古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

褐鉄鉱製鉄 ③

2020-10-25 10:32:03 | 歴史

原始的製鉄では世界的に褐鉄鉱が使われていたのだそうです。

スウェーデンやハンガリーでは泥状沼鉄による褐鉄鉱製鉄が行われていました。

鉄は熔解しなくとも700度~800度で可鍛鉄が得られるらしいですから、縄文土器を焼く温度で製鉄も可能です。

1870年には既にドイツの学者、ルードヴィヒ・ベッグ氏が青銅器よりも先に鉄器がつくられたという「鉄器先行説」を主張してます。

もし作られていたとしても粗製鉄器は腐食しやすいため、残らないのだといいます。

古代の日本においても、ベンガラの材料として高師小僧や鬼板などを日常的に熱していたのであれば、褐鉄鉱による製鉄があったとて不思議ではないと思うのです。

 

岡山県赤磐郡の門前池遺跡は弥生中期末の遺跡です。

浅いピット内の一部に焼土面があり、その側から多量の褐鉄鉱(沼鉄)が出土してます。

報告書では鍛冶炉遺構となっているようですが、製錬炉ではないかとの意見もあるようです。

この遺跡などは褐鉄鉱製鉄の遺跡のように思うのですが。

 

日本では紀元前3世紀頃に鉄器が伝わったものの、製鉄が始まったのは5世紀後半から6世紀というのが通説です。

本当に800年もの長きにわたり、製鉄技術は伝わらなかったのでしょうか。

しかも日本で始まった製鉄は、中国や朝鮮半島では5世紀後半には痕跡のない「たたら製鉄」だというのですから、どうもおかしい。

 

広島市小丸遺跡では3世紀のものと推定される2基の製鉄炉が見つかっています。

鉄鉱石やスラグと共に弥生後期の土器片も製鉄炉遺構のそばから出土しており、弥生後期の広島で製鉄が行われていたことは間違いないようです。

今後も続々と弥生以前の製鉄遺跡が発見されれば、日本の古代製鉄の実態が解明されるでしょうか。

 

ひとつ行き過ぎた妄想を語ります。

銕という字はなぜ金偏に夷なのでしょうか。

鉄の中国への伝播はシルクロードを通ってきたはず。

中国は四方のえびすを東夷、西戎、南蛮、北狄と言い分けています。

西から来たえびすの金なら、金偏に戎がテツという漢字になっていてもいいのでは。

夷の字を使ったのは鉄が最初に中国に伝わったのが、実は東のえびすからだったから。

東とは=倭。鉄が伝わったとき、中国の人は「これは倭が使っている金属だ」と思ったのなら楽しいんですが。

 

しかし褐鉄鉱製鉄があったならそれを手放した理由がわからないので、やはり褐鉄鉱製鉄などなかったのでしょうか。

材料となる褐鉄鉱なら今でも豊富に採れますもの。