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カンレの日記

還暦の年から始まったブログ、いつの間にか古希そして喜寿を迎えた日々のこと。思いのままに。

切り干し大根と納豆(ときなっとう)

2021年01月24日 | 思い出話

朝起きたら、深々と雪が降っていた。

この降り方だと、相当な雪が積もりそうと思っていたら

なんと、お昼ごろには雪はやみ溶け始めた。

 

 

で、こんな天気だと気になるのは、先日干した切り干し大根。

完成にはまだまだかかりそうなので

生乾きの切り干し大根で食べちゃうことにしました。

良く洗って、戻し時間なし、こりゃらくちんです。

ちょっと絞って鰹節とお醤油で食べてみたのです。

まぁ、歯ごたえ合って、切り干し大根の香りもあって

ちょっとした漬物のような感じで食べられました。

凍った大根も気になりませんでした。

明朝は、これを、納豆に入れて食べてみよう。

切り干し大根と納豆って合うんですよ。

皆さんご存じかな?

 

 

カンレが、小さい頃(自給自足の生活)は

大豆を煮て、藁で作った入れ物(つとと言って水戸納豆のような入れ物)に入れて

大きな穴を地面に掘って

その中で、藁を燃やし地面を温めるのと消毒?ですかね。・・・をして

熱い大豆が冷めないうちに

その中に、つとでくるんだ大豆を並べ数日置くと

藁から出る納豆菌の働きで納豆が大量にでき上ります。

 

 

一軒の家で大量にできるのですから

その保存方法として、イチョウ切りや半月切りにした切り干し大根と

(↑ このイメージとは違います。ちゃんと干しあがったものを戻して使う)

塩を混ぜて、瓶に入れて漬けこんでおくんです。

で、毎日そこから食べる分だけ小鉢によそって食べていたのです。

納豆の強い香りと、切り干し大根の強い香り

意外にマッチしていた記憶があります。

 

なので、今回は、納豆に入れた生乾き大根で

昔の味を楽しむチャンス到来!って解釈です。

結果オーライ~!

なのでした~!(^_-)-☆

 

 

今の納豆は小分けパックに入っていてなんと便利なことか

ありがたやありがたや<m(__)m>

 

 

 

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懐かしい赤チンのこと

2020年12月24日 | 思い出話

赤チンと言えば、昭和の時代の常備薬

転んで擦りむいても、赤チン

指の切り傷にも、赤チン

赤チンさえつけておけば、あらゆるキズは治ってしまう。

そう思い込んでいた昭和の世代の人は、多いのではないでしょうか。

私も、その一人でした。

 

しかしある時、製造禁止?

付けてはダメと言われ、傷の消毒はマキロンに変わっていったんですよね。

で、いつの間にか周りから赤チンが消えていったのです。

最初は、何だか、マキロンでは物足りない感じ

キズの治りも遅かったような?

 

ないものは使えないので、探す気もなくあきらめて

マキロン消毒→カットバンになっていったんです。

今のカットバンは、通気性もよく

衛生的で、ま、傷の治りも早いみたいですがね。

 

しかし、有るところには有ったのですね。

何だか、ネットニュースで

このクリスマスに、最後の最後まで作っていた会社が

この25日に製造を終了すると載っていました。

それなら、まだどこかにはあったのね。

一瓶買っておけばよかったとか思っちゃいました。

そんなニュースで、赤チンを思い出したのです。

皆さん思い出しませんか。

若い方は知りませんよね

 

こちらニュースです。

 

 

 

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綿の花から(ワタの木)

2020年09月18日 | 思い出話

カンレが小学生のころは

自給自足の時代で育ちました。

綿を摘んで、種を取り綿になるまでの工程はほぼ覚えているのですが

どんな木でどんな花だったか記憶にありませんでした。

最近、綿の木を植えている花壇を見せてもらって

とても懐かしくて観察させて頂いちゃいました。

 

花は、8月28日撮影 ↓ オクラに似た花でした。

9月11日撮影 ほうずきのような実が生って

9月18日、今日は、実がはじけて綿が見えていました。

とっても懐かしいものを観察させていただきました。

綿の木も、いろんな種類はあるようですね。

 

もう少しふわふわになったころに、摘み取るんですよね。

この綿を摘み取ると、中には種があって

種を取り除く作業が面白くてよくやったものです。

上下にローラーが付いた、おもちゃのような機械に

綿を挟んでぐりぐり手回しすると

綿は、ローラーを抜けていき

種だけ残り、綿と種が分離していくのです。

 

YouTubeにありました。↓ こんな感じです。

 

小学生でも、これは良くできているものだと感心して

面白くて飽きるまでぐりぐりやっていた記憶がよみがえってきました。

懐かし~い。

 

この綿で、綿入半纏(わたいれはんてん)やかいまきを

母が作ってくれたんです。

布団の綿はどうだったか記憶にないのですが

布団作りもよく手伝わされました。

ああゆう時代があったんですよねぇ。

環境問題なんてない時代でした。

 

追記

9月24日の写真が撮れました。

ふわふわの綿らしくなってきましたねぇ。

 

 

 

 

 

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金魚売りや風鈴売りの職業があった

2020年08月16日 | 思い出話

毎日暑いですね。猛暑お見舞い申し上げます。

新型コロナの影響で、夏祭りがどこでも中止になり

「金魚屋さんも金魚すくいの需要がなくて困っている。

小売りでは、多少需要があるが・・」

というニュースが流れていました。

 

いつの間にか風鈴の文化も遠いものになている気がしますね。

我が家も片づけをしていたら

風鈴が一個出てきたので、飾ってみました。

あ、↑ これはネットの無料画像ですけど・・・

 

で、昔のことを思い出しました。

風鈴売りや金魚売が ♪きんぎょーえーきんぎょ♪

と、街中を担いだり、リヤカーに載せて売っていた

時代があったんですよね。

 

昔の夏の風物詩だったと・・・それを思い浮かべると

何てのどかで、風流なことか・・・

まして、その商売が成り立っていたのですから

今では、信じられない時代でもありましたよね。

 

そんな中で、育った子供たちは

情感がはぐくまれていたのではないかと想像しております。

もちろん、その頃の大人も

それを求めて、風鈴を買い金魚を買い求め

親も子も祖父母たちも一緒に楽しんでいたのでしょう。

それが、商売として成り立つほどの消費があったのも

今では不思議でなりません。

 

代々、そういう感性が育つ瞬間って大事だったと思いました。

情操教育の原点ではなかったのかなと・・・

戦後75年大きく時代は変わりました。

昔に戻れないかもしれませんが

今こそ、情感を育てる場を意識をして

できるだけ多くの感性を育てる工夫が

求められる時代になっているのではないかなと・・・

 

ストレスが多い現代、老若男女み~んなで

穏やかな、ゆったりした癒しを求めてみては・・・

そんなことを、ふと思った日でした。

 

 

 

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ドクダミの利用は?

2020年07月01日 | 思い出話

今、どこに行ってもドクダミがいっぱい生えていますね。

花は結構きれいですが、匂いはきついです。

我が家の庭にもあって、引き抜くのが大変でした。

根っこが深いんですよね。

ドクダミ茶とかいろいろありますが

昔、ドクダミの葉を干して煎じて飲むと解毒作用があるとか

せんぶりは、干して、胃の薬だとか

熱さでばてたときとかには、梅酢を飲まされたりとか

いろいろ民間療法で、ある程度の病気は治ったものでした。

 

そうそう、このドクダミの根っこは、昔

おでき(バイ菌が入って皮膚が赤くはれあがる)が、できたときに

この根っこをきれいに洗って

囲炉裏の火で焼いて、ペースト状にしたものを患部に貼ってもらった

記憶がよみがえってきました。

不思議と腫れが引いたり

中から膿が出て、治ったものでした。

 

今は、気軽に病院に行けるから、こんな話をすると

笑われそうですけど・・・

あの頃(戦後のころ?)の病院のイメージは

「生死をさまようような人が行くところ」とされていて

あの人病院に行ったんだって、と聞くと

それはそれは、大変なことだったようです。

 

現代は、大きく変わってこれが良いのやら?

よいのやら?(笑) わかりませんが・・・

コロナの特効薬、早く見つかるといいですね。

 

 

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時の流れに身を任せ、専業主婦を楽しむ

2020年05月03日 | 思い出話

毎日コロナのことは、頭から離れませんが

自粛生活にも慣れた感じがしてきました。

こんなに、長い人生の中で

こんなにも、のんびり主婦業に専念したことがあったでしょうか。

 

 

朝、目が覚めたとき時間に関係なくのんびりと起きて

朝食を二人分作り

気が向いたら、掃除をして(時には念入りに掃除を)

気が向いたら、ウォーキングをして

気が向いたら、夫と話をして

気が向いたら、お花の写真を撮って

気が向いたら、晩酌をして食べたいものを食べる。

・・・・・こんな時が来るとは・・・コロナのせいとはいえ

想像がつかなかった生活です。

専業主婦の快感がそれなりに感じるようになってきたのです。

 

 

最初は、夫の分まで3食きちんと作るのも不満がありました。

何かしなければと思っても、思うようにできないし

あそこも行きたかった・・・

あの人にも会いたかった・・・

こんな生活でよいのか?・・・等々

心に余裕がなく、コロナにおびえる生活でした。

 

 

それが

起きたいときに起きる気ままさがあって

お掃除をした後の快感があって

ウォーキングの快感があって

お花を眺める時間に癒されて

食べたいものが食べられて食欲が満たされて

頑張らなくてもよい生活があって

こんな小さな喜びにきずけた感じがしています。

 

 

若いころ

子育てに余裕もなく夢中だったころ不満がいっぱいあったような・・・

子育てに協力しない夫に不満がいっぱいあったような・・・

子どもたちにお金がかかるころ、夢中で働いたような・・・

何か趣味も持たなければと、いろいろやったが疲れていたような・・・

仕事をやめて、趣味を持たなければ・・・の

ストレスもあったような・・・

振り返ってみると、ずっと、時の流れに身を任せ

その都度、楽しみながらでもありましたが

余裕なく頑張ってきた感じがするのです。

 

それが、今の自粛生活にも身を任せてみたら

意外や意外細かいところへの

五感が戻った感じもするから不思議です。

コロナが終息しても

生活の質を見直すきっかけになりそうです。

 

 

でもこんなに、のんびり過ごさせていただいている間も

医療関係者の方々、どうしても休めない人たちには

感謝することは忘れてはおりません。

ありがとうございます。<m(__)m>

 

 

 

 

 

 

 

 

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息子を手放す母親の心境・何事もプラス思考で

2020年03月14日 | 思い出話

今、新型コロナウイルス騒動の中

子どもたちは、引きこもりを余儀なくされていることを思うと

なんとも、可哀そうで

可哀そうを通り越して、子供たちが壊れてしまうのではないと

老婆は心配が尽きないのであります。

 

そんな中ですが、進学就職等々新しい春に向けて

やらなければならないことに

前向きに取り組んで新しい春を迎えようとしています。

 

で、我が家の40年前のことを思い出していました。

たまたま、先日息子と話しをする時間があって

初めて知ったことなのですが

「大阪の大学に合格した時、母は喜んでくれなかった」

「喜ぶどころか、急に機嫌が悪くなってその後も機嫌が悪かった」

と言うのです

私は、当時のことをすっかり忘れて

「え~!そんなはずはない」と

「息子が合格したのを喜ばない母がいるものか!」

と、息子の言葉が信じられず反論したのですが・・・

 

冷静に思い起こせば、あの時、息子は東京の大学と

大阪の大学も受験していて

母は、東京を望んでいたが、息子は、大阪に行くと決めた。

そこの違いで機嫌が悪かったのかもしれないと・・・

なんとなく記憶がよみがえってきたのです。

 

大阪は遠い!大阪に行ってしまう!

ただそれだけで、母心というものは複雑なものなのですね。

その後、息子は大阪でいろんな体験をして

東京に就職をして

就職後もいろいろあって今の会社に落ち着いて・・・

 

一方、私は、息子がいなくなった後

更年期障害に襲われて

一時大変な思いを経験しました。

そのころから、地域孫の顔を見ると癒されていたっけ。

こうして、生まれたときから、長年生きていく中で

その人の個性や人格が決まっていく過程なのだと・・・

誰もが、平たんな道を歩いていけるとは限らない

いや、誰もがそうではないと思った方が正しいかもしれませんね。

そうしたことが、一つ一つ自分の力になっていくのは間違いないと思う。

 

今年の春はまた、今までと違った

新型コロナウイルスの影響も+されるのですから

これを機に、プラス思考で乗りきっていく手立てを・・・

学校の休校も、子どもが壊れないために

どう乗り越えていったらよいか

みんなで知恵を絞って考えなければ・・・

と思いはしても・・・なのですが・・・

まずは、自分の頭が壊れないようにパソコンや編みもので

日々過ごしたいと思った日でした。

 

 

 

 

 

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羊の毛に触ってみて昔を思い出す

2020年01月18日 | 思い出話

先日孫と一緒に

動物ふれあいコーナーで羊にも会ってきた時

カンレが小さい頃の自給自足の生活を思い出していた。

どの家でも、いろんな家畜を数匹飼って

馬は農耕馬として

羊は、毛を刈ってセーターを用として

ヤギは、ヤギの乳を搾りミルク代わりとして

ウサギは、子を取り餌を与えて大きくなると売り、現金収入に

鶏も、卵を取り、時には肉を食べ貴重なたんぱく源として

そんなことを思いながら・・・

孫に「羊の毛をかき分けてごらん」と言うと孫は

表面カパカパの羊の毛に怖がりもせずかき分けてみていました。

どう?中はきれいでしょ。この毛がセーターになるのよ。

ばぁばは得意げに話したのでした。(*_*;

わーすご~い! と・・・孫

 

そうなんです。

この毛を刈り取って毛糸にしてくれる専門の業者が来て

毛糸の見本を見せられて色や太さを指定すると

毛糸になって戻って来る。

で、その毛糸を機会編みをしている近所のおばちゃんに

兄弟みんなのセーターを編んでもらう。

そんな時代があったこと・・・今では考えられませんね。

そんな時代から現代まで生きてきたのが

不思議な感じさえしています。

 

家畜をこれだけ飼うってことは

自然の中から餌を調達(草を刈って)して家畜に食べさせ

糞の処理をして、また土に肥料として返す。

そんな仕事を年齢に応じて役割があったわけで

ぼーっとしてゲームをしている暇などありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

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平凡社の百科事典

2019年08月09日 | 思い出話

毎日暑くて暑くて

急遽エアコンを一台増やすことにしたのです。

無理を言って8日に入れてもらって

無事工事も済んで、追加の冷房室は完備いたしました。

しかし、エアコン工事のための片づけが

連鎖反応であれもこれも動かさなくてはならなくなって

暑さの中でしたが、棚を2つ処分して

やっと部屋が少しすっきりして、使えるようになりました。

一つ困っているのは、長年本棚に入っていた

平凡社の百科事典をこの際処分?廃棄をすることを決心して

棚から出しておいているのですが・・・

 

これは、昭和40年代に買った、当時は高価なものでして

夫(今はじいちゃん)がローンで買って

その後、ローン付きで結婚したんですよ。

そんな訳あり百科事典なのでした(*_*;

さて、もらってくれる人か?

引き取ってくれるところがあるでしょうかねぇ。

 

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芋洗い棒

2017年10月10日 | 思い出話

昨日は、とても懐かしいシーンをたくさん体験してきました。

私が、かかわっているNPOのイベントで里芋堀があったのです。

その計画の中で、里芋の掘かたと里芋についての説明をしてほしいと頼まれて・・・

昔の想い出をたどって・・・おこがましくもお話をしてきちゃいました。

掘り方、葉っぱでの遊び、芋がらの作り方など・・・

で、うまく出来たかどうかは別として(-_-;)無事イベントは終わりほっとしているところです。

会場の里芋畑は、とってもいいロケーションで懐かしくて懐かしくて・・・

目的は、親子で体験の交流会なのですが

私自信が楽しみ、タイムスリップをしてどくとくの癒しの時間を過ごさせていただきました。

会場を提供してくださったKさんと企画をしてくださった皆さんに感謝です。

それと、里芋を洗う昔からの芋洗い棒もあって

泥だらけの里芋が、どんどんきれいになていくのを見ている子ども達、

ママやパパたちも興味津々。

子ども達も、次々に体験していました。

カンレ世代の人は、どこの家にもあったのでご存知かと思いますが、木の枝ぶりを利用して作ってあります。

持ち手はすり減って、使い込んでいますねぇ。

里芋堀なんて、55年も前にしたっきりでしたが身体は憶えているものですね。

また畑を耕したくなってきました。

しか~し「虫が嫌い」も、体は憶えているのです。(-_-;)

 

 

 

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11月22日OB会のこと

2012年11月29日 | 思い出話

なんだかこの頃、ブログ投稿がめちゃめちゃで前後していますが

先日、カンレが出産前まで勤めた会社のOB会に出席した時のことを

記録しておきます。

3年ぶりの人、20年ぶりの人、40年ぶりの人もいて

懐かしい話で盛り上がりました。

当時は高度成長期

45年前の工場でしたが

夜にはライトアップまでされてて

空調設備も最新、一年中25度の室温が保たれ

暑さ寒さにも悩まされることなく白衣姿で仕事が出来て

教養講座の受講が義務づけられたり

和裁、洋裁、編み物、料理、お花と

一応の花嫁修業までさせてくれた会社でした。

プライベートの遊びは

ボーリング、スケート、ハイキング、山登り、歌声喫茶、社交ダンス

そんな、遊びが流行った時代でした。

今回は、その時代の仲良し3人組と

OB会の前に待ち合わせをしたのですが

あまりにもお互い年を取りすぎておりましたので

逢えるかどうか心配でした。

・・・が、お互い面影は保っておりまして、無事再会出来たのであります。

その後3人で懐かしい駅周辺や

元住んでいたところも行って見ました。

そこはもう、大きなマンションが建っていて

大きく変わっておりました。

でも、気持ちは、あの頃のままでして・・・話は途切れることがありません。

 ↓ 川崎駅の、新しいショッピングモール(ラゾーナ川崎)

Photo

ここで、ランチをして

5時半からの宴会に出席、楽しい時間を過ごして来たのでした。

来年は、那須一泊を計画する約束もして来ましたので

元気でいなくてはなりません

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還暦祝いを那須で・4世代同居家族に敬意

2012年11月13日 | 思い出話

那須の温泉一泊で、弟の還暦祝いをしてきました。

長兄が還暦になったときからはじめて

今回の弟が、最後の還暦祝いでした。

Photo

その時々で、家族構成も違っているし

長兄も、病を押しての参加でしたので

意味深い親戚の集まりでした。

宴会、そして二次会でも、昔話で盛り上がり

あるときは盛大に笑い

苦労話で涙する場面があったりしましたが

まずは、一つの節目を越えた感じで、ほっとしております。

で、その時の、感動した一こまなのですが

弟の孫4才女児のことです。

大広間の宴会の席で、全盲のひいおじいちゃんが

マイクを持ちカラオケを歌い始めたとき

痴呆の病を持つ、ひいおばあちゃんも立ち上がり

マイクにぶら下がるようにして一緒に歌いたいそぶりでした。

一瞬、皆が、どうしたらよいか?

・・・ひいおばあちゃんを無理につれてくるのもかわいそうだし?・・・

そこで、私が機転を聞かせて、もう一本のマイクを持ってきて

ひいおばあちゃんに渡したのです。

その後、88才曽祖父母夫婦の

微笑ましいデュエットの光景になり、皆がほっとしたのです。

その直後

弟の孫 (4才女児)が

私のところに小走りに、歩み寄ってきて、耳元で

「よかったね~って言うんです。

小さな子なりに、この出来事を見ていて、心配していたことがわりました。

私は驚きました。

今でもその時の笑顔と声が残っています。

なぜなら

弟家族は、4世代同居の小さな町の電気屋さんなのですが

障害を持つ、ひいおじいちゃんと、ひいおばあちゃんを

家族みんなで支えている姿を見ているから

子どもなりに、支える一人として

優しい思いやりのある子に、成長していたのだと思ったからです

一瞬の出来事に心を打たれた瞬間でありました。

そして、4世代同居家族に敬意を表します。

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お彼岸の料理は

2012年09月22日 | 思い出話

車窓から撮ったこの風景は 

 ↓ これでは、なんだかわかりませんね

 Photo

これ、蕎麦畑です。蕎麦の花が満開でした。

そして、↓ これは

Photo_2

天日干しのお米のはぜがけ風景です。

刈り取りこそ機械でやっているものの

50年前から変わっていないこの風景は癒されますねぇ。

天日干しの美味しいお米が届く日が楽しみです。

こんな風景を見ながら、今日のカンレは墓参りでした。

Photo_3

墓参りの後は

Photo_4

「オードブルをとっても、残ることが多いから」と

今回は、義姉と姪がすべて手料理で待っていてくれたのです。

とてもありがたいことです。

でも、義姉は頑張りすぎてないかなぁ・・・

お線香と花を手向け、手を合わせる。

ご先祖様の供養をすることって・・・

なんて言うか・・・不思議な安らぎがありますねぇ・・・

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年末忙しかった美容院や床屋さんも

2012年01月11日 | 思い出話

今日は、白髪染めをして来ました。

白髪はいつまで染めるべきか

染めなければならないか?

悩むところですが

やっぱり、染めないで人前に出る勇気がない訳で・・・

それで知り合いの床屋さんへ行ったのですが

ここの床屋さんは

近年、年末はそれほど忙しくなく

1月に入った今が、忙しいらしい。

世の中変わったのですね。

昔は、正月を迎えるために頭はきれいにしたもので

床屋さんや美容院は、大晦日の夜遅くまで

営業しなければならなった時代があったんですって

世の中の変わったところが

こんなところにもありました。

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海に沈んだ故郷

2012年01月03日 | 思い出話

石巻市の長面地区に住んでいた方が書いた本です。

Photo

すっかり有名になってしまった、大川小学校から

海に向かって3~4キロほどのところです。

津波に襲われ、地盤沈下で海と化し

今は住めなくなってしまった地域です。

夫の実家から 5、6キロのところ

そして、姪もここに住んでいました。

子ども達が小さい頃は、実家に帰るたびに

泳ぎに行った海水浴場がこの先にはありました。

里帰りの機会にどこまでいけるのか行ってみたのですが

Photo_2

懐かしい集落も景色も消えてしまい海になっていました・・・

この道路も、工事のために作られた感じでした。

しばらく行くと

Photo_3

右の奥に見える山は、分別したがれきの山

姪の家は、影も形もありません。

一方、石巻に近い義姉の家の周りの瓦礫や壊れた家は

片付けられていていましたが

それはそれで、昔の景色とはまるで違い

戸惑いました。

まだまだ、これからが大変ですねぇ・・・

今回の実家への帰省は

元気な親戚の皆に、娘夫婦も逢わせてあげられた事が

せめてもの安らぎでした。

正月から、くらい話になってしまいましたが

今年は、何とか良い年になりますように願うばかりです。

・・・・・・・

海に沈んだ故郷」←詳しくはこちら

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