皆様、こんばんは。
事務局です。
25日の一宮市内は、雨は上がりましたが、晴れたり、曇ったりを繰り返す天気になりました。
本日の寺西は、現場作業でした。
23日午後、杉戸浴場様で開催されました、地域寄席「すぎと寄席」の観覧に訪れました。
引き続き、観覧した感想を書いていきます。
フラが終わった後は、お休み予定でした、
KOHARU亭たいちろう様(上の写真)、
KOHARU亭けいじろう様(下の写真)
のご兄弟が、都合を付けて、寄席に出演してくださいました。
けいじろう様は、現在、中学3年生で、これから高校受験のための受験勉強を控えています。
そのため、今回の寄席には欠席する予定でした。
今回は落語でなく、お二人でお話をつなぐ「講談」を披露してくれました。
演目は、鼠小僧外伝「ネズミ小僧とサンタクロース」です。
「講談」を知らない方がいらっしゃると思います。
簡単な歴史などを書いていきます。
講談は、日本の伝統芸能のひとつで、起源は、戦国時代までさかのぼり、「御伽衆(おとぎしゅう)」だと言われています。
「御伽衆はなに?」と言われそうです。
戦国時代から江戸時代はじめ頃までに、大名家にあった職務の1つです。
主君の側近として、召し出され、政治や軍事の相談、諸国の動静や武辺(ぶへん)話(※)を伝えることなどを担当していました。
※軍記物、武道に関係するお話で、戦(いくさ)で勇敢に戦った武士のお話が多いです。
この御伽衆のお話が、江戸時代の大道芸の1つ、「辻講釈(つじこうしゃく)」と結びついたのではないか、と言われています。
理由は、辻講釈は「古典太平記」(※1)などの軍記物を題材にしていたからです(※2)。
※1.日本の古典文学作品の1つで、南北朝時代を舞台にし、後醍醐天皇即位から鎌倉幕府の滅亡など、1318(文保2)年から1368(貞治6)年までの50年間をまとめ軍記物語です。
※2.諸説あります。
辻講釈は、注釈をつけながら、調子をつけて語ります。
観客に対して、お話を分かりやすく理解していただくため、と言われています。
江戸時代宝永年間、講釈だけの常設小屋が設けられた記録があるそうで、この頃に、講釈が「講談」に変わったと言われています。
講談の演者様は、高座に置かれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、
張り扇(はりおうぎ)や拍子木(ひょうしぎ※)で、机の天板を叩いて調子を取りつつ、演目のお話を観客に対して読み上げます。
※拍子木は、上方講談のみで使います。
※「一宮駅前寄席」様に出演されている、講談師・旭堂鱗林(きょくどうりんりん。以前は古池鱗林)様の講談を観覧されますと、拍子木が見られます。
次回に続きます。
■■あしあと■■
2017年12月26日に追記しました。
hiro3767様、ta31875様、kochanj2様、osuteosuperumamu様、あしあと、ありがとうございました。
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