言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

バラの棘(06/07/25)

2006-07-25 22:41:15 | ことわざ
 不可能の代名詞ともいわれた青いバラの開発の成功で、バラは青、赤、黄と絵の具の「三原色」がそろったわけだ。しかも、白ははるか昔からあるので、今後はさらに多彩な色のバラが自在に生まれることが期待されるが、バラの特徴はその美しさの陰に棘(とげ)を持っていることだ。バラの花を国の表象とする英国には、No rose without a thorn(とげのないバラはない=参考)という諺がある。

 バラのことが文献に歴史上初めて登場するのは、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』と言われるが、その中で、バラは棘のある植物の譬えとして取り上げられている。人を傷つけるもの、という意味合いだ。聖書にも、「彼ら汝らの肋(わき)を刺す茨とならん」(旧約『士師記』=注1)とか、「我は肉体に一つの棘を与えらる。すなわち我を撃つサタンの使いなり」(新約『コリント後書』=注2)とある。どうもバラの棘は、一種の凶器、武器と受け止められていたように思える。

 グリム童話の『いばらひめ』(『眠りの森の姫』)は、姫を求めてイバラの城に入った王子がイバラに引っかかって傷だらけになり、身動きが取れなくなってしまうという物語だ。

 日本では、バラはその昔「ウマラ」、「ウバラ」と呼ばれ、それが「イバラ」、「バラ」に転化したとされる。

 竹林を初めて見た茨城の地は、私にとって第二の故郷とも言うべき所だが、その県名は奇しくもグリム童話の「いばらひめ」が眠っていた"イバラの城"と同じ発想に由来している。奈良時代初期に諸国の地誌、伝説、産物などを編纂した風土記の茨城版ともいうべき『常陸風土記』には、蛮行を繰り返していた賊を退治するため、ウバラで城を築いたことから「茨城」と名付けた、と記述されている(注3)。



《参考》多くの英和辞典は、直訳を掲げた後に意訳も出しているが、その語釈は辞書によってさまざま。
  「世の中に完全な幸福はない」(研究社「リーダーズ英和辞典」)というストレートな訳から「どんな幸福なときにもどこかに悲しみや失望が多少あるものだ」(小学館「プログレッシブ英和中辞典」)や「この世に完全な幸福はない;忍ばねばならない部分がある、の意」(学習研究社「スーパー・アンカー英和辞典」)とかみくだいた説明調、あるいは「どんな幸福にも不幸が伴う」(大修館「ジーニアス英和辞典)といった"両面型"もある。
  ともかく上記の各英和辞典に共通しているのは、バラを幸福の象徴とみなしている点だ。それは、本場・英国の辞書、例えばかなり古い版だが「The Pocket Oxford Dictionary」(第5版)が、"rose without a thorn"の語義を"impossible happiness"(あり得ない幸福)としていることに因ったためだろう。
 ただ、戦前から名著として洛陽の紙価の高い『熟語本位英和中辭典』(岩波書店)と最近の「カレッジライトハウス英和辞典」(研究社)が、共に「楽あれば苦あり」としているほか、「ランダムハウス英和大辞典」(小学館)が「楽は苦の種、苦は楽の種;ままならぬは浮き世の習い」と日本語の諺に置き換えているのが目を引く。私見を言えば「禍福は糾(あざな)える縄の如し」といったところか。
 なお、No rose without a thorn.と同じ意味でEvery rose has its thorn.という英語もある。

《注1》They shall be as thorns in your sides.

《注2》There was given to me a thorn in the flesh, a messenger of Satan to buffet me.          (三省堂『英語イメージ辞典』より)


《注3》或るもの曰へらく、山の佐伯、野の佐伯、自ら賊(あた)の長(おさ)と為(な)り、徒衆(ともがら)を引率(ひきい)て、国中を横しまに行き、大(いた)く劫(かす)め殺しき。時に黒坂命(くろさかのみこと)、此の賊を規(はか)り滅ぼさむとて、茨(うばら)を以(も)ちて城(き)を造りき。所以(このゆえ)に、地(くに)の名を便(すなわ)ち茨城(うばらき)と謂(い)ふといひき。