エクストリーム四十代のかもめ日記

野球を中心に、体力気力に任せて無茶をしがちな日常を綴る暑苦しい活動記。

想い出が多すぎて ~w-inds.へのエール~ 前編

2020-07-04 13:50:58 | 音楽
2001年~2003年、実質3年という短い間でしたが、この時期は
私の人生において、音楽から得られる幸福や快さが一番充実していた
ことを、今しみじみと思い出します。

5月末、ライジングプロダクション所属のダンス&ボーカルユニット、
w-inds.から、メンバーの1人・緒方龍一が脱退することが
発表されました。
今後は千葉涼平、橘慶太の2人でw-inds.を続けていくとのこと。
これからの彼らの変わらぬ活躍を祈りつつ、またいつか、龍一君が
w-inds.の一員として笑顔でファンの前に立ってくれたら…と
(当人の迷惑を顧みなくて恐縮ですが)思わずにはいられません。

2001年3月、w-inds.デビュー。
2003年12月、w-inds.3rdアルバム発売。
この間の3年ほどが私の人生における「音楽視聴的ピーク」でした。
実質、3rdアルバムの出来で私は彼らを見限ってしまったわけですが、
その後も心の中にはずっとずっと、彼らへの感謝がありました。
今回は、3人ユニットとしてのw-inds.に対するリスペクトと
感謝のために、自分勝手なことを書き散らしたいと思います。
「我がw-inds.歴を全部書く」って感じで読者の9割9分9厘に
とって意味不明の長文、しかも前後編になるけど、かつての思いの
たけをここに全部ぶつけることにします。(いつもそんな感じだけど)
順にアップすると、後半が上に来ちゃうんだよな。まいっか。

2000~2001年は「ポストSPEED」激戦時代でした。
2000年3月31日にSPEEDが解散して、その後を継ぐべしと、
少女グループが次々に売り出されていたけれど、あのハイレベルな
ライジングプロダクションの肝煎りであるSPEEDに匹敵する、
あるいは肉薄できる女の子たちなんて、そういるはずがないんです。
(唯一、実力だけなら対抗し得たであろう「earth」がまるっきり
日の目を見なかったのは惜しまれる。パワーが足りなすぎた…)
SPEEDは「好きだけど、ファンではない」くらいなのですが、
次々出てくる少女ユニットに、私は冷ややかな目を向けていました。
「いつまでSPEEDの幻影を追ってんだよ、二番煎じが勝てるもんか」

そこに流れ星のように現れたオレンジ色の美少女…
それがw-inds.との出会いでした。

TBSの音楽ランキング番組「COUNT DOWN TV」(以下、
CDTV)で何度も見かける、「Forever Memories」
というレトロな曲を歌っている中性的で地味めの美少女。これは誰?
映像の背景が、私の好きな色・オレンジ色だったのも印象に残った理由
だと思いますが、とにかく顔と声、そしてランキングでちょっとだけ
耳にする歌詞が私のハートをつかみました。

当時の私は「シングルは割高だから、買うならアルバムのみ」という
ポリシーというか貧乏根性から、そのシングル曲は買いませんでしたが、
次の曲が出るのを楽しみにしていました。
すると、2ndシングルで衝撃の事実が…。
ボーカルの子、ランキングの数秒しか見たことなかったけど、男の子やん。
「w-inds.」の3人とも男の子で、少年ユニットやん。
そんなのは無関係に、2ndシングル「Feel The Fate」は
音楽性もますます高く、しかも歌がめっちゃ上手いのがよくわかる!!
さらにその数か月後、3rdシングル「Paradox」をCDTVの
ゲストライブで聴いてしまい、その美しく澄んだハイトーンボイスに
完全に打ちのめされました。
曲もすごい好きだし声も好きだし歌も上手い!!!
この時点で私は完全に陥落して「w-inds.のファン」になりました。

1stアルバム発売の報を受け、駅前のCDショップにソッコー予約を
入れました。
2001年12月7日、浮足立ってCDショップに行ったら、店員さんは
言いました。「発売は18日ですね。17日には入荷しますので」
浮足立ちすぎて、日付10日間違える超~フライングでした。アホすぎる。

この1stアルバム「w-inds.~1st Message~」を
聴いて、1曲目で呆然として、2曲目で笑いが止まらなくなりました。
「曲もだいぶいいけど、何より、なんだこの慶太君の歌の上手さは」
アルバムを聴きながらずっと、ほんとにゲラゲラ笑ってました。
3人でラップやってる1曲だけは“微笑ましい出来”でしたが、
他はすべて素晴らしすぎました。「アルバムのクオリティが高すぎて、
笑いが止まらない」なんてことがあるんですね。
また、アルバムを買って初めて、彼らの魅力を際立たせている曲が
すべて「Hiroaki Hayama」という人の作詞作曲だという
ことにも気がつきました。
葉山拓亮という、派手ではないけど美しく印象深いキラキラした音を
作るプロデューサーがいてこそのw-inds.なのだと知りました。

2002年2月の4thシングル「try your emotion」
も大満足な出来。ずっとずっとこのまま、葉山さんと慶太君の音楽は
私を幸せにしてくれるのだろう、と思っていました。

しかし、幸せはあまりにも短く終わりを告げました。
2002年5月、5thシングル「Another Days」を、
うっきうきのわっくわくで買ってきました。(つまり私が「シングルを
買う人」に変わっているわけ!)
再生した私は、ひたすら自分の耳を疑い続けました。
慶太君の声が違う。「曲のキーが下げてあるせいかな」「歌いづらい
曲なのかも」といろんな思いが駆け巡ったのち、曲が終わると同時に
私はダンナに電話をかけていました。
「慶太君の声が違う!!!」
当時結婚2年目だった我々夫婦、お互いに音楽の趣味の押し付け合いは
しないのですが、ダンナは私の聴くアーティストの中で、w-inds.
だけは気に入って一緒に聴いていたので、話が通じるのです。
実際、ここで慶太君は声変わりに入りました。
しゃべる時の声は低いから、もう歌声は変わらないんだと思ってた…。
でも、私の弟も声変わりは2段階あったっけな…。

この「Another Days」の歌詞は、葉山拓亮さんの、
慶太君の声変わりへの気持ちを吐露したものだと思っています。
「果てしないこの道を二人で 行きつく場所は決まっていなくても
 ただ声を聞くだけで側にいるだけで 歩いていけると信じてた」
「夢をちりばめた未来図は 君と見上げてた空へと消えて
 これからは別々の地平線から 毎日を迎えていくよ」
私も「もう、これまでの音楽は作れないんだ…」と実感する、悲しみの
ニューシングルとなってしまいました。

この夏くらいに長野・斑尾高原に夫婦で旅行して、車で立ち寄った
CD屋さんでw-inds.のCDシングルを全部買いました。
「Another Days」の前の4曲のシングルはまだ買って
いなかったので、「これからはあの慶太君の声が聴けない、ならば
あとはこれまでのカップリングを手に入れるしかない」と思っていて、
レンタカーのカーステレオで流すために購入しました。
そしたら、それまでのシングルのカップリングも超絶いい曲揃いでした。
「まだこんなにいい曲が残ってた!」という喜びと、「もう、この声は
出ないんだな」という悲しみを同時に味わいましたが、やっぱり
葉山さんと慶太君のコンボは超ドすげえ、と感動しました。

失意の私ではありましたが、それでもダンナに引っ張られて、夏の
ライブツアーに行くことになりました。
8月、東京国際フォーラムホールA。
慶太君の音程は若干散らかっていましたが、生で聴く歌声は心地よく
素晴らしく、行ってよかった…と思いました。
そのライブで発表された新曲、6thシングル「Because 
of you」はこれまでと違って“悪い意味でレトロ”なうえに
ラップが入って泥臭くダークなテイストで、有り体に言うと「ダサい」
と感じました。(案の定、葉山さんプロデュースではなかった)
やっぱり、慶太君の声が変わってしまったから、方向転換しないと
いけないんだな…。
これまでと違う日々――“Another Days”が始まった
ことを突きつけられた6thシングルでした。

それから、私はコミケと日程がかぶっていて行けなかったのですが、
ダンナはツインリンクもてぎのライブにも単身、出かけていきました。
三十男が一人っきりで、十代男子三人のライブに行くかね~。
案の定、会場に向かうバスの中は中高生の女子ばかりだったそうで、
ダンナは時々「逮捕されなくて本当によかった」と回想します。
バスの中で女子中学生とw-inds.について会話したらしいし。

しかし、ダンナはさらに衝撃の暴挙に出ます。
「w-inds.の鹿児島ライブに行こう。チケット買っちゃった」
意味わかんないよ。鹿児島ってなんだよ。
「台風で中止になった公演の代替ライブが決まって、チケットがまだ
買えたから。行けるときに行かないと後悔するから」
ダンナは、かつて人生で一番好きなアーティストが「いつかライブに
行こう」と思っていたら解散しちゃったので、「後悔しないために、
行けるときに行くべき」という考えだそうです。
でも鹿児島って…。
結局旅行で行ってライブを見てきたのですが、9月の連休の時期
だったせいで、旅費は2人でトータル20万円ほどかかりました…
ただ、この金額、ちっとも惜しくなかった。
w-inds.の1stアルバム収録作品で圧倒的人気を誇る、
「Winter Story」という名曲が、なぜかライブの封印曲
なのですが、鹿児島では「台風で開催が遅れちゃったお詫び」として、
その名曲を歌ってくれました!!!
もうこの1曲だけでお金なんてどうでもいい。行ってよかった…
リハーサルの時に会場をうかがってたら、わりと露出多め(苦笑)の
慶太君が出てきて、見上げてる我々ファンどもに手を振ってくれたり、
前座のLeadのリハを背中でスルーしていたら、あまりの音痴さに
背中を物理的に殴られるような衝撃を受け「リアル『コエカタマリン』
だ!」と思ったり、いろいろ、楽しい鹿児島ライブ旅行でした。

こうして過ごす間もずっと、「次のシングルは葉山さんプロデュース
だったらいいのにね…」と夫婦で言い合っていました。

11月、w-inds.ニューシングル発売のニュースをCDTVで
知りました。私とダンナがパッと顔を上げると、新曲のイントロが流れ、
その瞬間に二人で奇声をあげて手を取り合いました。
お互いにさわりの音1秒で「葉山さんプロデュースだ!」と確信して、
「この曲ならオッケェェェ!!」という歓喜に包まれたうえに、
相手も同じものを感じ取ったはずだと迷いなく思った瞬間でした。
あの一瞬は、普段精神的に通じ合うことのまったくない我々夫婦の
奇跡的な名場面です。葉山曲のアイデンティティすげえな!
葉山拓亮が作るとラップ曲でもこんなに透明感があってカッコいい!
という一曲「NEW PARADISE」は、PVの慶太君もたいへん
カッコいい(笑)、盛り返しのシングルとなりました。

12月には2ndアルバム「w-inds.~THE SYSTEM 
OF ALIVE~」が発売されました。これ、ものすごく暗喩の
効いたアルバムタイトルだな…と思いました。「(慶太君のあの声が
なくなっても、芸能界で)生き抜いていく体制」だよな。
1曲目、葉山拓亮作の「Break Down,Build Up」
という曲の歌詞も、そう思って聴くと非常に思わせぶりです。
慶太君の声変わりで、これまでに築いたものを壊して(Break 
Down)、新たに作り上げ(Build Up)なくてはならなく
なったw-inds.の音楽を歌っているように聞こえます。
しかし、このアルバムは新たなw-inds.を納得させてくれました。
澄んだ金管楽器の声ではなくなったけれど、木管楽器の響きにも似た
温かくやわらかい、不透明で少し高めの慶太君の声が聴けました。
ファーストアルバムに比べると凡庸というか陳腐な曲もあるけど、
実際このアルバムも「擦り切れるほど」(笑!)聴き続けました。

葉山拓亮がいればまだまだw-inds.はイケる!
ベストオブベストではなく、セカンドベストにはなってしまったけど、
橘慶太の歌声は(生だと正直、ムラはあるけど)素晴らしい!

ダンナは2002年途中からファンクラブに入るほどw-inds.に
ハマっていました。彼いわく「ライブのチケットをとってあげるために
入った」んだそうだけど。
その年のクリスマスイブ、ダンナは国立代々木競技場オリンピック
プラザのw-inds.イベントに行こうと言ってきたのですが、
私が「ライブ以外の、イベント的なものには興味ない」と一蹴したので
(硬派だな、私)、彼は仕方なく親友を連れて出かけていきました。
クリスマスイブに、妻でなく男の友人を連れて、w-inds.の
イベントに行く三十男。さすがファンクラブ会員やんか。
しかし「人数が多すぎて入れなかった」とうなだれて帰ってきました。
なお、このイベントはミニライブだった模様。
「ライブだったら行ったのに! いや、行っても入れなかったのか」
行かなかった自分を危なく呪うところでした。

年末にはw-inds.が記念すべき紅白歌合戦に初出場。
でも、選曲が「NEW PARADISE」で、ラップ曲に慣れてない
紅白の中高年客はポカーンになってしまったし、音響レベル(質でなく
出力音量)の問題で慶太君の歌の上手さが伝わらなかったという、
痛恨の出来でした。ここでファンを増やせなかったのは痛かった…

長くなるので、ここで一旦「前編」として区切ります。
この年明けには、奇声を上げて暴れるような大事件が…!?