モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

モナ・リザは画家を志して死ぬまでのダ・ヴィンチの集大成

2015-05-01 17:43:08 | 日記


GREE日記より転写、2011/01/29


ダ・ヴィンチにとってモナ・リザは、人生の歴史を綴った、特別な意味を持つ絵画であることを理解しました。
先ほどの日記は、解り辛い文章だったので年代別に説明致します。
まだまだ、個人的な見解であって、専門家の方に実証された内容ではありません。
レオナルド・ダ・ヴィンチ ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)
1503~1505?

構図が類似し、モナ・リザと同一サイズの体の絵が存在した。
伝レオナルド・ダ・ヴィンチ
ほぼ確実に弟子か共作者中心による作
リッタの聖母
1490年
同年代に、レオナルド・ダ・ヴィンチ
女性の頭部というデッサンがある。
専門家の方の見解によれば、この女性の頭部は、リッタの聖母の原形だという。

リッタの聖母に、顔のうつむいた角度と、額、鼻等が、全て一致した絵画があり。
伝レオナルド・ダ・ヴィンチまたはロレンツォ・ディ・クレディ
『女性の頭部』
1470~1476

この絵に驚くほど、類似した絵を発見。
旧伝 レオナルド・ダ・ヴィンチ
現伝 ロレンツォ・ディ・クレディ
一部レオナルドら同僚関与か
『受胎告知』
1472~1482
《池上英洋氏 監修の 西洋美術の巨匠達⑧レオナルド・ダ・ヴィンチ によると、ルーブル美術館の『受胎告知』と、レオナルドとの関係を断ち切れないのは、『受胎告知』のマリアと、本デッサンの女性の頭部とのあまりに強い関連性のためである》
あまりに強い関連性と池上先生は表現されていました。
モナ・リザを遡って、遡って、遡って辿り着いた姿が聖母マリアの『受胎告知』です。
私は、このようにイメージしました。
1472年当時の聖母マリアの『受胎告知』を産みの母カテリーナに重ね合わせて、来世に巡り会うであろう母を想像して描いた絵画が『モナ・リザ』であると思います。


母をモデルに、絵を描いたダ・ヴィンチ

2015-05-01 15:01:07 | 日記

良かったら、「モナリザ新たなるタイトルに向けて」のブログを読んで下さいo(^-^)o


ダ・ヴィンチは聖母の絵を描く時、追憶のなかにある母の顔を思いだしながら、描いていました。


歴史的に、画家は、「自分の大切な人をモデルにして、聖母マリアを描いていた」という話をご存知の方はよくいらっしゃると思います。


それが恋人であったり妻だったり、愛娘だったり、画家は、自分の大切な人をモデルにして、絵を描いていたのです。



ダ・ヴィンチにとっては、それが母だったのですね。



追憶の母カテリーナ

http://blog.livedoor.jp/kochie-141016/archives/50356869.html


イザベラ・デステの肖像画だと言われている絵も本当は母だった。
(モナリザ新たなるタイトルに向けてのブログでは、入力間違いでヘンテコなタイトルになっています ^_^; )

http://blog.livedoor.jp/kochie-141016/archives/50356870.html


皆さん、常識を疑おう!!

http://blog.livedoor.jp/kochie-141016/archives/50356871.html


引き裂かれた子を想う眼差し


http://blog.livedoor.jp/kochie-141016/archives/50356894.html