青色鉄道模型運転会

一宮市青色申告会ホールで開催されている、鉄道模型運転会公式ブログです。Xアカウントは@railaoiro138a

荒川豊蔵資料館に行く(3)

2017-06-03 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

3日の一宮市内は、引き続き、清々しい晴天でした。

上の写真は、長い階段を上がった先にあります、新装された資料館の玄関です。

前回の豊蔵様の生い立ちの続きです。

阪急百貨店様での初個展ののち、1945(昭和20)年まで、他の陶芸家の皆様との交流を深めるため、豊蔵様は、各地で個展を開催したり、展示会に作品を出品します。

1946(昭和21)年、52歳、多治見市虎渓山(こけいざん)町にある、永保寺(えいほうじ※1)所有の山を借用して、水月(すいげつ)窯(※2)を開きます。

※1.山号は虎渓山。臨済宗南禅寺派の寺院で、雲水の修行道場を併設しています。美濃七福神の1つです。

※2.豊蔵様と二人の息子様が共同で、一般向けの食器を生産するために築いた窯です。

下の写真は玄関のアップです。



1955(昭和30)年、61歳、志野と瀬戸黒を、長い歳月をかけて再現したことが認められて、通称「人間国宝」、正式には、重要無形文化財技術保持者に指定されます。

1960(昭和35)年、66歳、江戸時代の画家・俵屋宗達(たわらやそうたつ)様が描いた鶴下絵に、書家・本阿弥光悦(ほんあみこうけつ)様(※1)が36人が詠んだ和歌を書いた『鶴下絵三十六歌仙和歌巻(つるずしたえわかかん)』(※2)を入手しました。

※1.書流・光悦(こうえつ)流の祖で、書家の他に、陶芸家や芸術家でもありました。

※2.現在、国の重要文化財になり、京都国立博物館様に所蔵されています。

1971(昭和46)年、77歳、文化勲章を受賞します。

この間、74歳の時、苦労を共にした、奥様がお亡くなりなります。

1984(昭和59)年、90歳、多くの皆様に、豊蔵様の作品を見てもらうために、「豊蔵資料館」を開館します。

翌年、91歳で永眠し、可児市名誉市民の称号が与えられました。

以上が生い立ちになります。

下の写真は、受付でいただいた、豊蔵様の生い立ちを紹介する、コピー用紙です。



生い立ちを知っていただいて、資料館に訪れますと、豊蔵様の作品を通して、不断の努力や喜びなども見えてくると思います。

上の写真のコピー用紙を見て思ったことです。

資料館では、子供の皆様に、豊蔵様について知ってもらため、

「私には、うれしい出来事が3つありました」

というキーワードを作っていました。

(1)志野陶片の発見
(2)絵巻の入手
(3)文化勲章をいただく

寺西の学生時代、心理学の講義だったでしょうか。

講師様が、

「人には誰にでも、3つの嬉しかったことがあるはず。そのお話を聞いて、相手の心を読んでみましょう」

とお話をされていました。

上記のうれしい出来事を3つ、知ってもらうだけでも、豊蔵様の人物像が、少し見えてくると思います。

下の写真は、資料館玄関前の階段から居宅などの建物を見ています。



近い将来、リニア中央新幹線も見られるようになるでしょうね。

過去と未来の融合と言っていいのでしょうか?

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