昨日は生駒の「美楽来」芸術会館で第10回の生駒市民川
柳大会がありました。川柳会に先立ちゲストに招いた親戚の
青山茂氏(元毎日新聞学芸部長、帝塚山短期大学名誉教授)
のお話がありました。演題は「天皇家以前のふるさと生駒」
で、大そう興味深い話でした。
実は私は放送大学で昨年から日本史を勉強しており、昨年
は「古代の日本」の単位をとったばかりでした。
日向から神武天皇が東征され、生駒山で長髓彦に阻まれ一
度は撤退。今度は熊野から大和へ攻め入り、弓の先に止った
金鵄の輝きもあって東征に成功されたことは知っていました
が、いろいろとこれにまつわる話を知りました。
・神武天皇は神日本磐余彦尊で、長兄の彦五瀬命は最初の戦
の傷がもとで亡くなられたこと。
・長髓彦は登美能那賀泥毘古といい、現在の「登美ヶ丘」と
いう地名も近鉄が勝手につけたものではなく、そういう由
来があること。(奈良にはこのような由来がある地名が多
い)
など、いろいろ興味深い話でした。
川柳のほうは182名という参加でやっと
宿題の「うねり」田中新一選で
政界のうねりなり振りかまわない
が抜けただけでした。
柳大会がありました。川柳会に先立ちゲストに招いた親戚の
青山茂氏(元毎日新聞学芸部長、帝塚山短期大学名誉教授)
のお話がありました。演題は「天皇家以前のふるさと生駒」
で、大そう興味深い話でした。
実は私は放送大学で昨年から日本史を勉強しており、昨年
は「古代の日本」の単位をとったばかりでした。
日向から神武天皇が東征され、生駒山で長髓彦に阻まれ一
度は撤退。今度は熊野から大和へ攻め入り、弓の先に止った
金鵄の輝きもあって東征に成功されたことは知っていました
が、いろいろとこれにまつわる話を知りました。
・神武天皇は神日本磐余彦尊で、長兄の彦五瀬命は最初の戦
の傷がもとで亡くなられたこと。
・長髓彦は登美能那賀泥毘古といい、現在の「登美ヶ丘」と
いう地名も近鉄が勝手につけたものではなく、そういう由
来があること。(奈良にはこのような由来がある地名が多
い)
など、いろいろ興味深い話でした。
川柳のほうは182名という参加でやっと
宿題の「うねり」田中新一選で
政界のうねりなり振りかまわない
が抜けただけでした。