KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではない vol.8~体重と記録の関係①

2009年05月04日 | あなたもマラソンランナーになれる
金曜夜の人気番組「探偵!ナイトスクープ」を見たが、ちょうどM氏こと松村邦洋氏が入院中の収録分だったのか、出演していなかった。思えば、この番組の初代司会者は、芸能界一のマラソン通だった上岡龍太郎氏だったし、レギュラー出演者の1人、間寛平氏は今頃アメリカ大陸横断ジャーニーランの真っ最中である。さらに、意外と知られていないが、レギュラーの1人であるたむらけんじ氏もホノルルマラソンの完走歴がある。吉本興業はホノルルマラソンのツアーも手がけていて、若手や中堅どころの芸人が同行しているのだ。

そんな関西の芸人たちの「マラソン熱」に松村氏も影響されたのかもしれない。自身のイメージを変えてまで、今後もマラソンにチャレンジしていくという。あるいは、宮崎県知事に転身したそのまんま東氏のポジションを狙っているのか?TBSの社屋周囲を走るマラソン(実際は中距離走だから、かなりきついと思う。)へのチャレンジも目指しているのかもしれない。

繰り返すが、マラソンにおける心肺系の急性疾患は決して体重の多いランナー特有のものではない。海外マラソンの結果にも精通しているほどのファンなら、2年前のニューヨークで行なわれた北京五輪の男子マラソンアメリカ代表選考レースで死者が出たことをご存知だと思う。日本のランナーでも、心肺機能の疾患で、若くして競技を断念した人や、亡くなられた方も珍しくない。やせてさえいれば、安心、ということでもないのだということをくれぐれもお忘れなく。

僕もマラソンで3時間を切ることを狙うレベルのランナーとしては、体重が多すぎた。73~75kg前後の体重で、マラソンを3時間10分を切るペースで走っていたが、もしかしたら、体重が70kgを切りさえすれば、サブスリーになれたのかもしれないと思っていた。

そこで、これまでの自分のマラソン歴を見直してみた。日報に記していた体重のデータを調べて、マラソンの直前1ヶ月の平均体重と、マラソンのタイムを重ね合わせて、記録と体重との間に何らかの相関関係がないか、検証してみることにした。


棄権   94.02.20 愛媛  74.64kg
3:18:40 94.11.23 福知山 74.48kg
3:26:06 95.02.19 愛媛  73.47kg
3:23:38 95.08.27 北海道 74.67kg
3:14:51 95.11.23 福知山 75.11kg
3:09:58 96.02.18 愛媛  74.86kg
3:16:25 96.05.05 バンクーバー 73.27kg
棄権   96.09.15 玉造毎日 73.32kg
3:19:38 96.11.24 河口湖 74.58kg 
3:20:06 97.02.08 愛媛  74.63kg
3:00:28 97.07.13 ゴールドコースト 73.32kg
3:27:03 98.02.22 愛媛  74.91kg
3:09:20 98.05.10 東京荒川 74.11kg
3:18:07 98.09.15 玉造毎日 70.97kg
3:36:09 98.11.29 瀬戸内海タートル 71.82kg
3:09:55 99.02.21 愛媛  73.27kg
3:13:35 99.08.29 北海道 72.39kg
3:28:58 00.02.20 愛媛  72.84kg
3:06:39 00.11.26 瀬戸内海タートル 73.1kg
3:08:42 01.02.18 愛媛  73.54kg
3:10:05 01.04.15 長野  72.76kg
3:25:10 02.02.03 愛媛  75.12kg
3:12:33 03.02.16 愛媛  75.07kg
3:29:33 04.02.15 愛媛  データ無
棄権   05.02.20 愛媛  80.63kg
3:49:41 06.02.19 愛媛  76.63kg
棄権   07.02.04 愛媛  79.89kg
3:59:59 08.02.20 愛媛  80.62kg
棄権   09.02.08 愛媛  80.52kg


ちなみに、僕は体重を測定するのは、トレーニングを終えてシャワーを浴びるか風呂に浸かって汗を流した後にしている。言わばその日の「瞬間最低体重」を記録していた。5年前の愛媛マラソンの前には、体重をほとんど計測していなかった。

それにしても'90年代のマラソン記録と体重、本当に自分のデータだろうか?自分でも信じられない(苦笑)。

自分の体重が一番落ちていたのが、自己ベストを出したゴールドコーストの前ではなかったことが、意外だった。そうだ。翌年の玉造の前の方がかなり絞れていた。ランニングを開始以後の最低体重、69.8kgを記録したのもこの大会の直前だったのを思い出した。玉造というのは、僕が出場した大会の中で、最も関門制限時間が厳しい大会だったのだ(40km地点で3時間20分)。それだけに、かなりの練習量を積んで臨んだのだ。こうしてみると、以後の北海道や長野はかなり体重を絞っていたのが分かる。安くない旅費を払って出場するのだから、結果を出さなくてはという気持ちでトレーニングを積んでいたからだろう。

実際、'99年の北海道は、かなり強い気持ちで臨んでいた。その前年のバンコクのアジア大会のQちゃんの走りが影響していたのだ。いかに暑い大会であっても、きちんとトレーニングをしていれば自己記録更新は狙える、とその時僕は知った。高温多湿のバンコクで2時間21分台でゴールしたことも衝撃的だったが、それ以上に、「月刊陸上競技」誌のインタビューで、大会5日前、バンコクへの出発前日に30km走をしていた、ということも衝撃的だった。しかもその2日前には駅伝を走っている。

それまではほとんど行なわなかった、一周400mの運動場(公認のトラックではない)を利用したペース走やインターバル走を積極的に行い、サブスリーを目指した。北海道マラソンの旧コースは、「秋に開催すれば世界最高も出せる」と言われたほど、平坦な市街地コースだった。

北海道への出発直前に、右足土踏まずが歩けないほどの痛みに見舞われた。足底筋膜炎を起こしたのだ。治療院に駆け込み鍼治療を受けてとりあえず痛みは取り除いたが、レース本番では予定よりもペースを落とし、完走だけを狙った。皮肉にも、レース当日は25℃を切るほど涼しい天候だった。

ちょうど、「ランナーズ」誌の最新号(6月号)に、
「1kgやせれば3分速くなる、は本当か?」
という特集記事が掲載されていた。市民ランナーの間で広く信じられている定説だが、それを検証してみたものだが、執筆者の岩本能史氏はスパルタスロンや24時間走の世界選手権日本代表の経験者で、自身が主宰するクラブのメンバーを対象に調べてみたデータを紹介していたが、体重を2kg減らして、マラソンのタイムを50分以上短縮した人もいれば、体重の変化もなく、18分短縮した人もいる。

結論として、体重の減少は「『走るのに適した体』になるためのひとつの要因」だが、記録が伸びるにはそれ以外の要因も生まれることも重要だとしている。
体重がほとんど変化せずに記録を伸ばしている人もいるが、その人はふくらはぎが細くなったり、ウエストのサイズが小さくなっている。脂肪量が減り、その分走るために必要な筋肉が増えれば、記録は伸ばすことができる。

僕の場合、体重を減らしても、それために故障を起こしたケースもあったし、玉造は気候的には最悪で、'98年は土砂降りの雨が降るかと思えば、それが止めば陽射しが照りつける、というコンディションの中、時間内完走が出来ただけで、十分だった。

松村氏のような体型の人なら、体重は落とせば落とすほど記録は伸びるだろう。

こうして見ると、この数年、愛媛マラソンの時間内完走(4時間)が困難になっているのも当然のことかなと思う。少なくとも、体重75kg前後には絞らないと。

4月の1ヶ月の平均体重は77.2kgだった。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あなたもマラソンランナーに... | トップ | あなたもマラソンランナーに... »

コメントを投稿

あなたもマラソンランナーになれる」カテゴリの最新記事