納が首長霊信仰と本当に関係しているのでしょうか。
しかも銅鐸は各地でバリバリの現役である時期に埋められるのです。
要らなくなっただけであれば、銅鐸を他の地域に流通できたはず。
銅鐸を欲しがる地域も多かったでしょうに。
倭国大乱の時期でもないし、この直前に災害の痕跡が淡路島であったという学者の話も聞いたことがありません。
そもそも淡路島に多くの青銅器が眠っているのは何故なのでしょうか。
淡路島の銅鐸は舌を伴って埋納されており、これは淡路島の地域性だと思われることから、銅鐸を埋めたのは畿内の中心地域の集団などではなく、淡路島の在地勢力だという説があります。
淡路島は青銅器をたくさん所持できる豊かな島だったということです。
交換財があったがこそ青銅器を所持しているはずですが、淡路島の交換財は何だったのでしょう。
交換財ではなく、海運で財をなした島なのでしょうか。
銅の交換財は何だったのか。これは淡路島だけの話ではありません。
倭国は一体何を銅と交換していたのでしょう。
朱?硫黄?木材?海産物?布?玉?それとも奴隷?