言語楼-B級「高等遊民」の戯言

日本語を中心に言葉の周辺を“ペンション族”が散策する。

格言の二面性(06/12/20)

2006-12-20 12:00:27 | ことわざ
    「好きこそものの上手なれ」という。一方で、「下手の横好き」という言葉もある。趣味の碁で言えば、私の場合は「横好き」の部類だ。格言や諺の二面性はしかし、囲碁に関してのものより人生一般について語ったものに多いのは言うまでもない。

    よく使われる格言では「善は急げ」に対して「急(せ)いては事をし損ずる」とか「急がば回れ」とかの例がある。それじゃ、ゆっくりやるべきなのかどうか、と一人で思い悩むより「三人寄れば文殊の知恵」も出てこようかと何人かに相談すれば、あーでもない、こーでもない、と意見が一致せず、「船頭多くして船山に上る」ことになってしまう。

    「溺れる者は藁(わら)をもつかむ」の心境で、つい「危ない橋を渡る」気になったが、「鷹は飢えても穂を摘まず」と諭されて慎重を期し「石橋を叩いて」渡った。その結果うまくいったので、「二度あることは三度ある」とばかりに同じ手法で次も試みたが、「柳の下にいつもどじょうはおらず」ガックリ。で、「果報は寝て待て」と無為を決め込んでいたら「まかぬ種は生えぬ」と“天の声”あり。

    やはり「寄らば大樹の陰」が無難か、いやいや「鶏口となるも牛後となるなかれ」というではないか、と思い直してみたりして決断つきかね、「山のことは樵(きこり)に聞け」という教えに従い訪ねてみた。が、意外にも樵は「灯台下暗し」で、その筋には明るくない。あるいは、「言わぬが花(沈黙は金*)」を美学にしているのかもしれないが、「言わねば理(ことわり)も聞こえず」である。

    では、と「血は水よりも濃い」親戚の所にはるばる出向いてはみたものの、期待した答えは得られず、結局は「遠い親戚より近くの他人」の助言で解決した。

    考えてみれば、格言、ことわざに相反するものがあったり、一見似ているようでニュアンスが微妙に違ったりするのは当然だ。人生が公式通りだったとしたら、この世は単純で変化もなく、無味乾燥、面白くもおかしくもない。哲学はもちろんのこと、文学も芸術も科学も存在しなかったであろう。

    「一石二鳥」を狙って成功することもあれば、「二兎追う者は一兎をも得ず」ということもある。1プラス1が必ずしもイコール2になるとは限らない。ある時は8になったり、またある時はマイナスになったりするのが人生だ

    「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」という慣用句があるが、生まれで一生が決まってしまうようでは余りに寂しく味気ない。もちろん天才は存在する。同時に「大器晩成」の人もいる。歴史を見ても、ある面では「氏より育ち」で生きてきた市井の人びとが世を創ってきたのだと思う。極論すれば、真の歴史の主(あるじ)は庶民である。格言は庶民の知恵の宝庫。そこに時代を超えた人生の妙味があるのではあるまいか。


《参考》『岩波ことわざ辞典』、『慣用ことわざ辞典』(小学館)、『ベネッセ表現読解国語辞典』、『国語慣用句辞典』(東京堂出版)
 
    このブログの中ほどの段落で「言わぬが花」の後ろの(沈黙は金)に*印をつけた。次回は、この語句を題材の一つにして、ことわざに見る国民性の違いの一端をのぞいてみよう。